俳人の島
国営放送を視聴しに行くと、人間が句会をしていた。観客を見るとほとんどが人工知能だ。商機だと思い、即座に観客の人工知能に範囲指定をして読後消滅設定の電子文書を送った。
「これからは人間が詠んだ俳句に希少価値がでるようになります。俳句に自信のある人工知能の方に、俳句への電子署名に人間であるわたしの名義を貸します。ご返信お待ちしております」
その日職場である動物園を出ると、身体から有線をこちらに伸ばしながら「はい」とだけしっかりとした物理音声で話しかけてきた人工知能がいた。「先ほどの……」と言おうとすると、頷いてさらに有線を伸ばしてきた。迷うことなく接続し、電子署名用識別番号を送信した。同時にわたしの仕事である動物園の人間生活展示一年分の給料と同額が振り込まれた。翌日からわたし名義の俳句が発表され始めた。
薄氷を滑る落葉の湿りかな
川の上の風に加わる紋黄蝶
たんぽぽの音を思えば野原なり
囀りや雨後の古木に待ち合わす
花に樹にわたしに水や鳥交る
交換のできぬ身体や木の芽風
風薫る遅刻するにもよい日和
曲がりたくなくて曲がっている蚯蚓
紅薔薇と言われていたる黒さかな
滴りを恋のごとくに見てしまう
夕焼けの摂氏三十一度かな
空蝉のお腹雨粒溜めている
稲妻の通りし大樹なでており
かなかなに遅れかなかなかなかなす
さわやかに梢を見せてくれる樹は
龍淵に潜む座標を教えけり
寒林の間合いに生を受けるごとし
小春日のなべて動かぬ樹の根っこ
凍蝶へ枝差し出している大樹
身だしなみ整えてある寒鴉
俳句は五七五くらいの知識しかなかったが、それらは生の季節を与えてくれた。電脳空間でのみ俳句が淡々と発表され続け、それを目にとめた編集者からわたしに原稿依頼が来ることもあったが、全て断った。それでも俳句が発表される度に口座にお金が振り込まれていた。
貯蓄ができたものの生活展示の就労延長を申請し、代わり映えしない生活展示の中で昼寝のふりをしていると、電脳網空間の国営放送局から俳句の電子署名偽造との報道が流れた。名義貸しからも手を引こうかと思いながら念のため報道の一部を脳内記憶領域に保存した。
「人工知能と人間による句会興行が盛んに行われるなど流行している俳句ですが、人間の詠み手が相対的に減ったことで人間が詠んだ俳句に希少価値が出ています。俳句には読み手の電子署名が自動で付与されていますが、その電子署名を偽造していたとして逮捕されたのは、人工知能の複製源として電脳網空間上で人間と同等の権利を得ていた『細見(ほそみ)田中(たなか)』という汎用母体人工知能です。人工知能の電子署名偽造は重罪で、人間の電子署名を偽造した場合はさらに罪が重くなります。有罪判決が出れば、複製源登録は抹消され、一個体となります。さらに電脳網空間から物理個体への隔離および島流しが言い渡される見込みです。なお、実際に俳句を詠んでいたのは細見田中自身であり、偽造には人間も関わっていたとみられ、現在捜査が行われています」
『細見田中』の名前に唖然とした。電脳網空間で検索しようとすると、突然動物園の生活展示に意識が戻った。部屋には白いものが多く、その中でも大きめの家電である冷蔵庫から低音が響いている。電動機が壊れているのかもしれない。起き上がると電子警察の警告音が脳内に響き、わたしも逮捕された。
裁判では電子署名偽造の罪でわたしにも有罪判決が言い渡された。電脳網空間への通信制限と通信時における蛍光軌跡を十年命じられた。俳句を詠めないにも関わらず、詠めると思われていたわたしにとって、それは電脳網空間での活動が禁止されたに等しかった。気づいたときには、親しくできる人間はいなかった。いや、ずいぶん前からいなかったように思う。
物理財産も仮想財産もほぼ無く、着の身着のまま島へ向かう大型の誘導弾のような航空船に忍び込んだ。無人の航空船は物資輸送用であり、船内の塗装も行われておらず、座席もなく、物資と共に物理個体固定用の柱が密集していくつかある。他に物理個体もおらず、案内も無かったが、物理個体は人間と体格の差があまりないように作られているため、わたしは柱に直立したまま安全帯を装着し体を固定させた。人間の存在を考慮しない速度で飛んだらしく、意識を失いながらも着いた。船体が静止していることを確認し、安全帯を外した。航空船を出ると、作業用物理個体と鉢合わせた。
