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神様からのプレゼント

私は、鮮明に覚えている。
世界が一変した、あの日を。
決して忘れることは無い。
私が、私でなくなった瞬間を。
戻らない日々を追いかけて、悔しさに泣き濡れた夜を。

22歳。
未来への夢と、希望に満ち溢れた活発な明るい女の子。
仕事に、趣味に、遊びに、恋愛に、充実した毎日を送っていた。

昼間は工場で働き、夜はbarへ、NPO法人の地域活動の催しの手伝いや、音楽イベントの主催、着付け教室にも通っていた。
家族や友達、仲間にも恵まれ、当時のパートナーと出会った矢先だった。

それは、前向きに生きていた日々に突然やってきて、全てを洗い流してしまった。
12月初旬、寒さにコートを纏う夕暮れ時。
クリスマスに行われる市民会館のイベントでの、司会進行を頼まれていた。
その打ち合わせの帰り道、車の運転をして家路に向かっていると、突然、家に帰る道がわからなくなった。
いる場所から、家までの道筋が思い浮かばない。
かつてない不安に襲われながらも、なんとか家路に着くことができた。

翌日、工場の仕事へ行った。
時間の感覚が抜け落ちてしまったようで、思考は断片的になって一向に繋がらない。
妄想と現実の境目が無くなって、かつてない恐怖心に動揺していた。

作業をしていると、母親が居なくなってしまう姿が脳裏に鮮明に現れ、いてもたってもおられず、作業を中断して、帰りの電車に乗った。
気付くと、駅のホームの黄色い線を越えたところでしゃがみこんでいた。
駅員さんに保護してもらい、改札から出た。
家に帰ると、母親はなんともない。いつも通りの様子だった。

これまでに積み重ねてきたものが、壊れていくまでに、そう時間は掛からなかった。
周囲も私の異様な様をすぐに察知していた。
奇行も始まり、だんだんと、会話することも出来なくなっていった。
思考のみならず、身体も思うように動かせなくなり、硬直する時間も長くなっていった。

家や行く先々には、どこを探しても見当たらない、監視カメラとスピーカーが仕掛けられ、私に指示を出す声や演出が施された。

世界が変わったのだと真剣に捉えていた。世界の終わりが来たと。
意識は常に朦朧としていて、身体は突発的に意図しない動きをする。
現実に話しかけられても、瞬発的に答えることができない。
なんとか返事をしようと声を発した時には、もう相手はおらず、誰もいない空間に、か細い声が響いていた。

肉体はあるが、感情が無いような、空っぽの状態だった。

そんな状態が1年4か月続いた。
私は、私でない日々を過ごして、衰弱しきっていた。
その頃には、自力で食事をすることも、排泄に行くことも出来なくなっていた。

4月の、あたたかい陽射しが差し込む朝、救急隊員が部屋に入ってきた。
救急車で病院に運ばれ、病院に着くと、腕と板を固定された状態で、点滴の投与を受けた。
車いすに乗せられ、建物を移動した。
看護師さんが鉄の扉の鍵を開けて、それまで傍にいてくれた母親と離れることになった。
母は、目に涙を溜め、心配そうに見つめ、
「がんばるんやで」と言って、大きく手を振っていた。
胸が苦しく、不安な想いが全身を駆け抜けた。

廊下を進み、エレベーターに乗った。
エレベーターの扉が開くと、また鍵のついた扉が二重あって、奥の扉には、数人が張り付くように、こちらを見ていた。震えながら廊下に座り込んでいる人もいる。

精神病院の閉鎖病棟だ。

まず、連れられたのはお風呂だった。
もう何日も着の身着のままで過ごしていた。
家の中でもずっとコートを着ていた。
黒のエレガントな立ち襟の黒いコート。
活動的だった頃の思い出がたくさん詰まっていた。
私にとって、鎧のようなものだった。
二人掛かりで、服を脱がされる。はじめて出会った人たちに。
とても恐ろしく、全てを丸裸にされた気持ちになった。

白い天井と白い壁。音楽室の壁のように、小さな穴がたくさん空いていた。
しばらくして、トイレに行こうとすると、ベッドと腰が拘束されていて、立ち上がる事が出来なかった。
慌てて駆け付けた看護師に介助を受け、ポータブルトイレで見守られながら用を足した。
いつの間にか、おむつを履いていた。

いたるところで、叫び声や泣き声が響いていた。
ホラー映画の世界のようだが、現実の恐ろしさを感じた。

病院に入って、その日の内に、夕食を食べられるほどに意識はゆっくりと回復していった。
食事はトレーの上におかゆとおかずが2皿。灰色でどろどろだった。
全て完食した。

ひとつひとつと、周囲を認識できるようになっていった。

医師との初めての面談で、体調を尋ねられた。
「(これまで聞こえていた)声が聞こえなくなりました」と、私は答えた。
すると医師は、
「それは幻聴です。あなたは統合失調症という病気です」と言うと、統合失調症の症状が書かれた冊子をもらった。

