![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/36940063/rectangle_large_type_2_e35f86b6d916df572d73698ba813cf89.jpg?width=1200)
58.31314 第60回 親子(4)
【17分39秒】(全体37分1秒)
私の変化として、拒食っていうことになった時の、親2人反応みたいなこと、いま話しましたけど、学校とか進路とかの面でも、やっぱり似たような感じでしたね。
母親は、なんだろうな、色々言ってくるけど、父親は放任してるっていう感じでした。もともと、成績がどうのこうので言ってくる人じゃなくて、学校での様子を気にするタイプの親2人でしたね。
まあでも、母親は普通の学生生活ってことに、こだわってましたね。毎日学校行って、友達作って。で、放課後は、その友達たちと遊ぶみたいなことを描いてたみたいですね。
一方私は、転校した先では、学校終わったらもう直帰でしたよね。友達と遊ばなかったつーか、友達がもうその学校では作れなかったんで。
で、家にいたら家にいたで、当時は、何かしなきゃ、でも何をしたらいいんだらいいんだろう、何も考えられない、何も思いつかないって、過呼吸をよく起こしてたんですよね。
それもやっぱり、私が何も言わないで、勝手に過呼吸になって、ヒューヒューして。で、なだめるにしても、なんでこの子はこんなになっちゃったんだろうってのも分からないし、そうならないために、どっか連れてったり、ほぼ毎日のように、やってくれてたんですけど、そら疲れますわな。
それを相談する、過呼吸になっちゃうことをなおすとかっていう目的でカウンセリングにも行き始めたけど、一向に良くならない。
ていうので、ある時、母親が、まぁ爆発しちゃって、その時言われた言葉で、『あ、うちのお母さんは、私が学生生活を楽しむってことを、望んでたんだ』っていうことに気付くんですけどね。「なんで転校して、カウンセリングも行ってるのに、こんなんなの?」って、「もっと普通の高校生らしくしてよ」っていうふうに言われました。
まあ、甘く見てたんでしょうね。その、逆流性食道炎とか、学校に行けなくなっちゃったのは、前の学校のあの環境が合わなかったから、その環境を脱せば、この子は戻るとか、治るっていうふうに思ってたんでしょうけど、そうはいかなくて。
で、カウンセリング行く前に、1回だけ心療内科には行ったんですよ。そこで処方された薬が、結構強めで、依存性が高いってことを母親が調べて見つけて、それは飲ませたくないっていうのでカウンセリング通ったんですけど、まあまあ、治らなかったと。
『この子に限って、そんなことは...』みたいなふうに思ってたんでしょうね、分かんないけど。
そのあと、ようやく本格的に、もう薬と心療内科で治そうみたいな。治さなきゃダメなんだな、っていうふうに変わったんでしょうね。
そう、ただ、今までいくつも心療内科とか行って、もちろん病院の先生も、何人も診てもらったんですけど、どこの先生も、うつ病とか、病名とか診断とか、下されなくて、まあそのことでもちょっと、母親はストレス溜まってたし、この子の、この症状は、どういった理由でなっちゃってんのかしら?っていうのがね、私自身もそうですし、親自身も分かんなかったし、どうも見てればいいのが分かんなかっていうことで、不安とかストレスも、感じてたでしょうね。
まあただ、私がたびたび、転校前の学校にまつわる悪夢とか、前の学校に関連するものとか、私がバス通だったんですけど、その学校のバス見れなかったり、バス乗ると、母親が運転していると、隣で体がこわばっちゃったりとか。
10代は自由で楽しかった、という話をよく聞く一方で、わしにとっては常に暗闇が体に巻きついているような感覚だったし、学校という場所は閉鎖空間かつ洗脳場所のようなものだった。
— こうやさいさいし𓅃58.31314 (@r7i5p) August 22, 2019
もう、関わりたくはない。
学生とか、制服見れない。名前も、見たり聞いたりするともう体がカチーンって固まったり、表情がこわばったりとかして、フラッシュバックとか起こして、パニックになったりとかしてたんで、まあなんとなく、うつ病だろうなみたいな。
『ああ、この子は、うつ病かもな』っていうのは分かってたと思うんですけど、やっぱり、先生、お医者さんから言われる言われないっていうのはねぇ、大きな差が、ありますよね。
今の先生になって、「当時のあなたの症状は、診てないけど、おそらくうつ病でしょう」みたいなこと言われて、私もなんかちょっと安心したし、母親としても、あー、やっぱりなみたいな感じで、なりましたね。