空區地車の力学82.反高林區2代目地車、2024年DEBUT!
地車は地域によりカタチが異なります。
代表的なものだけでも、大阪型・神戸型・尼崎型・宝塚型・堺型など、多種多様。というのも、神輿は神社が作るので形が決まっており、図面などの記録も残され継承されますが、地車は氏子がお金を持ち寄り製作します。
そうなると氏子の中の金持ちの資金に頼ることになるので、資金を出した方の想いが優先されます。MLBのようにオーナーが強いのです。
宮大工の選定にも当然口を挟むでしょうし、流行り廃りに敏感な宮大工が登用されます。そもそも図面などの記録も残っていので継承もなく、宮大工の個性と現場対応力が如実に現れるのです。
お金に糸目をつけない金持ちほど、金具や彫り物、幕は豪華になります。
地車を新調すると今の価格で億単位になります。
そこで今持っている地車を転売して新調するか、中古地車を購入してそれを改修して使います。
地車の大きさや程度によりますが、中古とはいえ購入価格は500万~1000万円強で、改修費はざっと5000万~1億円。
改修と一言で言っても文化財である地車の改修には相当の費用がかかります。
黒檀(こくたん)・紫檀(しだん)などの銘木の使用量、金物の量、彫り物の大きさと数、幕の豪華さなどにより改修費はドンドン上がっていきます。
また工務店(宮大工や船大工)が総合設計するので、依頼側の要望を満たそうとすればするほど連鎖的に改修箇所が増えていき、応えようとする工務店の力量によっても改修費が変わります。
まさに価格があってないようなものなのです。
ただでさえ買い取り費用がかかっているので、購入初年度だけでなく数年かけて徐々に地域の仕様に整えていきます。
今でも祭り前には、地元企業や有志からの寄付を頂きますが、そのほとんどは祭りに参加した人々の飲食費と、破れた提灯やウチワの補修費、ロウソクやカッパなどの消耗品で消えてしまいます。
それでも三役の要である「会計」がやりくりして、少しずつ貯蓄し、大改修に備えるのです。
我が本住吉神社の地車には「一般財団法人 住吉学園」という大スポンサーがついているのが強みですが、それでも毎年、地元民から寄付を募りコツコツと貯め込んで、何とか20~30年に1度、大改修を行なっています。
「地車に大改修は必要か?」と不埒なことをいう御仁には「カツ!かつ!喝!」
本体は材木でできているので、水分に弱く反れるし、傷みも早く、またコマは重さ4トンの車重に耐えきれず、グラついたり変形します。
大改修後の法定耐用年数はざっと30年ほどか?祭りは年2日行われるので何と60日間の使用です。ほとんどは地車小屋に留め置きしているだけなので余計に傷みが早いのです。
それでも大工の卓越した技で改修を繰り返せば、何百年も使えます。ちなみに空區地車は現存する地車としては神戸型地車で一番古く、江戸時代から200年以上改修を繰り返し使っています。
大改修までは騙し騙し、通帳と睨めっこしながら、指折り数えて丁寧に使い続けているのです。
しかし、地車の転売が神戸→大阪や、大阪→神戸になった場合は大事(おおごと)になります。
住吉のだんじり祭りに8番目の地車として平成29年に加わった「反高林區」の初代地車は「子供地車」と呼ばれる小さな地車でした。その地車から今年、2代目の地車に買い替えたのですが、この2代目地車もまた転売を繰り返した地車です。
今年デビューする2代目地車は、もとは灘五郷の西の端にある西郷(阪神大石あたり)の酒造メーカー「沢の鶴」の社長が孫の誕生祝として大正時代に新調し、町に寄付したものでした。
それを後年、大阪府の某地区(富田林?)に転売し、その後、羽曳野市の西浦地区に再転売。沢の鶴から大阪に転売された地車が神戸型なので、大阪型に改修し曳いていました。
上記写真の様に、神戸型の地車は機体の外側にコマが付く「外コマ」で、大阪型は機体の内側にコマが付く「内コマ」です。神戸型(内コマ)を大阪型(外コマ)に改修し、それをまた反高林區が購入したので、再度「神戸型」に改修し、令和6年にデビューしたのです。
神戸型→大阪型→神戸型と改修されたので、外コマ→内コマ→外コマと足回りが3度変わったのです。さすがにコマが付く「土呂台」は、強度等の問題があり新調しました。
屋根は地車の姿を逆三角形にするため横幅を拡げました。そのため構造強化が必要になり全て新調。
