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時が止まったままのように感じたのは、実際は人間の主観なのであって、時は止まってなんかいなくて、だれの前でもどんな時でも、ひとしく不可逆に進んでいくだけなのだった。
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思えば大学生になってから、わたしは割とばっちゃ宅へ遊びに行っては何かしていたことが多かったような、と思ったりなんだりしていたので、備忘録としてこんなことがあったね、というのを時系列順に書いていこうと思いました。それだけです。
というわけでやります。
母方のばっちゃとの思い出振り返り大会〜!!(大学生編)
①2014年8月中旬
ここだけ日付詳細が分かりませんが(ツイログに残ってなかった)、お盆の帰省に合わせて母と愛知から車で向かった回です。絵を描いていたら「そういうの好きやね、あんた」って言われました。好きです。
②2015年6月27日~6月28日
母方の祖父の十三回忌で金沢へ。
この時は始発のはくたか自由席。座れるかギリギリだった。上田中間地点だもんね。うん。
サンダーバードでやってくる姉1と父(前日父は京都出張で姉の家に泊まっていた)を地下で待ち、北鉄金沢浅野川線を利用し母の実家へ。
法事が終わったあとに、参列者の茶菓子として用意していた和菓子を半紙で包みまくった。この時わたしは父と父の実家に泊まり、母と姉2人が母の実家に泊まっていたので、母方のばっちゃとの思い出はあんまりない。思い出せない。けど上田のお菓子買って持っていったら褒められた。
③2016年3月30日~3月31日
1人でばっちゃんちを行脚するだけの旅。前回泊まれなかった母の実家へ宿泊しました。30日の朝に出て、昼前に父の実家に着いてお昼(カレーライス)をもらい、そこから夕方までのんびりして母の実家へ。車なら30分なのに電車使うと金沢に戻る関係で1時間くらいかかるので、意味わかんねえなって笑ってた。(地方なんてだいたいそんなもんですが)
夜ごはんには天ぷらをもらった。
つまようじはわたしの犯行(つまみ食い)の痕跡です。いやまあばっちゃから直々に「揚げてる間暇だろうから食っててええよ」ってお許しもらったんですけどね。煮物も実はつまみ食い用でした。笑
当時のツイートを掘り起こしてみたところ、風呂上がりに果物も出てきてたみたいです。贅沢すぎる。
次の日、タッパや市販の漬物の容器に「帰って疲れてるとご飯作るの嫌でしょう」って、ご飯とこの天ぷら詰めて持たせてくれました。漬物の容器は、確かお徳用しば漬けのやつだった。
そしてわたしがめちゃでかいリュックを背負って行ってたもんだから、やたらとあれもこれも持っていけと言われ、帰宅時に持ち帰った土産の量がこんなことになった。
手前のバウムクーヘン、チョコ、おかき、パウンドケーキ、奥の方のポッキーとプリッツは父方のばっちゃからですが、それ以外は全部母方のばっちゃからです。
この回はジェルボールがかなり重たかった。このあともう一回洗剤を持たされる回があるので先に言っておきますが、母の実家では同居してる叔母さんの好みで粉洗剤しか使わないため、液体系はわれわれ鶯家に回ってきます。体のいい不用品処理です。ありがたく使う。
これと別に学校の友達用の土産とかなんとか買って担いできたので、翌日は肩が筋肉痛になりました。
③2016年10月23日~10月24日
前日の昼にとつぜん「そうだ、金沢へ行こう」と思い立ち、学生実験を終えた夕方、16時半をすぎた頃に、構内にある池のそばのベンチに座り、夕陽に照らされる図書館を眺めながら両家に電話して「明日行くけど家にいる?」と確認をとって、その足で駅に向かい切符をもぎ取りいざゆかん。お土産にうさぎやのくるみそばを選んだ初回です。どっちにもくるみそば持っていった。宿泊は父の実家でした。
こんな衝動的に金沢行ったのは後にも先にもこれ1回なんですけど、父方のおばさんに「とつぜんすぎて学校嫌になったかと思った」と言われた伝説の回です。実際、当たらずとも遠からずだった。
母の実家には24日の昼ごろに伺ったんだけれど、11時くらいに着くからね、って言っておいたのを13時と勘違いしたばっちゃは、ちょうどわたしが着いた時に買い物に行こうとしてました。笑
なので一緒に買い物行ってお昼ごはんを買ってもらって(だいたい寿司か刺身を買って食べる)(日本海側の生魚はうまいので)、お土産を渡してお茶して帰りました。
この回では父の実家でも母の実家でも、両親が結婚した頃の話とか、田舎地域特有のヒエラルキーの話とか、そういう話をたくさん聞いて面白かったですね。