幻聴、幻覚、妄想に支配される・・・
100人に1人がかかる等と書かれていた。
症状は全て身に覚えのあるものだった。

意識が戻ってきたと、安堵したのは束の間だった。
かつての私を取り戻す為の闘いの日々が始まった。

退院して、まず困ったのは、わずかに幻聴が残っていること。
幻聴とはわかってはいるものの、気に掛かる。
家の中でイヤホンをつけて音楽を聴くことで紛らわせた。
食事の際に、食べこぼしをしてしまう為に、食卓に鏡を置いて食事をすることもあった。
肘が、自然と曲がった状態になってしまったり、寝たきり生活で、歪んだ姿勢を治すために、頭の上に本を乗せて歩く練習をした。

精神病であることを悟られないよう、一生懸命、普通を装った。

Sサイズだった細身の体型は、入院してから、わずか一か月でLサイズになった。
大好きだったファッションは何を着てもしっくりこなくなった。
病気になるまでは、見た目に自信のある方だったが、別人になったようだった。

身体は疲れやすく、ベッドで横になる時間が増えた。
思う存分に仕事をして、好きなものを買ったり、遊びに行くという、当たり前にしていたことが出来なくなった事が、何よりも辛かった。

20代女子。周りは海外旅行に行ったり、大きな買い物をしたり、結婚をしたり、大人の女性になっていく中で、取り残されているように思えた。

心は、いつも、どこか不安だった。

死にたいと思うようにもなった。
家族や友達には、明るく振る舞った。

ずっと、私を支えてくれた家族より早く先立つようなことは、私には出来なかった。

病気になんてならなければ、私の人生どんなに華やかだっただろうか。
病気になっていなかった場合の人生を想像しては、惨めな気持ちが溢れていた。  

死にたいわけじゃない。
私は、生きたいんだ。
そう気付いた時、心がふわっと軽くなった。

もっと元気に生きたい。もっと周りを喜ばせたい。もっと、もっと、、、

精神安定剤が、私の途切れた脳の回路を修復したことは、紛れもない事実であるが、暗く閉ざされた心に光を灯し、前を向いて生きていく力を注いでくれたのは、常に、家族の献身的な愛情があったからだ。

発病した当時の記憶は、普段の記憶よりも鮮明に覚えている。
意思疎通は出来なかったけれど、はっきりと見て、聞いていた。

家族みんなが、私の命を守るために、心が落ち着くように、接してくれていた。
「何も心配するな。」と、へんてこな私を外へ連れ出してくれた。
硬直する私を抱えて運んでくれた。
嘔吐をもよおした時、両手を器にして受け止めてくれたこともあった。
変わり果てていく私を、慈悲深い表情でみつめ、笑顔を見せてくれた
手を繋いで散歩に行った。
私の少ない表情やジェスチャーから、汲み取って寄り添ってくれた。
何か出来ると、赤子のようにたくさん褒めてくれた。
お化粧をして、髪の毛を整えて、服を選んでくれた。
夜通し徘徊した時も、みんなで探し回り、不思議なほどに、必ず、みつけ出してくれた。

回復してきた当時、今までのように出来ない。迷惑ばかりかけて辛い。という想いをこぼした時にも、
「あなたが、自分でご飯を食べられるようになっただけで、お母さん幸せやで」と言ってくれた。
その言葉に、救われた。

私は病気と闘うことを諦めた。受け入れて、共存していくと決めた。

私は、私として、生まれてきて良かったと思う日もあれば、疑問に思う時もある。
だけど、それらの葛藤を含めて、生きていて良かったと思える瞬間が、必ず訪れる。
良いも悪いも、それらを感じられる心が在ることを幸せに思う。
慈愛に満ちた、家庭に生まれたことに、かけがえのない感謝と、誇りを持っている。

誰しもが巻き戻しの利かない人生を生きている。
それならば、人生を豊かに生きたいものではないか。

病気になってこそ、わかった尊さがある。

閉鎖病棟の窓から見た空の美しさ。
季節の風の恋しさ。
だれかを想う愛おしさ。

病院から外へ出た時の、どこまでも広がる青空と、白い雲の美しいコントラスト。
太陽のやわらかな光。肌を撫でる風のやわらかさ。

その全てを全身に受け、私たちは、平等に、自由の中に命を授かり、自由の日々の中に、生きていられることの尊さを、心から感じられた。

人生に起こることは、全てが意味を持つ。
信じる心に奇跡が宿る。
当たり前と思われるようなことに、感謝を捧げられる心の豊かさを得られたこと。
それは、神様からのプレゼント。

そのことに、気付くことができるようになる為に、与えていただいたプロセス。

人生は豊かで尊く、唯一無二の魂を持つ。
生きている日々に、生きている意味を見出し、受け継いだ生命のバトンを大切に生かすことが、生きるということ。

それぞれの役割を担い、支え合い、高め合っていく、それが、人。

この世界は美しく素晴らしい。
私の人生は豊かで尊く素晴らしい。
きっと、あなたの人生も。





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