見出し画像

修羅場の先輩たちがみんなやさしい

毒を吐くにも元気が必要

きょうもきょうとて、毒noteシリーズの続きを書こうとしたのだけれど、あまりにも疲れていて、毒を吐き出す元気がない。

わたしが「毒note」と呼んでいるのは、要するにこのシリーズのことだ。

下書きフォルダに入っているのはこういうかんじ。

○ 「親が死ぬ」というライフイベント(これはこの記事だな)
○ ワンオペ家族ゲーム(性別役割分業)
○ 権力闘争の場としての家族(世代間ギャップ)
○ 「尊敬する人は両親です」マジ?(親ガチャ子ガチャ)

あくまでアイデア帳なので、実際はどうなるか知らん。なにができあがるかは、書き始めてみないとわからない。

先輩たちがみんな優しい

4年前に父親を膵臓がんで亡くした友人が、頻繁に訪ねてきてくれるようになった。中学校からの友達で、超絶ハイパーキャリアの持ち主。昨年はずっと彼女の抱える長年の問題に取り組むべく、ほぼ毎月定期的に占い師として会っていたのだけれど、それはもうだいたい解決した。大荷物を運び出すために車を出してくれたり、話し相手になってくれたり、それだけじゃなく、もう数えきれないくらいのサポート、いろいろだ。

ずーっと長らく鍼灸治療の患者さんとしてきてくれてた60代女性の方々は、みんな筋金入りのプロ主婦だ。いまのわたしの現状をヒアリングすると、腕利きの専門家ならではの真剣な顔でわたしにいくつか質問をして「それはきつい!大変だ。ひとりじゃ無理だ。体を壊したら大変!なんとか生き延びないと」と言う。近所の人は「話を聞くくらいしかできないけど、いつでもピンポン押してね」と言い、道ですれ違えば立ち話してくれる。

みんな優しくて、みんな具体的で、みんなしっかりみててくれて、いろんな配慮をさりげなくしてくれて、ほんとうに優しい。形は違えど、みんないろんな形で困ったり悩んだり大変だったからこそなのだろう。

「親が死ぬ」というライフイベント

「親が死ぬ」という出来事は、世の中で数えきれないくらい多くの人が経験している。お子さんが自分より先に亡くなった、というお話もときどき伺うけれど、比較すれば「親が先に死ぬ」ほうが多いだろう。もちろん自分が親より先に死んだら体験できないし、親と絶縁していて拒否してもたぶん連絡くらいは来てしまうのだろう。

多くの人が体験したことのあるテーマにまつわる話、これは多くの人の中にいろんな感情を巻き起こしたり、記憶を蘇らせたり、その人をいきなり饒舌にさせたりする。

妙な例えかもしれないけれど「ぎっくり腰になった」とか「生理痛に悩まされてる」とか「慢性的に頭痛で」とか「人生でずっと不眠」とかいう話題は「そうなの!わたしも」とか「家族がそうでね」なーんて、共感を得られたり、そこから話が広がりやすい。でも「珍しい、希少難病になった」と言っても、周りはどうリアクションしていいか困って、場が沈黙したり、微妙な空気になったりする。

「親が死ぬ」というライフイベントの話はたぶんものすごくメジャーな、多くの人が体験していて、それぞれの物語を抱えている普遍的なテーマにつながっているのだろう。

自らがとても若いうちにその体験をした人たちのお話は、仕事柄お伺いすることが多い。もちろん年をとってからでも、その体験が人生に大きな影響をもたらす人たちもいる。

あの世が近づく

「ペットが死ぬときは、純粋に悲しい。ただ悲しくて辛いだけで、ひたすら泣ける。でも、人間だとそうはいかない。自分の親が死んだときは、悲しいよりも、もっと複雑でホッとする気持ちや、面倒なことが増えて大変だったりしたな」と正直な気持ちを教えてくれた人たちもいる。

うちのペット、もう1年半くらい介護しています。もうすぐ16歳6ヶ月。まだまだしぶとく生きているけど、いつもうあの世にいってもおかしくない。とかぱちぱちキーボードを叩いてると「早く寝ようよ」とさっきからしつこく呼びにくる。おげんきおげんき。

ペットもニンゲンも、だんだんあの世が近づいてきているこのプロセスに、辛抱強くおつきあいするのがいまのわたしの仕事だ。いまはぜんぜんまだ序の口で、人生でたぶんいちばんハードなのはこれからだおもうけれど、すでにくたびれ果てている。寝たい。

占い世界でのあなたの探検が、よりよい旅路となりますように!