②落ちこぼれ同級生でバンドを組んだ話
前回のつづき。
俺とユウジに加え、ケンスケが加入することになった。一応バンドが結成された瞬間。
ケンスケは不良だったけど、どこかオシャレなやつだった。着こなしが上手で同じ制服でも「なんか違う」感があった。お母さんが美容師をやっていてオシャレだった。その影響があるのかもしれない。
そんなケンスケが二つ返事で俺たちの誘いに乗ってきた。今なら理由はわかる、彼は彼なりになんとかして2回目の2年生を楽しもうとしていたんだ。
結果から言うとクラスメートとは大して仲良くはなれなかったらしい。それでも「あの時声かけてもらえてなかったら、マジで道を外してたと思う」と言われた時はユウジのガサツさも表彰モンだな、と思った。大体の留年生はフェードアウトしていくからな。
そんな感じであっさりとメンバーが増えた。
ケンスケはお母さんの影響で音楽には小さい頃から触れてて、ベースもなかなかの腕前だった。というか、当時の俺がプロみてぇだな!というアホみたいな感想を言うぐらいうまかった。スラップできるやつは全員プロだと思ってたから。
小学生の時に美容室のお客さんにギターを教えてもらい、後にマッドカプセルマーケットやレッチリに出会いベースにはまったという、ちゃんとロックなエピソードを持っている男でもある。
さて。いよいよ、俺の立場がなくなった。もう仕方ない、ドラマーになろう!と腹を決めた。blink-182とか好きだし!
ところがユウジが「俺がドラムやるよ」と言い出した。母親の知り合いにドラマーがいて、そこに習いに行くと。
俺「あれ?ギターはいいの?」
ユウ「エイトビートぐらいは叩けるし、バンドができればなんでもいいよ!」
そんな簡単な受け答えであっさりとパートが決まり、スリーピースで活動することが決まった。
俺たちはとりあえず、ブルーハーツとグリーンデイ、LINKのコピーをした。我ながら渋い選曲。
1ヶ月で三曲を形にした。今考えると全く形になってない気もするが。
上手くなれた一番の理由は練習場所に困らなかったからだ。
ユウジの叔父さんが防音施設の整った部屋を持っていて、カラオケルームとして使っていた。
その部屋をカラオケ教室が終わった夜に使わせてもらえることになった。結構遠かったけど、体力は無限にあった。
その部屋には簡単なマイク卓と立派なスピーカーはあったけど、マイク本体とアンプ、ドラムセットは自分たちで用意する必要があった。
その問題もあまり困らなかった。
俺以外。
ユウジは直接は聞いてないけど、家の大きさから見てもボンボンだ。ドラムセットは「安く譲ってもらえた」って言ってスタジオにドラムセットがやってきた。
安い金額ではないだろうなと思ったけど、そこは大いに甘える事にした。
ケンスケは週末はヤンチャなお付き合いの中の1人がやってた土木系の仕事を手伝っていたし、離婚して今は別に暮らしている父親から毎月お小遣いをもらってた。「母親には言ってない」って言葉の意味が当時の俺たちには重い響きを含んでいた。
俺はというと貧乏暇なし。バイトでなんとか小銭を稼いでた。スタジオ用のアンプはお金が貯まるまで、家で使うギターアンプをマックスにして使ってた。少しして中古だったけど、30wのマーシャルを買った。それにはしばらくお世話になった。
マイクは叔父さん経由で用意してもらった。
マイク五本とケーブルで2万だった。
当時はたっけーなーと思ったけど、今考えると破格だったはすだ。きっとユウジの叔父さんが負担してくれたんだと思う。ユウジの叔父さんは「差し入れ」といってよくサイダーの缶を置いていってくれた。この人もまた高級車に乗っていて、見た目は完全にそっちの人だったけど、俺たちにとても優しくしてくれた。
そこからはバイトのない日は全てバンドに費やした。
と言いたいところだけど。
何故かケンスケに無理矢理スパーリングと筋トレを毎回やった。
ユウジは空手をずっと習っていたことをこの時知った。
武闘派の2人がメンバーにいて心強いな!と思ったけど、スパーリングはきつかった思い出しかない。
「バンドにも絶対活きてくるから」って言わて「左フックで指痛めたらギター弾けなくなるよ」と返事したけど、完全に無視された。
格闘技とバンドって真逆じゃねぇの?
力ないからバンドやるんじゃねえの?
本気でそう思ってたけど、素直に筋肉がつくのは嬉しかったし、三人で遊んでるのが純粋に楽しかった。きつかったけどな。
そんな感じでスパーリングをして、バンドして、秋の文化祭ステージに立つべく有志団体参加募集にエントリーした。
つづく