空區地車の力学92.空の空、すべては空なり。
この歳になると21時には眠くなり、3時か4時には目覚める。
朝ごはんには早いし、出社しようにも始発はまだない。
しかたなしに小1時間布団の中で物思いにふける。
この日は「空」について。
私の属するのは空區若中だ。
「空」は「くう」でも「から」でもなく「そら」と読む。空區若中(そらくわかなか)とは、空(そら)という地区(區)に属する、祭りに参加する集団(若中)という意味だ。
「くう」「から」は物の状態を差し、ほぼ同じ意味で使われるが、「そら」は天を差す時に使う。
しかし、天空(てんくう=広々とした空)と青空(あおぞら=青々とした雲ひとつない空)は、同義語だが「空」の読みが「くう」と「そら」で異なる。
空は「くう」「から」「そら」と読めるが、「から・あき・何もない」が、どうして「そら」と繋がるのか?
一説によると雲、雷、雨、雪など様々な自然現象を生み出す空が、雲一つない晴天であれば「何もない日」=「空っぽ」=「空(そら)」となったというのだ。
ではなぜ空區は「くう」ではなく「そら」なのか?
空區の「空(そら)」の由来は本ブログ10にも記したが、以下の理由からである。
下記の写真のように、2階建ての家の1階に祀る神棚には「空」「雲」「天」などの札が貼られるのが慣わしとなっている。
「2階に人は住んでいますが、神様を踏みつけたり跨いだりしていません。ここから上は空ですよ」と意味合いでお札を貼る。
このようなことから神社のある宮本(吉田區)のすぐ上に位置するので空區となったと言われている。
仏教では般若心経に「色即是空(しきそくぜくう)」と「空」の文字があり、旧約聖書でも「空の空、すべては空なり(くうのくう、すべてはくうなり)」と「空」の文字がある。いずれも「空=くう」と読む。
神棚の「空=そら」と、「色即是空」や「空の空、すべては空なり」の「空=くう」は、読みは違うが「無」がルーツである。
般若心経の「色即是空」とは、万物の本質は、実体のない空(くう)であり、執着してはならない。つまり欲望は無意味であるとの教えだ。
旧約聖書の「空の空は、すべて空なり」も同様の教えである。
しかし、無や空の価値観は抗っても私たちにはなすすべはない、しかたがないと捉えてはならない。この教えの本質はその先を見据えた「どうすれば最も意味のある人生を歩むことができるか?」という真理の探求にある。
空區若中の「空」の意味の重みを感じつつ、物思いにふけった。
気がつくとあと2025年がすでに始まっている。
コロナショックから5年目を迎えるが、公私ともに今だ完全に立ち直っておらず、トータルで見るとプラスよりもマイナスが多い気がする。
とはいえ私的には2024年7月末に初孫ができるなど良いことも多々あった。改めて感謝したい。
そして、今年の目標(≦人生の目標)は、「どうすれば最も意味のある人生を歩むことができるか?」を考え、貫きたいと思う。合掌。