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【今週も何とか生き抜いた】vol.33

(8/12〜18)

カジュアルに反戦を口にする

戦争経験者から戦争にまつわる話を聞いた経験はあまりないのだけど、すごく印象に残った話を書いておこうと思う。

私が20代の頃に、ご年配の方から聞いた話。

その方は出身である九州で終戦を迎えたそうだ。
終戦直後に出会った進駐軍のアメリカ兵を見て愕然としたんだと。彼らが着ていた軍服があまりにも立派だったそうだ。
米兵たちは体躯も立派で、ズボンはピシッとアイロンで折り目がついておりパリっとシワシミひとつない制服を着こなしているのを見て、
「これは敵わない。兵士に栄養が行き届き、洋服のシワやシミに心配りが出来るような余裕のある国と戦争してたのか、我々は。全ての物資が足らず、足りていたとして調達すらまともに出来ない日本が彼らと戦争なんてやったところで、勝てる訳がなかった」
と天地がひっくり返る衝撃を受けたのだそうだ。

そう言えば、とその方は続けて、戦闘機を作ってそれを空港へ運ぶのを見たことがあるんだけど、という話をしてくれた。
昼間は敵の目もあるということで、夜中に移動を行うとのことで、機体に黒い布を被せて牛で引かせて運んでいたらしい。
戦闘機を牛で、、、終戦後にそれを思い出して「そんなで何故勝てると思ったのかと、可笑しな話だよ」なんて仰ってた。

ホントはもちろん笑い事じゃなくて、ご本人も含め当時は皆、大マジのマジだったろうし、辛い目にも酷い目にもたくさんあっただろうけども、若い人(当時の私)に話すことだからと割とポップな感じでポップなトピックスとして披露してくれたんだと思う。

でも私はこの話を30年経った今も覚えている。

斉藤美奈子という文芸評論家が好きで、よく著作を読むのだけど彼女の著作に
「戦時下のレシピ」という本がある。
戦争中、当時の婦人雑誌が創意工夫でこの局面乗り切るためのライフハックをこぞって特集していたんだけど、その記事から世相や戦況を読み解くという本で、「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」を地で行く現代から見ると悲しいくらい滑稽で、ああこういう戦争の見方があるのかと、私はかなり衝撃的な読書体験だった。

出たー!今は亡き "岩波アクティブ文庫" !なんちゅー版型や〜

映画やドラマ、或いは歴史博物館などで、戦争中の家の中を紹介している展示や写真から、鍋釜を供出したりガスや炭を自由に使えなくなっていく貧相な台所の様を「なるほど」と思うことは出来る。
戦時下はとにかく食べ物がなく、皆いつもお腹を空かせていた、という話についてはよく知られた「戦争と言えば」みたいな話だし。

でも、この本を読むまで、当時の主婦たちがサヴァイヴする知恵や情報を、こういった雑誌から得ていたことは全然知らなかったし、言われてみればこれもまた「なるほど」なのだが、戦争協力の啓蒙・浸透にこの婦人雑誌という存在が相当に役立っていたらしい。
そらそうだわ、当時のインターネットみたいなもんだもんな。

戦前に創刊されて戦後まで残った有力誌「主婦之友」「婦人倶楽部」「婦人之友」の記事が紹介されてる…スッゲー表紙だなぁ、おい!

戦争がだんだん激しくなって行く中、米や味噌、砂糖などあらゆるものが配給制度の元でしか入手出来なくなって行った話はさすがに知ってはいたが、私はこの本で、日中戦時下の米不足の大きな原因が、朝鮮での凶作や問題だらけの輸送インフラだったことを知った。
そしてそんな米不足下によって編み出された料理の数々がご婦人雑誌に紹介されいるのだけど…うどんかん、興亜パン、国策炊き、米ぬかチョコレート、、、その名を聞くだけでも「自分、無理っす」と言いたくなる。戦況が悪化するにつれて道端の雑草や芋のツルを「野菜」と呼んで、食すようになるとか、辛すぎる。

国家議事堂の前で家庭菜園すな!(ホントはむしろ国家の推奨案件)

とにかく出てくる料理が全部まずそうで、読んでるだけでも耐えられない。
特に戦争末期の入手し得る豆や穀類を片っ端から粉にして水にこねて団子状にした「すいとん」にするとか、そのすいとんの汁をどろっとさせるとか「茶殻を野菜として食べましょう」とか代用マヨネーズの作り方とか配給の味噌を2倍にする方法とか、ありとあらゆるハックが女性誌で紹介されていて、読んでるこちらが栄養失調になりそうだ。
(デブですけども)
これを食していた、食さねばならなかった先達の方々の苦しみはいかばかりだったことだろう。
もちろん、美味しくなさそうなどと言って食べ物を選り好みするような選択肢はなかっただろうし、それは死活問題でもあったはずだ。
それでも、それだからこそ、、。

これ良く見るね。なんと、大人が2時間ついてやっと7分つきの仕上がりだったらしい(ムリ

戦争という割には軽めのトピックスを並べてみたけど、正直、こういうレベルで反戦を訴えるの、私は全然アリだと思っている。
戦争なんてまっぴら御免なので、ありとあらゆるレベルで戦争なんてまっぴら御免と言うべきだ。
日常や日常会話の延長で戦争反対を表明してくのもいいじゃない。
服のシミシワや空腹の恐怖で反戦を語ってくのもいいじゃない。

戦争中って、甘いもの全然食べれなかったらしいよ。しかも天気予報とかも庶民には知らされてなかったんだって〜。
えー最悪ー!
そう、最悪なんだよ戦争は。

戦後80年かぁ。この状態をもっともっと続けねばならない。

Wed.
今年、スワローズファンになると決めて、最低でも月に2回は神宮へ足を運ぶことにしているが、足りないのかしら、、、
私はまだムネのホームラン見てないのよ〜何だかんだもう20本以上打ってるのよ?!
と思っていたらこの日は延長11回にサヨナラタイムリーを打った、村上宗隆。
選ばれし猛者集う地で 強く咲く大輪
肥後より携えし力 今こそ解き放て、村上宗隆。(←村上の応援歌より)
野球選手の応援歌って歌詞がなんか少年ジャンプみたいで、口にしながら興奮しちゃうんだよなぁ〜

勝ったので花火〜!
いかにも「神宮球場」な画角で満足の一枚

Fri.

最近、色々用事があったりして、私にしては珍しく実家の母に会ったり電話したりする機会が増えている。
私の母は四姉妹の三女なのだが、4人の中で母が一番祖母に似ている。というか最近めっちゃ似て来た。
見た目、というより仕草、佇まい方、声のトーン、喋る時のリズム、、、こういうのって本当に不思議だ。
もちろん母独特のムーヴもあるんだけど、おばあちゃんに似ている要素がすごく気になるようになって来た。
母はジェネリックおばあちゃん。

でもこれは同時に、私もこうなる可能性がある、ということの顕れでもあるので、味わい深く受け止めねばならない。
にしても親子や兄弟で「似る」って現象は面白い。遺伝子の頑張りや優秀さを思う。

ちなみに、私が最近の遺伝子案件で最高に感動しているのが、ビヨンセとその娘のブルー・アイビーだ。
まぁ、見た目だけ、なんすけど。

ビヨがママ、というよりジガさんがダッドってことの方が想像がつかない。でもちゃんと似てる
ブルーアイビーの腕、めちゃ長くない?バレーボールやらないかな?ワクワク!


ちゃんと「足して2で割った感じ」になってる〜
めっちゃよく出来てる〜
見た目だけの話だけども〜
と毎度感動。

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