そしてこの時もなんだかんだ色々持たされました。
おかき類が父方のばっちゃから、洗剤とゼンマイの乾燥させたの(黒い物体)とじゃがいもが母方のばっちゃから。毎回密度の大きい物でこちらの肩を破壊してこようとするばっちゃであった。わたしは当然のように翌日筋肉痛になった。
④2017年3月28日~3月30日
2泊3日で両方に1泊ずつしようぜ!の回。なんだかんだで年に1回は行くのが習慣になってきた頃である。この回はwith一眼レフしたのでスタートから割と重装備。順番としては母の実家→父の実家で、父の実家に泊まる日にフィギュアスケート世界選手権を一緒にテレビで見るためにこういう順番にしました。(父方のばっちゃや叔母さんは真央ちゃんファンしてたのでスケート見ることに前向き)
この時はたぶんすきやきをもらいました。夜ごはんに。電気鍋で食卓上で作るタイプのすきやきで、とってもおいしかったです。写真は撮り損ねました。
そして恒例のお持たせが史上最大に重かった回でもあります。
怒涛の缶詰攻撃。そして地味に痛いりんご。
これに加えて、父方のばっちゃから米3合分くらいを使った巻き寿司をもらって、さすがにこれは1人で家まで帰れない、とはじめて思い、ついったで「何時ごろに上田駅に着きます、そこから我が家まで荷物運びを手伝ってください、謝礼はばっちゃ作の巻き寿司です味は保証する」と募集をかけて運んでもらいました。
それでも上田につくまではこの荷物を1人で抱えるしかなかったから、全部あれこれ持ったまま金沢駅を歩き回ってお土産を調達しました。とあるお店で「荷物すごいですね……?」と心配されて、そこから心温まるトークをしたのもいい思い出です。
⑤2017年9月5日~9月7日
再び2泊3日で両家回るぜ!な回。今度は父の実家→母の実家という順番でした。
夜ごはんにもらったのはシチューです。あと買ってきたお刺身。盛り合わせパックのツマの下に保冷剤が仕込まれていたので「こんなんで嵩上げして、けちくさい」とか言ってて、わたしは爆笑してました。
ごはんもらったあとは2人でグラチャンバレーを観戦。
そして、この回は珍しくお持たせが少なくて、母方のばっちゃから梨が2つとトマトでした。(だから写真は撮ってない)
ばっちゃはトマトが嫌いで(特に皮が嫌い)、同居している叔父さん家族もあまりトマトを食べないからわたしに回ってきました。この9ヶ月後にもう一度トマトが回されます。(ネタバレ)
⑥2018年6月2日~6月3日
FaOI金沢のために金沢に行くことが決まっていたので、ついでだし!と宿にさせていただいた回です。チケット代(SS席、2諭吉)の話をしたら綺麗にずっこけてくださいました。ありがとう、いいリアクションだ。
夜ごはんは何をもらったかな。覚えてないな。なんだったっけ。
この時は教育実習でいとこが大阪から帰ってきていて、わたしが着いた頃にいとこと叔母さんがどこかに出かけていくのを見ていたんだけど、「そういえば」ってその話をしたら、色々と文句が出てきて面白かったです。曰く、「彼らだけ美味しいごはん食べに行くんだ、ばあちゃん置いてけぼりにして」とのことでした。彼らの付き合いの一環だってわかってるから連れてってとは言えなくて、でも普段のごはん作ってるのはばっちゃだから、積もるものがあったみたいです。笑
もらったものはいつもどおり食べ物と、今回は変わり種で靴下。
友達に「あんたもこういうの履いたらどうや」とお洒落な靴下をもらったはいいものの、やっぱりこんなハイカラなのは自分に似合わない、と言ってわたしに流れてきたものたちです。ちょうどレースの靴下ほしかったから全力で喜んでもらってきました。
この回が宿泊した最後の回だったね。
⑦2019年6月15日
母方の祖父の十七回忌です。わたしは翌月曜日に研究室の報告会という鬼畜スケジュールだったため日帰りで、パソコン抱えてはくたかに乗り作業をして、かがやきとサンダーバードで来る姉たちを駅で待ちながらやっぱり作業をして、親と合流してばっちゃ宅へ着いても法事が始まるまでやっぱり作業をし続け、法事後は帰りの新幹線までちょっと時間があったからと、しばらく母の実家でのんびりしていたんだけど、その時もやっぱりパソコンを叩いていた。
このときにがんがあること、その手術のために今夏入院することを伝えられました。同居する息子夫妻&孫(←孫=わたしのいとこ)や娘(母)より先に上田に暮らしてて普段いない孫のわたしに。
ばっちゃ「この話な、初めて人にしたんよ」
ぼく「まず息子や娘では???????」
びっくりしたやん……。
この回でもらったのは輪島塗のお盆です。
そして帰宅後衝撃の事実が判明した。
これ、わたしがもらってよかったものなんか??
