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サンラザール駅から

今回のフランス滞在は基本的にはパリにこもるつもりなのだけれど、それだけでは息が詰まりそうな予感がしたので、一度だけ遠出をすることにした。

行き先はノルマンディー。

一つ目の理由は、行ったことがないから。
ところが、行くと決めた後に知る。
ジヴェルニーもモン・サン・ミシェルもノルマンディーとのこと。
行ったことあるわ。

もう一つの理由。
エリック・ロメールの映画『夏物語』の舞台を歩きたい、確かノルマンディーだったよなあ、と思った。

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日本を出発する直前に慌ててパンフレットを探し出し、ページをめくってみれば・・・
主な舞台はお隣のブルターニュなのだった。
とほほ。
ノルマンディーもちらっと出てくるけれど。

というわけで、なぜ行くのだかよくわからなくなってきたけれど、とりあえずパリ・サンラザール駅を目指す。

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ヴォルフガング・シヴェルブシュの『鉄道旅行の歴史』は、近代文化論の白眉だろう。
この本に出会ったおかげで、僕はいま研究者でいられるのだと思っている。

19世紀ヨーロッパの鉄道文化についての分析がメインだが、駅についての記述も面白い。

駅は「奇妙な二つの部分」から成り立っている。
都市の方を向いた石造りの正面玄関と、
地方に向いた鉄とガラスの構内ホールだ。
それは、「半分工場、半分宮殿」と呼ばれた。

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「半分工場、半分宮殿」とは上手く言ったものだ。
19世紀の都市において鉄道や駅は、工業に「汚染」された異様な存在だった。
それは都市に溶け込むものでも歓迎されるものでもない。
いまでもロンドンやパリにおいて、駅は外縁部に突き刺さるように立地している。
日本でも熊本や金沢などの古い城下町では、中心市街地とJR駅が離れている。(このあたりは佐藤滋『城下町の近代都市づくり』に詳しい。)

1825年、イギリスで初めて鉄道が開通する。
得体の知れない巨大な黒い塊。
おぞましい速度。
不気味な重量感。
ウイリアム・ワーズワースは愛する湖水地方に鉄道がやってくると聞いて嘆きの詩を詠んだ。
ジョン・ラスキンは、鉄道が「旅人を小荷物に変えた」と非難した。
悪魔的な鉄道に対する批判的な論調は、19世紀の知識人特有のクリシエとなった。

しかし、クロード・モネは鉄道の登場に新しい時代の到来を予感した。
そこに、新たな美を見いだしたのだった。
産業革命がもたらした鉄とガラスからなる開放的な駅舎の空間。
そこに白煙をあげた蒸気機関車がゆっくりと入ってくる。
オルセー美術館に展示されている、印象派を代表する絵画『サンラザール駅』だ。

3オルセー (2)

今回、わかったことがある。
モネはなぜ、パリの他の駅ではなく、サンラザール駅を描いたのか。

モネは少年時代をル・アーヴルで過ごした。
画家になってからも、ドーヴィルやトゥルーヴィルをたびたび訪れ、風景画を描いた。
ジヴェルニーで購入した家で晩年を過ごし、睡蓮の連作を描き続けた。
いずれもノルマンディー地方だ。

彼にしてみれば、ノルマンディー行きの列車が出るサンラザール駅は、パリのなかのノルマンディーだったに違いない。

再びシヴェルブシュに依拠しよう。
詩人のハインリヒ・ハイネは鉄道を火薬と印刷術以来の大発明と考えた。
それは、ハイネにとって肯定的な意味ではなかった。
鉄道によって空間が「殺され」、
「すべての地方の山と森が、パリに押し寄せてくるような気がする」、
「パリのわが家の門前で、北海が立ち騒ぐ」と嘆いたのだ。

パリ・リヨン駅には地中海の香りが満ち、東京・上野駅には東北の雰囲気が漂う。
都市と地方は交通によって結ばれ、駅はその結節点として両義的な性格をまとうことになったのだ。

そんなことをつらつらと考えているうちに、サンラザール駅からドーヴィルに向けて、列車は走り始めた。

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