私が食べる理由
学生時代の中島みゆきは「コンテスト荒らし」で鳴らした。
各地の音楽祭で次々と好成績をおさめ、破竹の勢いだった。
ところがレコード会社からのオファーにもかかわらず彼女がプロデビューをいったん辞退したことは、ファンのあいだでは知られた話だ。
「私が歌う理由」と題された谷川俊太郎の詩を突きつけられたからだ。
私が歌う理由って?
その後デビューした彼女が1991年、満を持して発表したアルバムは『歌でしか言えない』と題されていた。
歌でしか言えない。だから私は歌う。
そう言えるまでに20年もの時間が必要だったのだろう。
ル・アーヴルにはミシュラン掲載店が4つある。
人口8,000人のオンフルールに9つ、4,000人のドーヴィルに5つあることを考えれば、人口20万人のル・アーヴルには4つしかないと言うべきだろう。
殺風景な港湾都市。
食べることを楽しむ余裕なんてないぜってことか。
ちなみに、この旅の導きの書である辻静雄『ヨーロッパ一等旅行』によれば、ノルマンディーとブルターニュは1978年のミシュランガイドによって食の「不毛地帯」のレッテルを貼られている。
もちろん、食の産地としてではなく、おいしいものを食べさせる店が少ないという意味だ。
ホテルのフロントにお願いしていくつか電話してもらったが、目当てのレストランはいずれも満席か定休日。
この街のミシュラン店で食事をする望みは絶たれてしまった。
ネットでは満席となっているものの、直撃すれば入れてくれるかもしれないと思いはるばる歩いて行ってみたが、それもダメだった。
わずかな希望さえも砕けた。
残念。
困った。
本当に困った。
食べるものに困るというのもそうなのだけれど、「食」という手がかりを絶たれて、この街で何をすればよいのだろうと途方に暮れた。
僕は、芝居や音楽のことはまるでわからない。
(中島みゆきへの偏愛は別として。)
絵画や建築についてはそれなりに関心があるし、映画もまあ観ているものは観ている。
それらを手がかりに、都市について、街について知ったり考えたりすることはもちろんあるけれど、借り物の知識という感じがどこか消えない。
まあ、そうも言えるかもね、というくらいの感触だ。
しかし食べているとき、食べ物について考えているときには、確かな手ごたえがある。
これはわかるぞ、これはダメだ、これはいける、これはのけぞる。
言葉も通じなければ、歴史や文化に詳しい訳でもない街でも、食べ物を通じてなら、この食文化にかかわっている人たちの考え方やセンスや哲学がわかる。
人によってはそれが文学だったり、デザインだったり、ファッションだったりするのだろう。
自分にとっては、それが食なのだと思う。
手がかりを奪われ、改めて気がつく。
自分は食を頼りとして街を歩いているのだと。
生きるために食べるのではない。食べるために生きるのだ。