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58.31314 第60回 親子(5)

【23分11秒】(全体37分1秒)

あと、大学っていうのにもね、こだわってましたね。それは母親に限らず、父親もでしたけど。

それはね、親2人も、あと上の兄2人も、学校で、大学で楽しい思いをしたから、「あなたも、行けば変わる」とか、「学校楽しいよ、世界が変わるよ-」みたいな。

そういうことだったんですけど、大学受験、大学入試っていうのをね、登竜門みたいな感じで見てて、「それ超えたらもう大丈夫」、何が大丈夫なんだ?っていう話ではあるんですけど、「もう大丈夫だよ」みたいなふうに言われてたんですけど、結局私は、大学行っても、結局変わらず、前期だけ通って、きっちり前期の試験を全部超えて、単位修めた上で、「うん、もう、無理」ってなって。

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で、それを親に相談したら、「ここで辞めるっていうふうには言わないで、休学を使え」と。休学も満期1年使って、もうやっぱり考えが変わらず、「退学したいです」っていうふうに言ったら、まあやっぱり母親ね、ちょっときつかったですね、ヒステリックみたいな感じになりましたね。その、「この先どうするの?、あんた何もないのに、高卒で雇ってもらえないよ」とか。

まあそれだけ、なんでしょうね、なんだろう、大学生活に、母親が希望を寄せていたから、光を見出していたような感じやったから、余計でしたけど。

ちょっとその時はね、はっきり親の顔というか、親の方を見てなかったんですけど、ちょっと泣きながら、ヒステリックな感じで言われましたね。

もう、ただ、その隣にいた父親は、「もう○○が決めた事なんだから」っていうような感じで言ってくれて、「まあこれからのことは、ちょっとゆっくり考えなさい」って言われましたね。

まあそのあと、母親の不機嫌は、やっぱり何日も続いたんですけど。

でまあそんなことが一悶着あってから、アルバイト生活始めてからも、やっぱり母親は、ずっと大学にこだわってましたね。

私の大学、そのへん寛容で、ちょっとどういう内容だったか覚えてないんですけど、なんか2年以内に復学っていう制度があったんですよね。なんかあるたびに、ちょっとそういう学校とか、勉強とかっていうような話になるたびに、「あんたまだ、大学に戻れるよ」みたいな、「そういう制度あるからね」っていうようなことを、言ってきましたよね。やっぱりまだ、こだわってる。

ただ私の場合はね、退学証明書だか在学証明書だか。その、やめた時にもらえるんですけど、それをすぐに処分したみたいで、『あ、もうそれないから、戻れないんだけどなー』みたいなことを心に思いながら、「あ、うん、今は全然ないわ」みたいな。流してました。

で、それもね、いつしか無くなりました。相変わらず、ずっとアルバイトしながら、生活費も一部は親が負担してるとはいえ、食費とか光熱費とか、自分が使う、生活で使う分っていうのは、そのアルバイトで稼いだお金でやりくりしてたんで。

体調もね、もう見るからに良くなった。

そう、前は本当に見た目が、頬もこけてて、抜毛症っていう、髪の毛を抜いちゃう異常行動もあったから、髪も凄い、髪っちゅうか頭もスカスカ、ハゲまではいかないけど、毛の量が少なく見えたりとか、顔色いつも悪いし、薄い服着てると、背骨の数が見える位っていうふうに表現されてたんですけど、それがもう無くなって、顔色良くなったし、元々丸顔なんですけど、ほっぺも丸くなったし。

なんか、そういうふうなのもあってか、もうむしろ、ずっと評価してくれるようになりましたね。「あんた、よーやってるよー」とかね、「今のところ、もう1年過ぎたでしょう、よく続いてるよー」っていうふうに。

前はね、正社員とか、今後どうすんの・こうすんの?みたいなことを、ちょこちょこ言われてたんですけど、それも無くなり、そう、本当に逆になりましたね。なんか「今は焦って考えなくていいんじゃない」とか、「まあ、ぼちぼち、やんなさい」っていう感じで、言ってくれるようになりましたね。


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