【L'Essentiel】〈後編〉 陳腐さの正体
前夜に訪れたドーヴィルの一つ星レストランL'Essentiel。
前菜のカルパッチョを「刺身にふりかけをまぶしたような」と表現したのは、我ながら上手かったのではないか。
ひとり思い出し笑いをして悦に入る。
それにしても、ひっかかる。
アジアンテイストへのこだわりはなぜ?
旨味があるのにどうしておいしくない?
というわけで、翌朝、レストランに併設されたショップを訪れてみた。
何が売られているのか、彼らがショップでわざわざ発信したい文化とはどのようなものか、確かめてみたいと思った。
執拗な追いまわし?
いやいや、北村紗衣『批評の教室』にも、批評というのは「ストーキングが許され、むしろ評価される唯一の場です」と書いてある。
いざ突撃。
レストラン同様、シンプルで心地のよい店内。
アップルストアのようだとでもいえばよいだろうか。
栗原はるみっぽいともいえる。
そして、目に飛び込んでくるものに、思わず固まる。
ここは日本なのか。
わさび風味のポテチ、そうめん、柚子ジュース、弁当箱、和食器、土鍋。
これでもかとばかりに日本の食材や製品が置いてある。
そして見つけてしまった!
「サラダにかけて食べるふりかけ」。
ふりかけ!!
「FURIKAKE UMAMI」。
ふりかけ!!!
「ふりかけをまぶしたような」ではなく、本当にふりかけだった。
あの人たち、本当にふりかけを使っていたのだ。
三河みりんまで置いてある。
意識高い系主婦の皆さんがご愛用との噂。
日本だけでなく、韓国やタイの調味料も置いている。
アジア志向は、骨の髄まで染みこんでいるようだ。
これみよがしに陳列された「私たちの成功の秘訣」に、頭を抱えた。
真にクリエイティヴな料理と、シェフの気まぐれ料理との間には、明確な境界線がある。
計算され尽くした意外性と、軽はずみな思いつきとの間にも、厳然たる差がある。
前者が「型破り」だとすれば、後者は「型なし」なのだ。
インスピレーションは、試練を乗り越えて初めて、意味のある創意工夫へと昇華されるのではないか。
日本の「UMAMI」をリスペクトするのなら、ふりかけなんて使っていないで真面目に旨味を勉強するべきだと思う。
本当の「おいしさ」とは何か、真摯に追及するべきだろう。
日本の食材や食器などと並んで、こんな本が置いてあった。
「漫画の国への旅」?
日本という国の文化に対するこの店の理解がどの程度のものなのか、底が知れてしまった。
料理に対する向き合い方を見る思いがした。
料理というのは恐ろしい。
ショップで露わになったこの店の料理哲学は、皿の上にしっかりと表現されてしまっているのだから。