くぅちゃんと天使〔ノトコレブックversion〕
その犬の名前は、くぅちゃんといいます。
真っ白で、目は真っ黒の、小さな犬。
十五歳の長生きおばあちゃんです。
くぅちゃんの飼い主は、この間まで三人家族でした。
パパとママと、一人娘の鈴ちゃん。
でも、鈴ちゃんは先月から、このおうちで暮らしていません。
くぅちゃんがここに来た頃、まだ小学生だった鈴ちゃんは、とってもきれいな花嫁になって、このおうちを巣立っていきました。
だから最近、パパとママはさみしそう。
でも、くぅちゃんをなでなでしたり、一緒に遊んだりすることが、ふたりの心の支えになっているようです。
くぅちゃんは、自分がここにいることで、パパとママが笑顔になってくれるのだと、心からうれしく思っていました。
◇◆◇
ある、月がきれいな夜のことです。
眠っていたくぅちゃんは、誰かの気配を感じて、真夜中に目を覚ましました。
すると、そこには白い翼を持つ、ひとりの天使がいたのです。
「あなたは……天使さま?」
「そうです。よく知っていますね」
「鈴ちゃんと一緒に見た絵本の、天使さまにそっくりなんです」
「くぅちゃんは、みんなに愛されて、とっても幸せに生きてきましたね」
天使は、少し悲しそうなほほえみを浮かべました。
「でも、あなたの寿命は今、ここで終わりになります」
そして、天使はこんなに悲しいことを、くぅちゃんに告げるのです。
くぅちゃんは、真っ先にパパとママのことを考えました。
「天使さま、お願いです」
「どんなお願いですか?」
「わたしが今、いなくなったら、パパとママ、本当にさみしくなっちゃうんです。もう少しだけ、この世にいさせてもらえませんか?」
くぅちゃんは、黒い瞳を潤ませて、そう天使に頼んだのです。
けれど、天使は首を横に振って、きっぱりとこう答えました。
「駄目ですよ。命には、寿命も、次の行先もあるのですから」
くぅちゃんは悲しくて、涙を一粒こぼします。
それを合図に、天使は右手に持った、虹色の棒を振りました。
すると、くぅちゃんは、今まで経験したことがないほど、深い眠りに落ちていきます。
……パパ、ママ、鈴ちゃん。くぅは、みんなが大好きだよ。
それが、くぅちゃんの最後の思いでした。
◇◆◇
ふと気付くと、くぅちゃんは、暖かい水の中にいました。
でも、まったく息苦しくありません。
それどころか、真っ暗で、何も見えないのに、とても居心地がいいのです。
(ここは、どこだろう?)
かすかな音を探して、くぅちゃんは、頭の上の耳を動かそうとします。
しかし、そこには耳がありませんでした。
どうやら、くぅちゃんは、今までとは違う姿をしているようなのです。
おへそから、太いひもが伸びているし、第一、ふわふわの白い毛がありません。
くぅちゃんが、犬の姿ではないことに気付いた、その時。
「元気に、生まれてきてね」
どこからか、聞き覚えのある声がしたのです。
「ばぁばも、待ってるからね」
「じぃじも、いるぞぉ」
あとふたつ、別な声も聞こえました。
(この、声!)
くぅちゃんには、全部、ちゃんとわかります。
(これは、鈴ちゃんと、ママと、パパの声だ!)
そして、くぅちゃんは、はっきりと気付いたのです。
犬としての寿命は終わったけれど、また別な、新しい命になることに。
今度は、鈴ちゃんの赤ちゃんとして、生まれ変わるのだということに。
(また、パパとママと、鈴ちゃんに会えるのね!)
三人の笑顔が、頭の中に、あたたかくよみがえります。
くぅちゃんはうれしくて、まだできたばかりの、小さな小さな手足を、ぱたぱたと動かしました。
〔了〕
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?