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銀河売りと涙の宝石

銀河売りさん、銀河売りさん。

背中から声をかけられて、その男の人は振り向きました。
夜より黒いシルクハットに、闇より黒いロングコート。
ものすごく背が高くて、とってもとっても痩せています。

何ですか、こんな夜中に、慌てて私を呼ぶなんて。

男の人に声をかけたのは、灰色の服を着た女の人でした。
若くも年寄りでもない、太っても痩せてもいない人。
顔がまんまるに腫れているのは、夕立よりたくさんの涙を流したせいです。

銀河の2か所を、私に売って欲しいんです。

女の人はそう言って、まだ新しい金貨を2枚、男の人に差し出しました。
男の人は、笑いも怒りも驚きもせず、穴のような瞳で女の人を見ています。
金貨を受け取ろうともしません。

どうして、2か所も必要なのですか。

男の人が問いかけると、女の人の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちました。
暗闇の中で、涙は真珠のように、鈍く輝いて見えます。
本当は、その涙に溶け込んだ、強い悲しみが光っているのですが。

私の愛するひとが、夜空の星になってしまったからです。

その答えを聞いた男の人は、南の空を見上げました。
あたたかくまたたいている、オレンジがかった銀色のひとつ星。
女の人が愛したひとは、命を終えて、その星になってしまったのです。

あの星がある一角を売れと、私にそう言うのですね。

男の人は、再び女の人に視線を戻しました。
とめどなく流れ続ける涙が、足元に落ちて、青い宝石に変わっていきます。
しかし、女の人は、そのことに気がつきません。

でも、あなたは2か所、銀河を売れと言いました。

その言葉を聞いた途端、女の人の涙が、もっと激しくなりました。
増えた分の涙は、赤い宝石に変わります。
女の人は泣いたまま、男の人の顔を見つめました。

私の大切な家族が、重い病気で苦しんでいるんです。

絞り出すような声を聞いて、男の人は、東の空を見上げました。
その視線の先には、何もない、からっぽの夜空。
まるで、新しい星を待っているかのような。

家族が星になる一角を、私に売ってください。

女の人はそう言うと、金貨を持っていないほうの手で、空っぽの夜空を指さしました。
もうすぐ、大切な家族が星になって、その場所に行ってしまう。
女の人は、そう悟っているのでしょうか。

そこを買って、どうしようというのですか。

男の人は、もう一度、視線を女の人に戻しながら訊きました。
足元にこぼれ落ちる涙は、いつの間にか、黄色の宝石に変わり始めています。
女の人は、少しだけ強い口調になって、男の人に答えました。

家族が亡くなる前に、私がその場所で星になります。

そして、女の人は両手を空に伸ばしました。
右手は南のひとつ星へ、左手は東の空っぽの夜空へ。
まるで、男の人から買おうとしている、ふたつの場所を、ひとつにつなげようとするかのように。

もうこれ以上、愛する人を見送るのは、どうしても耐えられないんです。

女の人は泣きじゃくりながら、伸ばした手を降ろし、再び金貨を男の人に差し出しました。
しかし、男の人はまたしても、受け取ろうとはしません。
手も足も、頭も動かさずに、女の人を見つめているだけです。

私はもう、家族の代わりに星になって、あのひとの星に寄り添いたいんです。
こんなに悲しい思いは、もう、嫌なのよ!!!

その叫びを聞いた瞬間、男の人は、夜より黒いシルクハットを脱ぎました。
そして、足元で赤、青、黄色に輝く宝石たちを、シルクハットですくいあげたのです。
たくさんたくさん集まった涙の宝石が、月のようにまぶしい光を放ちます。

銀河売りはね、命を絶ちたいひとには、どんなに小さな夜空も売れないんですよ。

男の人はそう言うと、涙の宝石が詰まったシルクハットを、思い切り投げ上げました。
夜の闇に、真っ黒なシルクハットが溶け、涙の宝石は光の筋となって、ぐんぐん空へ登っていきます。
そして、空の高みにたどり着いたとき、四方八方に砕け飛びました。

きれい……。

赤、青、黄色の流れ星が、次から次へと夜を舞い、光の筋が雨のように降り注ぎます。
女の人の手のひらで、2枚の金貨がひとりでに動き出し、小さな丸い粒に形を変えました。
やがて、涙の宝石がすべて流れ終わると、あたりはもとの夜闇に包まれたのです。

その丸い粒はね、どんな病も治す万能薬ですから、家族に飲ませてあげてください。

静けさが戻ったとき、男の人がそう言いながら、女の人の手のひらを指さしました。
金貨が形を変えた、小さな丸い粒。
ぼんやりと光るそれを、女の人はそっと、大切に握りしめます。

星になった人は地上に戻せないし、星になろうとしている人に銀河は売れません。

男の人は、小さな子供に話すような口調で、女の人に言いました。
その顔には、やさしい笑みが浮かんでいます。
穴のように見えた瞳にも、小さな光が灯りました。

でもね、銀河売りは、まだ星になっていない人には、奇跡を起こしてあげられるんです。

女の人の涙は、いつの間にか止まっています。
男の人は、それを見届けると、女の人に背中を向けました。
そして、ゆっくりと歩きだしたのです。

それでは、私は新しいシルクハットを買いに行きますので、さようなら。

女の人はその背中に、大きな声でありがとうと言うと、自分の家へと駆け出しました。
一刻も早く、家族に薬を飲ませてあげるために。
南の空で、そんな彼女を励ますように、ひとつ星がやさしくまたたいていました。


※小牧幸助さんの企画「シロクマ文芸部」に参加させていただきました※


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