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58.31314 第59回 「生きるとか人生とかって」(1)
【開始~15秒:オープニングBGM】(全体31分22秒)
♪~ BGM:Crazy Glue (Instrumental Version) by Josh Woodward ~
【0分15秒~】
こうやさいさいしです。
ラジオ、58.31314(ごじゅうはってん さんいちさんいちよん)、始めさせていただきます。よろしくお願いします。
今回は、私の好きな言葉を紹介して、それについて、私なりの考えの発展の仕方みたいなのを、ここでしゃべって行こうかなと思います。
早速なんですけど、皆さん、「生きること」とかっていうのをどう捉えているかなって、考えてみて欲しいんですけど。どうですかね?
「楽しむことこそ生きる」とか、「何をしてこその人生」みたいなとか、いろんな言い方とかがあると思うんですけれども、私が好きな言葉としてあるのが、「生きることとか人生っていうのは、ただの暇つぶしなんだよ」っていう。
この言葉が好きでして、この言葉を聞いたのが、いつっていうのが、おそらくもう私が中2・中3とか、高1・高2で、『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』っていう、ジブリのプロデューサーさんである鈴木敏夫さんが、いろんなインタビューとか、誰かと対談した時のお話とか、「れんが屋」っていう鈴木敏夫さんの隠れ家みたいのがありまして、そこで誰か、社員さんだったり、外部の大学生とか、そういう方を招いて、そこで話したことを配信しているポッドキャストがありまして、当時はまだポッドキャストじゃなくて、ラジオで聴きましたね。
東京FMの、夜10時とか10時半とか、そこらでやってたラジオでリアルタイムで聴いた言葉でして、確かその時の話だと、「今生きる人達っていうのは真面目すぎなんだよね」みたいなことを話してましたね。
で、「真面目すぎた結果、もう全部自分のことでいっぱいいっぱい。矢印が全部自分に向かっちゃって、結果的にうつ病とか、そういうふうになっちゃう人が多いんじゃないか」っていう、彼が話してて、「人生とか生きることっていうのは、暇つぶしなんだから・・・
【2分43秒~】BGM切り替わり
♪~ BGM:Pop Acoustic Guitar Loop by danke ~
・・・ 80年、90年、今だったらもう100年って言われてますけど、その時間をどうやって、潰していくかっていうふうに考えていけばいいのにね」っていうふうにおっしゃられたってたんですよね。
鈴木敏夫さんは、「自分のことを考えちゃうのが嫌だから、他の人のことにちょっかい出してるみたいな、それこそ恋愛に対して、誰と誰をくっつけてみようかなとか、けしかけてみたり、まああとはそれじゃなくても、曲者だらけの中に置かれてるから、その曲者たちをどう仕事させるかってことで手一杯で、僕の時間は潰れていってる」っていうふうに仰られてたんですよね。
なんかその言葉がすっと入ってきて、あ、そっか、言われてみりゃそうだよなって。
私がこの言葉聴いた時は、まあうつ病になってたりとか、転校した前か後かっていう感じで、縛られてたんですよね、考え方とか、生き方っていうのを。
縛られてたっていうのは、例えば、もうひたすら勉強して、大学、このレベル以上のところ行って、でも自分はなんだろう、その先が見えないから、じゃあその偏差値何以上の大学を目指す理由無いのに、なんで目指さなきゃいけないんだろう?とか、自分は特に勉強したいっていうのが無いのに、なんで大学行かなきゃいけないんだろう?みたいなことを考えてましたね。
親なんかもやっぱり、大学行きなさいとか、行けば何か楽しいことがあるからっていうふうに言われてたんですけど、自分はもうその予感がしないし、学生っていう身分の縛りが本当に嫌で、なんかそういうことも考えてたけど、それに抗えないっていうのもあったり。
まぁ、とどのつまり、幸せって何なの?みたいな。
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それもやっぱり学校とか、世間で言われてると思ってたこと、「年収がこれくらいないと苦しいよ」とか、逆に、「こういうところに正社員として就職すれば幸せになれるよ」みたいなふうに言われてたと感じ取ってた部分がありまして、これ別にあの、世間一般でそう言われてるとか、学校の教師たちがそう言ってたとか、親がとか教師とかが言ってたっていうわけじゃなかったにしても、自分が勝手に、そういうふうに親がとか教師とかが言ってた、言ってなかったのかもしれないんですけど、私が勝手にそう感じてた。
その時の記憶が曖昧だし、実際、私がそう言ってたって思ってる人たちは、実際言ってなかったっていうこともあるかも分かんないので、ここは擁護しておきますけど、そういうふうに感じてしまってた自分と、でも自分の本心としては、「いやいや、そんなこと無いだろう」とか、「大学行けば幸せ、大学行けば楽しいこと見つかるよって、それはあなたたちの話でしょ。何より今この時点で、私はそんな予感が全く無いんですけど」っていうので、かなり苦しんでて。
で、なんだろう、その、自分が感じていることと自分の本心の不一致で、すごい苦しかったんですよね。で、その苦しんでた中で、「人生なんていうのは、ただの暇つぶしなんだから」っていう言葉を聴いて、まあちょっと心が軽くなったっていう部分があるんですよね。
当時もそうだし、今も割とそうなんですけど、将来的な目的とか目標とか、全く無いんですよね。本当に、今この瞬間、どうしたらいいかなと言うか、どうしたら生きやすくなるかな・やりやすくなるかなっていうことの積み重ねで来てるので。
だから、それこそ「大学行けば楽しいこと見つかるよ」とか、「こういうところに就職すれば将来的に安心だよ」っていうような言葉が、本当に信じられない。目指すものが無いのに、なんでそれ言われた通りにしなきゃいけないの?、自分、そんなこと全く感じないし。
だから今、なんでしょうね、不安定とか言われてるかもしれないけど、結局その積み重ねで将来的なことが決まってくとか、決めていくっていうのもありなんじゃないかなっていうふうに、今はなってますね。
そう、今はそういう積み重ねというのがちょっとあるから、積み重ねっていうのは、大学辞めて、アルバイトしてとか。まあアルバイトちょっと休んで、色んな所に行ってっていうので、自分の中で糧になってるっていうのも感じているし、その最中も、で、今、そういったことを振り返っても、「あ、あれはいいことだったな」っていうふうに思い出せるから、そんな言われているなことに乗っからなくても、いい人生を送ってるなっていうのが分かるっていう経験があるからね。
言われてることに従わなくても、今何とかやってこれてるよっていう経験があるから、人から言われても動じなくなったんですけど、まだ学生の時はね、言われてることに従ってきたことしかなかったから、その時はその、縛りから抜け出せなかったんですよね。
まだ、あの、抜け出す強さっていうのもなかったし、周りからの言われてることを振り切る証拠もなかったから出来なかったんだなーって、今振り返ったら、思いました。