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イキりマウント冷笑人間ー映画『月』と相模原障がい者殺傷事件
『月』という映画はイキり映画だったのか、真実を深く突き詰めた映画だったのか、どっちなんだろう。
「おれは“現実”を知ってんだ。オマエは知らんだろう。だから、オマエの言うことは聞くに値しない」と論破する。これ、イキりたいときのパターン。
もしくは、
「俺様の考えは深い。オマエは単純だ。だから、オマエの言うことには価値がない」
これもイキりマウント冷笑人間がマウントをとってくるときのパターンだ。
こういうキャラに限って「平和」や「人権」と口にすると、エサを待ち構えてたかのごとく、食らいつく。
そんな飢えてんだったらもっとエサやろうか。「人権をもっと考えようよ」と言うと(というエサを与えると)、こっちがまだ意見を述べてないうちからもうニヤリと笑みを浮かべ、「オマエは現実をわかってないなー」と独り言ちている。
いやいや、まだなんも言ってないやん(笑)言う前からマウントとろうとするポーズやめてくんない?
イキりやマウントはそのイキりやマウントをとる対象から養分を得ている。そして、議論は一向に深まらず、議論や知性があたかもパワーゲームのようになってしまう。背景や因果関係への精緻な分析は放り出して、“黒幕”や“陰謀”というエンターテインメント性を持った悪者が登場する。
映画『月』のメッセージが「社会には障害者がいなくなればいいという本音を隠している」というものだ。この“本音”という言葉を振りかざして、『月』への批判をすべて“偽善”だとして一蹴する権利を与えられたと制作陣は勘違いしているんじゃなかろうか。
声が大きいからぼくたちはいちいち振り回されるけど、イキり声ってどこか自分からも遊離しているし、自分の生活からも遊離してるんよね。。
深けりゃいいのだろうか。セカイ系な言葉をつぶやけばカッコいいことを言った気になるのだろうか…………..文学的ってやつか?
自分の言葉が未熟で露骨だからと言って、哲学的な言葉をまぶすな、バカ者よ。
ちょっと味付けが足りないからと言って、ちょっと自分の言葉にハキがないからと言って、哲学的な言葉をふりかけみたいに使うな、バカ者よ。
そうするぐらいなら、未熟さ、アホさを晒したほうがずっとマシだ。未熟さ、アホさとは他者と生きるが故の戸惑いであり、ままならない身体を持つがゆえの自己中心では生きられない不自由さなのである。