O(お仕事したくない)L(レディ)、台湾へ行く②
O(おさぼりが常態化しすぎて更新を放置する)L(レディ)、略してOLです。これを書いているのは大晦日ですがそんなこと知ったこっちゃねえので引き続き台湾に行ってきたお話をします。
■九份へいったよ
この旅で一番観光っぽかったのが九份への旅でした。旅というほどでもない距離なんだけど、レトロなロケーションで有名な九份は、台北中心部から高速バスに揺られて一時間半ほどのところにあります。
その昔、九份に暮らす人々はわずか9世帯で、道が通っていなかった頃、すべての物資は水路を使って運ばれていました。当時、なにかにつけ「9世帯分」の物資を調達していたため、その名がついたといわれます。
台湾東北部の丘陵地で山を背にし海に面した土地柄の九分はかつて金鉱として栄えました。1890年に金脈が掘り当てられ、そもそも9世帯しかなかった貧困な村が、瞬く間に三、四千世帯の巨大都市へと変貌しました。「アジアの金の都」といわれ、「小上海」、「小香港」の異名さえ取っていた時期もありましたが、ゴールドラッシュ熱が冷めるにつれ、廃れていきました。が、そのうち、ここでいくつもの映画が撮影されるようになり、ベネチア国際映画祭では、侯孝賢監督の『悲情都市』がグランプリを受賞するなど、国際舞台ですばらしい成績を修め、忘れかけられていた小さな村が再度注目を浴びるようになりました。古びた町並み、建物、廃坑と燦燦と輝いていたゴールドラッシュの時代が再現され、昔のような活気を取り戻しつつあります。山道散策に疲れ足を休めたければ、九份ならではの茶屋に立ち寄り、おいしいお茶を飲みながら、基隆沖の美しい海を眺めるのも一興です。
(台湾交通部観光局日本語サイトより)
忠孝復興駅のそごうの近くから高速バスに乗るルートで行ってみた。
バス乗り場の近くには観光客目当てのタクシーの客引きのおじちゃんがおり、「スカイツリーの高さよりも九份の標高のが高いんだよ、タクシーで行った方がいいよ~」と誘われたんだけど、こちとら山生まれ山育ち中学で登山経験ありそうなやつは大体友達の長野出身者、実家の所在地の方が九份より大概山なので、標高の話をされても心に響かず普通にバスへ乗車した。ごめんなおじちゃん、他をあたりな。
道中、林の中にぽつぽつと小さな小屋のようなお墓がたっていて沖縄の亀甲墓みたいだね、と友達と話した。
押したくなるやつ。
都市を抜けてローカルな道をガタゴト走り、狭くて小さな町を過ぎて更に山を登った先が九份です。
観光客のごった返す小道を抜けると見晴らしのいいちょっとした広場のようなところに出たり、電飾がぎらつくわりに人がおらず静かなお寺があったり、観光地なのに観光地っぽくない穏やかな場所でした。歩いている猫も我関せずって感じで堂々としてた。
すすったタピオカ。
せっかくなのでお茶をしばきたいね……と茶蓺館へ
錦鯉が優雅に泳ぐ上に立てつけられたテーブル席を抜けて、天気がよかったのでテラス席へ通してもらいました。
テーブルの真ん中に囲炉裏があって、ずっと鉄瓶でお湯を沸かし続けている。
お茶をお願いするとまず最初に店員さんがお茶の入れ方を指南してくれて(日本語でした)、そのあとは客が好きに飲んでいいんだけれど、時々店員さんがお湯を足しにきてくれるので延々飲んでられるというわけです。
こんなのずっとチルしちゃうやつじゃん……と、ぼーっとしながら2,3時間ほどいたと思う(マジでずっとチルしてた)。
台湾の小高い山の観光地に来て、神戸出張の話とか、パエリアにもおこげをつくるかやわらかく作るかで地域差があるとか、地元に残った友達の近況とか、お茶おいしいねえとかそういう話をずっと話してた。
九份は暗くなったころに灯る提灯の明かりが有名だけれど、混雑する中を帰るのはしんどかったので早々に都市部へ戻ってきました。
往路と同じくバスに乗ったんだけど、帰路は下りのためか、荒っぽい運転のせいか、座席がやたらつるつるしているせいか、小一時間ほど尻が滑り続けて前のめりになりながら帰った。
これは街に戻ってから小銭を崩すために買ったタピオカのかわりにプリンが入ってるミルクティー。たしか「健康」ってサイズ買ったはずなんですがこの大きさ。
はやめに台北に戻ってきて何をしていたかというと、最近東京の日本橋にも出店したことで話題の誠品書店が近くにあったので、初日の夜にふらふらとよってみたところあまりの品ぞろえの良さと居心地の良さから成るとんでもねえ吸引力で2時間ほどずーーーーーーーーーーーーーーっと居座ってしまったため本腰を入れて探索にいったんだけどこの次にします。