勾欄(こうらん)は、当初の「刎勾欄(はねこうらん)」に戻すため、唐木を使って新調。唐木三大銘木とは、黒檀(こくたん)、紫檀(したん)、鉄刀木(たがやさん)ですが、いずれも重硬で緻密な材質です。ほとんどは中国からの輸入になり、現在は中国からの輸入がないので調達が困難な上、そもそもとても高価です。反高林區の勾欄は唐木ということですが黒檀ではないようです。
脇障子も新調し、それに併せて彫り物も新調。彫り物は「彫刻飯坂」(大阪府岸和田市)の作です。
あそこを直せば、こちらも直したくなるのが人の性。いわゆるソースの継ぎ足し状態、ほぼ新調に近い大改修で、もはや建造当初からの部材はないかもしれません。
金具もあちらこちらに取り付けられています。
最近流行りの張菜棒(ちょうさいぼう)の小口への金物も付いています。
かって住吉地区は道が狭く、壁などと張菜棒に手が挟まれる事故が多くありました。この時、張菜棒の小口が木のままなら指は押し潰されても切断は免れられましたが、金物を付けると確実に指が切断されてしまうので、金具の取付けは行われませんでした。
しかし区画整備が進み、地車がギリギリ通れるような狭い道が少なくなったことで、張菜棒の小口に金具を取り付ける地区も増えています。
さらに機体が大きくなった分、幕も寸足らずなので新調するしかありません。前幕は「向き合いの双竜」、後ろ幕は「応神天皇生誕の喜び図」となっています。
ちなみに地車のパーツの中で最も高価なのものが幕です。反高林區の地車は住吉地車8台の中で最も小さいとはいえ、1000万円は下らないでしょう。
製作は愛媛の㈱金鱗で、空區地車の幕も平成5年に制作してもらっています。
後ろ幕の「応神天皇生誕の喜び図」に描かれる応神天皇(おうじん)は、本住吉神社の祭り神である神功皇后(じんぐうこうごう)の子供にあたります。本住吉神社の地車である反高林區の幕にも神功皇后は無くてはならないアイテム。
神功皇后の腹心である武内宿禰(たけのうちすくね)が神功皇后の子供である応神天皇(おうじんてんのう)を抱き、左に中臣烏賊津使主(なかとみのいかつおみ)が描かれています。
こうして完成した二代目地車は、初代地車の約1.5倍になったといわれています。本年3月17日にお披露目式が行なわれ、5月4~5日の例大祭でDEBUTしました。
工務店・・・南工務店(大阪府岸和田)
彫師・・・彫刻飯坂(大阪府岸和田)
幕・・・株式会社 金鱗(愛媛県新居浜)
鉄金具・・・村上鉄工所(大阪府岸和田)
話はそれますが、実は私は西郷が出生地で、神戸市立西郷幼稚園、西郷小学校卒です。
子供の頃は、沢の鶴の菰樽工場に忍び込んでは悪友と基地作りに明け暮れていました。ごめんなさい。
しかしながら西郷地区は、都賀川を挟んで大石南町と新在家南町にまたがっており、沢の鶴酒造も新在家南町に本社と工場を持ち、大石南町には菰樽工場や酒瓶への充填工場を持っていました。
現在の沢の鶴資料館は大石南町にあります。しかし大石南町に住む私の記憶に神輿はありましたが、川を隔てた新在家で地車が曳かれていたという記憶はありません。
ちなみに『先代地車探訪記』によると、現在の新在家の地車は、東灘区御影西之町→東灘区呉田→灘区畑原→灘区新在家と転売が繰り返され「灘のだんじり祭り」で巡行されています。
さて、地車の新調→転売→改修は、反高林區の地車に限らず、多くの地区で繰り返されています。新調して使い切り廃棄することはまずありません。転売を繰り返し、使われ続けられるのです。
かっては曳き手の確保に苦労し、地車を出せない時代もありましたが、現在は祭りが観光の種になり、曳き手が極端に減少することはなくなりました。それもあり神戸型の地車は、どの地区も地車を大きくしています。
地車を大きくすると曳き手も増やさなければなりませんし、重くなるので曳く技術を向上させなければならないのですが、地車を大型化する傾向はもうしばらく続きそうです。
地車は江戸時代の昔から再生=サステナブル(持続可能)な地域社会に一役買っているといえるでしょう。
写真出典:令和6年度莵原だんじりかわら版
YouTubeよりスクリーンショット:2024.03.17 神戸市東灘区 反高林 だんじり 入魂式・御披露目巡行 令和六年三月十七日(日) (youtube.com)