もらったけど。ありがたく使わせていただいていたし、上田で処分なんかせずに、実家にもちゃんと持ってきたし。
ばっちゃが元気で、家にいるときに会ったのはこれが最後。
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葬儀を終えて、わたしたち鶯家組はそれぞれの家に帰るために、ばっちゃの部屋を借りて、礼服から普段着へと着替えたんですけど。
わたしが1人で泊まりに行く時や、母と2人で泊まった時は、ばっちゃの部屋で寝ていたんですよ。ベッドと箪笥の隙間にギリギリひと組布団が敷けるから、そこで寝るの。今地震きたらもうわたしここから抜けられねぇ……とか思いながら寝てた。
ばっちゃは夜に必ず一回トイレに起きるから、「踏まれんように注意してね」とこちらに言ってくるわけで。寝ているのにどうやって避けろと。笑
……とか、そういうことを思い出してしまったら、また泣きそうになってしまった。その日は、それまでに散々泣いたのに。
ばっちゃの部屋はばっちゃが元気だったときに見たそのままだった。主人を喪った部屋や家具たちが、健気で寂しく見えた。
これから時間をかけて、あの部屋は空っぽになるのでしょう。
そうしていつかの未来になれば、この寂しさもどこか遠くに忘れてしまうものなのでしょう。
時は不可逆に進んでいく。だれの前でも平等に。
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最後にちゃんと話ができたのは、お年玉をもらったときにした電話でした。12月22日。そのときに修論がんばれって言われて、がんばるって言って切った。
正直、その時から、来年はないのかな、と思っていた。
お年玉をくれた現金書留の住所の記入文字を見て、直感で「もうわたしはこの先ばっちゃからこうして何かをもらうことはないんだ」って思ったの。これがきっと、手書きの文字を見れる最後の機会なんだと。そして泣きそうになった。
そんな幸先の悪いことを思うなんて、って葛藤して、覆したかったけど、覆せそうになかったから、その現金書留の封筒は、大事なものを入れておくファイルにきちんとしまった。
お礼の電話をしたのが12月の電話だけど、電話を切る時にもそれは感じた。
いつもなら、わたしが「また遊びに行くね」って言うと、「またおいで」と返ってくるのに、あのときの電話では、ばっちゃははっきりとそういうことを言わなかった。代わりに「元気でやるんだよ、がんばるんだよ」と言った。
それは入院中だったから、おいでと呼べる場所にいなかったから、それだけかもしれないけど、だけどわたしは、封筒の文字を見たときと同じ感情になった。この電話を切った後も、やっぱりわたしは泣きそうになった。日曜日の夜のこと。
3月15日に会えてよかった。生茶を飲みたいっていうわがままを叶える手助けができてうれしかった。
上田に引っ越した時には、布団ももらいました。余ってるからって。おかげで時々、実家通いの友達の仮眠室にもなりました。いい布団をどうもありがとう。これも実家に全部持ってきました。
寂しいけど、悲しくはないと思えるのは、大学生活中におそらく自分の実家よりも多く足を運んだからなんだろうな。ありがとうな、過去のわたし。
……締め文わかんなくなっちゃったから締めないで切ります。ごめんなさい。笑
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