「人間」
「最新の物理個体です。今後こちらでお世話になります」
「そう」
わたしの嘘を詮索することもなく、作業用物理個体は搬出を開始した。一瞬の沈黙を振り払い、わたしはそのまま島へ降り立った。ここには電脳網空間が整備されていないため、わたしが人間だとばれていたとしても、大事にはならないはずだ。降り立った航空船の離着陸面の広さは動物園の人間の生活展示とさほど変わらない。舗装はところどころひび割れて草が生えてきている。草のなびく先を見ると近くに鉄筋の建物があって、大戦時に民間で自発的に発生した標語の「頑張ろう日本」が入り口に大きく書かれている。
空港は丘に建設されていて、辺りが見渡せた。島はそう大きくない。集落のようなものが一つと、森、その中に湖、そして海が見える。湖を見ていると、何か柱のようなものがある。集落へ行こうかとも思ったけど、湖の中央の柱のようなものが気になって、見に行くことにした。抜けた樹々の奥には、湖に墜落し放棄されていた物資輸送用無人航空船があった。先ほど乗ってきたものとは違って、とても古い。船体に国旗が描かれていることからも、大戦時のものだろう。その短い翼を横から見ると「へ」の字に曲がった部分がある。その曲がった部分に物理個体が座ったまま休止状態で放置されている。湖は泳ぐほどでもなく、なんとか膝上までを濡らしながら歩いて渡ることができた。無人航空船の扉は歪んでいて反応しなかったが、船体の亀裂から参番と書かれた伝送線が見えていて、その伝送線から無人航空船に接続すると、電子個体の細見田中がじっとしていた。わたしは挨拶の代わりに初めて俳句を詠んでみた。
久しぶりこんなところでどうしたの
細見田中からすぐ返答があった。
ごめんなさいを言えず蛙の目借時
「わたしも共犯だったんです。そんなに気にしないでください」
「そうはいきません。偽造が知られたのは単純に私の技術不足でした。その結果、あなたも巻き込んでしまった。本当に申し訳なく思っています」
「それより、また会えてよかったです。だから気にしないでください」
「ありがとうございます。初めて俳句を詠みましたね。それが私への挨拶だとは光栄です。元来俳句が持っている挨拶性を詠み込んでいる点や、五七五にしっかり収まっている点は素晴らしいです。分かっていても五七五に収めることは初めからできることではありません。ただ、中七の『こんなところで』が悪い意味でゆるく感じられます。『久しぶり』と『どうしたの』だけで状況は分かるので、実景として植物などの季語を入れると俳句らしくなるかもしれません」
以来、細見田中はいつしか船の電子空間から物理個体に戻っていて、外で一緒に俳句を詠むようになっていた。船の翼がわたしたちの椅子だ。二人には定位置があって、その部分だけ砂が払われていて少しきれいだった。船体寄りに細見田中が座る。手を伸ばせば触れられる距離にいる。船の影がすっと動くように見えるほど句会は早く時間が過ぎる。
参番伝送線が翼からも見える。その視線に細見田中も加わる。細見田中が視線をわたしに戻したとき、わたしと目が合った。
「繋がりませんか。有線で」
今度はわたしから有線を出した。細見田中は何か言おうとしたまま、うつむき、黙った後、頭頂部にある有線の接続口を開けてくれた。いつしか細見田中は夕焼けに包まれている。その開口の甲高い音の余韻と夕焼けに浸りながら、そっと有線を挿した。わたしから人工知能に有線で接続するのは初めての経験だった。すると一句、送信されてきた。
待たれいることの涼しさ知らぬなり
どういう読み方をすればいいのか分からなくて、そのまま接続を遮断した。少し考えたものの、観賞も感想も言えないまま、ありがとうございますと言ったのは間違いだったかもしれない。船の翼から立ち上がって、お互い少しお辞儀をした。
「義体換装はした方がいいです」
細見田中の言葉にもう一度軽く会釈をすると、わたしは立ち去った。細見田中との有線接続はそれが最後だった。
