調布飛行場の掩体壕
調布飛行場は島嶼部定期便のプロペラ機が離着陸する、極めてのどかな雰囲気の飛行場である。
しかし、先の大戦時には帝都防空(東京防空)の拠点として、主に日本陸軍の三式戦闘機・飛燕を駆った飛行第244戦隊が、米軍の超空の要塞B29爆撃機の迎撃を行なっていたのだ。
この辺りの状況は「飛燕戦闘飛行隊 - 帝都防空の華・飛行第244戦隊写真史(菊池俊吉氏/桜井隆氏 著)」に詳しく記されている。
僕は小学生の頃、調布飛行場がまだ一般に開放される前から(勝手に侵入して)、成人してからも平成の大改修が行われる前までは遊び場(溜り場?)として頻繁に訪れていた。しかし、地元民でありながら有蓋掩体壕の役割についても244戦隊の存在についても、上記の「飛燕戦闘飛行隊 - 帝都防空の華・飛行第244戦隊写真史」を手にするまで全く知らなかった。
その三式戦闘機・飛燕を格納していたのが、有蓋掩体壕である。調布飛行場では現在、二基の有蓋掩体壕が保存公開されている。僕が子供の頃のように放置されてはおらず、保全のためにしっかりと柵が張られ、天蓋の崩落を防ぐ処置も施されているそうだ。
掩体壕の前には、精巧なブロンズ製の飛燕と掩体壕のモニュメントもある。二基の掩体壕の傍らには、ちゃんと解説を記したプレートも立てられている。
現在はどうか分からないが、調布飛行場に隣接する「武蔵野の森公園」の管理事務所に行くと、掩体壕について詳述したパンフレットを貰えた。
僕が小学生の頃だったと思う。場所はたぶん「読売ランド」だったと思う。なにぶんにも半世紀以上も前の事で、記憶も相当あやふやだ。
広場のような場所に銀色の飛行機が置いてあった。コクピットに入れるようになっていて、何人かの子供が列を作って順番待ちをしていた。僕の番が来てコクピットに座ったが、随分とボロボロだったし操作して音が出るとか何か動くとかいう事もなく、すぐに飽きて降りてしまったように記憶している。
当時、子供心にも「この飛行機はひどい扱いをされている」と思ったことが強く印象に残っている。
僕はいつの頃からかは忘れてしまったが、この飛行機が「飛燕」だったのではないかと思うようになった。その後、あの銀色の飛行機はどうなったのだろう。ちゃんとレストアされて、どこかで大切に展示されていたら嬉しい。
追記:気になったので調べたところ、1968年3月から5月まで「飛燕二型改 試作十七号機」が読売ランドで展示されていた。やはり、僕が乗ったあの飛行機は「飛燕」だった!
この機体は近年修復され、現在は岐阜県の「各務原航空宇宙科学博物館」に展示されているそうだ。ほんとに良かった。