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58.31314 第60回 親子(6)

【28分56秒】(全体37分1秒)

私自身も、色々、良い意味でも・悪い意味でも変わった時に、て言うか、変わった後に、親もやっぱり、変わってくれましたね。

そう言ってくれるようになってから、ようやく、そういうふうに言ってくれるようになってから、「あ、親は、今の目の前の子供、娘の事を見てくれてるんだな」って、見て話してくれてるんだなって、思えるようになりましたね。

それまではやっぱり、何か理想像とか、『あなた今ここにいるけど、将来こうなるはずだから...』、感じで言われてるように思ってたんですけど、もう今はそれが、理想像っていうのが無くなって、『あー、なるほどね、今こんな感じなのね、うん、オッケー・オッケー、この先はまぁなるようになるんじゃない』みたいな、って思っているように感じるようになりましたね。

もう、私が体壊してから、ずーっと体調を気遣ってくれてたっていうのは分かってたんですけど、今まではやっぱりどっかに、“普通の”とか、“普通の”大学生とか、“正社員”を目指すんでしょ、みたいなのが、ちょっとちらついてました。

今は逆に、私の方が焦ってますね。正社員にならなきゃとか、これからどうしたらいいんだろうっていうようなことで、ちょっと悩んだりとか、そういうことをこぼすと、「まあ、いいとこ見つけたら、そこに行けばいいんじゃない」って、親の方がのんびり、構えてくれるようになりましたね。

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それが食、生活っていうだけじゃなくて、セクシャリティに関しても、段々変わっててるんですよ。

昔なんかはね、“彼氏”だの、“結婚”だの、“出産”だの、ちょこちょこ言われてたんですけど、言われてた中で、ある日突然私の、アセクシャルだとか、恋愛感情が分かんないとか、好きな人っていうのがよく分からない、まさかのセクシャルマイノリティだったと。そんなことを伝えたら、まぁ最初はやっぱりね、言われましたね。「勘違いじゃないの」とか、「考えすぎじゃないの」って。「好きな人できたら分かるよ、恋愛感情も、今その人がいないだけなんじゃないの」

基本的に、セクシャルマイノリティに関しては、否定的じゃないんですよ。特に、またこれも母親なんですけど、中学生の頃からクイーンとか、あのフレディ・マーキュリー好きだったから、同性愛に関しては、特に何も思わないし、すごい奇抜な格好なんかっていうのにもね、何も言わないんですけど、また今まで知らなかった、セクシャルマイノリティかもしれないって言う娘の発言には、反射的にそういった言葉が出てしまったんでしょうね。

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まあそれはそうだよなと。

でも割とすぐ、一ヶ月たたないくらいで、アセクシャルの人がテレビに出てたらしくて、少しは分かってくれたっていうか、それ以来ね、結婚とか出産ってうことに関しては、その単語を言わなくなったんですよ。「結婚はいいぞー」とか、「出産は」と言うか、「子供いたら面白いよ」じゃなくて、「なんか思い立った時に一緒に出かけられる人」っていう言い方に変わったんですよね。

女の子らしさ、そう、見た目に関しても、まあ、私がもうどうのこうの言われる年齢でもないし、買う服なんかも自分で稼いだお金でやってるから、言われる筋合いは無いんでしょうけど、私が、例えば男性物の服とか、そういうデザインとか着てても何も言わないし。

髪型なんかもね、ある日突然娘と会ったら、頭半分切り落とされてるんだけど、みたいな。そんなんなってもね、「ああ、やったねえ」みたいな感じで、受け止められましたね。

まあ父親に関してはね、頭半分、3ミリの髪の毛になったんですけど、その3ミリのとこ触っていい?っていうふうに、第一声で言われましたよ。

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ちっちゃい頃から、まあずーっと一緒に暮らしてて、大学で一人暮らしして、私が大学辞めて、アルバイトで生活費をやりくりするようになってから、まあ私自身もそうやって変わったし、親もそれに対してちゃんと変わってくれたので、今思うのは、まあなんか、私達親子、特に母親となんですけど、それは距離が近すぎたんじゃないかなと、思いますね。

そう、それは物理的にもそうだし、親が思う子供像と、実際の子供が思ってる事とか、そこを一致させようとしてたから、まあ、ああやってちょっとした衝突とかが起きちゃってたんじゃないかなあと。

例えとしてなんですけど、昔はなんか、親と子供で、なんだろう、二人三脚つうか、足並み揃えて、ある一点とか一ケ所、一理想を目指すっていうようなイメージだったんですけど、今は横並びで、歩幅もお互いバラバラで、歩くリズムなんかも違うし、なんならどっちか先に行って、どっちからか、ちょっと後ろのほう歩いてるみたいな。お互いのことは、何となく気遣い合いながら、なんかその辺散歩してるみたいな、感じですね。

そんな感じで、最近過ごして、自分も変わった部分はあるけど、親もちゃんとそれに応じて、変わってくれたんだなあと思います。

これはまあ、うちの親2人がちゃんとその辺をやってくれる人で、単純に、私が運良くその親だったから、今こうして、なんだろう、復活できたっていうか、うちの親がちゃんとその辺子離れできる人だから、私が一回すごい体調壊して、一回落ちたときも、2人の、2人がそういう人で、2人がちゃんと支えてくれたし、私の変化っていうことに対しても、「うん、そうなんだ」っていうふうに、いろいろ対応を変えてくれるっていう人達だったから、ああ、私いま、こうやって体調も良くなったし、なんなら親と、親2人と、いい距離感で仲良く過ごせてるんだなっていうお話でした。

ここまでお聴きいただき、ありがとうございました。
それでは皆様、ごきげんよう。さようなら。


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