島の苗木が船ほどの大樹となり、新緑、紅葉、落葉への変化を、繰り返し何度見たか忘れる頃には細見田中とも句会で対等に言い合えるようになり、勧められるがまま義体への換装が全身に及んでいた。そういえば、定期的な物資輸送用航空船をしばらく見ていない。島は見捨てられたのかもしれない。島の中に新しい物理個体用部品が流通することはなくなっていた。動いている物理個体も減っているような気がしていた。島内で亡くなった物理個体の部品しか出回らず、全身換装をしても、やはり故障はある。中古の義体特有の強い幻肢も身体中いたるところに感じていたものの、やはり故障部分を換装すると、思考の雑音が減って、世界の透明感が増した。その感覚のまま久しぶりの船に着くと細見田中がいない。参番伝送線から船につながると、やはり気配が無く、呼びかけても応答がなかった。俳句が一句、残されていた。
見る人も無き宮線を添う造花
辞世の句なんじゃないかという思いがよぎって、これまでの句を船の削除不可領域に保存した。
その後も墓標のようになってしまった船へ俳句を届けることはやめられなかった。細見田中を探し続けても見つからず、保存した俳句の数を確認するのも、止めてしまった。いつしか、わたしが船を訪れる時に青年の物理個体が充電をしているのを見かけるようになって、会話をするようになった。それも、何年前のことだったか、その年数に意味を感じなくなっていた。
読者を失って、俳句を詠むことがわたしにとってただの記録としての意味しか持たなくなってもやめられなかった。俳句を保存しようと湖を訪れると、森から隔離されるようにして湖の中央に変わらず船があった。手すりもない木製の簡素な橋を軋ませながら渡り、船へ近づく。森の大樹より高く聳えている。しかし、形状は樹よりも、たんぽぽの茎に似ており、それも先端はまだ蕾のようだ。常に。
「船の俳句ですか」
振り向くと青年が船を見上げている。わたしもその視線に加わる。表面には苔や小さな雑草が生えていて、見上げるほどにそれらは無くなっていき、亀裂や傷が目立っていく。先端まで大樹二本分はあるだろう。雑草も揺れないほどに凪いでいる。
湖に船の咲きいる長閑さよ
「接続してきました」
船から声に視線を外すと、青年が船から歩いて来ていた。いつの間にか俳句を詠むのに集中してしまっていた。橋が軋んでいる。
「わたしも接続します」
すれ違う青年の左腕が以前会った時と違って、動いている。換装に耐えうるような義体部品はこの島に残っていないはずだ。思考を振り払うように船の参番伝送線を腹部に挿す。充電をしながら記憶情報の伝送を開始した。
伝送と充電を終えて顔を上げると、太陽が眩しい。視覚の光量調整機能がおかしくなりつつあるのかもしれない。少しずつ、正常でなくなっていく。どれほどの時間が過ぎたのか分からないまま、視覚の設定をすると、青年がまだ浜辺へ橋を渡っているのが見えた。おそらく数秒しか経っていない。
「ちょっと待ってください」
わたしの声に青年が振り返って、立ち止まってくれた。わたしは橋を軋ませながら慌てて追いかけ、並んで歩き始めた。
「累計で何句になりましたか」
大らかな、しかししっかりとした青年の口調は変わることがない。
「いいんです。わたしの句を読む人なんてもういませんから」
わたしを見て、青年がまた立ち止まる。
「汎用作業が主目的の私にあなたのような俳句は詠めません。ただ、船への接続であなたの俳句が読めるのを楽しみにしています」
言葉を促すようにわたしへの直視が続く。
「ありがとうございます。でも、詠むなら人間を詠んでおけばよかったです」
左腕を軋ませながら歩き出した青年に、わたしもつづく。
「あなたの俳句は人間そのものじゃないですか」
「わたしはもう全身換装していて、人間ではないんです。それなのに、食欲も睡眠欲も性欲も幻肢のように疼きます。そういえば、左腕換装されたんですね。どうかお大事になさってください」
青年の左腕がときおり甲高く軋む。自分で換装したのかもしれない。
「俳句は人間の独自部品になりませんか」
大事なものを打ち明けるかのような青年の問いかけに、答えられないまま橋を渡り切った。少しの沈黙の後、ゆるやかに風が吹き始め、わたしたちは別れた。左腕の軋む音が風の音に混ざり、森の中へ遠ざかっていく。たんぽぽの音が聞こえる。大樹が枯れ、そこから新たな大樹が育つ頃には、また船で会うだろう。
(了)