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「家族の見直し」③ 大谷翔平と20年前の阪神タイガース

昨夜
離れて暮らしている次男が
夕食を食べに来た

MLBのドジャースの試合の録画を家族で観ていた

主人は大谷翔平のことになると目の色が変わり
饒舌になる
試合を観ている時は
魂が画面の向こうに抜け出ているかの様で
怖くて直視できない。笑

大谷翔平の記録に興味がないわけではないが
私は久しぶりに時間を共にする次男との
会話の方が楽しかった

SNSで面白い動画や投稿があれば保存し
息子に見せて笑いを共有をする

例えば先日SNSで
「このアンパンマンスタンプの使いどころが
わからない」という投稿


笑った


コメントには同じことを思っている人が
たくさんいて
自分の使いどころの紹介など
このスタンプを入れた相手の反応が
ほぼ「は?」なのもおかしかった。

ちなみにこれも同類に匹敵する

あなたならいつ使いますか?笑



アンパンマンのスタンプが欲しくなりながら
ドジャースの試合を尻目に(私は)
他の話などをケラケラ笑いながら話をしていると

主人に会話をやめて。と手振りで言われ
大谷の打席だから観て!と言われた

一瞬
「あ、ごめん!」と言ったものの

え?
どういうこと??
久しぶりの母子の会話を遮ってまで
観なければいけないものなのか!??

軽快に話している私が
「ごめん!」と話すを急にやめたので
次男は「いや、別にいいよ〜」と話を続けかけたが
私のテンションが一気に落ちた。



以前の私は
このフツフツとしたものを
この感情をカチカチにして
自分の中に貯めていた
(無意識に)

昨夜は
自分でも思った以上に
次男と話をしている時
「たのしそうやなぁ私」と俯瞰していた。

その自分を
正直に表現し伝え
もうカチカチにして押し込むのは
やめる!

何故なら
この30年以上
察することが苦手な主人に
分からないあなたがおかしい。と
察することを求め続け
私をどんどんしんどくしていったのは
エゴと言う名の自分なのだ。

どちらもおかしくない
どちらが間違っているわけでもない
お互いの性質なのだ。

あなたはそういう人なのですね
私はこういう人間です。
夫婦だからとちゃんとした〈自己〉紹介もせず
やってきていた。

お互いを認め
少しでも歩み寄る
その努力が欠けていた。


そんなことを考えていたら
記憶の扉がパーン!と開いた

20年も前のこと
家で阪神タイガースの試合を観ていた時の記憶

当時の私は
会話のキャッチボールがなかなか出来ない主人に
ストレスを感じていた
何かに没頭してストレスから気を逸らしたかった
息子と毎月のように甲子園に観戦に行き
阪神タイガースの応援に一生懸命だった

(完全にベクトルが外向きの暗黒時代でございます)

テレビは9回の裏、2アウト、満塁
ヒットが出ればサヨナラ勝ち
テレビにかじりつき手に汗握って観ていた
その時の私は今の誰かと同じ
画面の向こうに魂が抜け出ていた。


その時だ

主人が驚くほど大きなオナラをしたのだ。

えーーーーーー!!

(スミマセン。こんな話で)

今の私なら笑っていただろが 
その時の私は魂が抜け出ている
その場を「笑う」余裕などなかった

この場面でするか!?と
イラっとした私は
「緊張感無さすぎ!!!」と
半分冗談
半分本気
笑顔なしで言い放った

顔を真っ赤にした主人は
プイッと怒って部屋を出ていってしまった
生理現象とは言え
ある意味グッドタイミングで出たものだから 笑
恥ずかしかったこともあっただろう
今だから分かる自分だ。

その時は
「冗談も通じないんやから」と
私は自分を正当化した。


昨夜はオナラこそしなかったが 笑
似た場面がまた巡ってきた
苦い思い出を変えるチャンスが来たのだった

(今回の経験で気づいたこと書いてます)


一夜明けて
私は素直に心のうちを主人に伝えた

今、家族以外
会話をする相手があまりいないこと。

昨夜次男と話している自分がとても
喜んでいたこと。

それを遮ってまで観ないといけなかったのか?と
疑問に思ったこと。

そこで思い出した20年前のこと。

主人は覚えてはいなかったが
笑って聞いていた
私も話していると笑えて来たのだった


またやってきた似た場面
魂が抜けるほど当時没頭していた私は
言葉の配慮が出来なかったことを謝った。



主人は昨日のドジャースの試合を
先に観て知っていた
この打席で大谷がホームランを打つと分かっていて
次男とその場面を共有したかったのだ
久しぶりに来た次男と
自分が楽しいと思うことを共有したい思いは
アンパンマンスタンプの私と同じだった。

録画だから私の会話を遮ってまで
いうことでもなかったごめん。
と主人が言った。

 


今日は秋分の日だ
エネルギーが変わる


今またゴロゴロと雷がなっている
変わるきっと。


変わる訳ないと思っていたことが
いとも簡単に変わってしまうような
思った以上に短時間で変化して行くことなど
〈思いも寄らない〉ことが
この9月を皮切りに起こっていく様な気がする


悪くなっていくようで
実は良くなっていくんだね。












 

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