
春樹と人称
ごくごく大雑把にいって、それまで一人称でしか小説が書かなった(けなかった?)村上春樹という作家が、ある種、満を持して三人称を採用して執筆した作品集『神の子どもたちはみな踊る』とそれ以降の作品が、一体何人称で書かれていあるのかを、まず一覧しておきたいと思います。
連作短篇集『神の子どもたちはみな踊る』《2000年2月》
UFOが釧路に降りる(三人称?)
アイロンのある風景(三人称?)
神の子どもたちはみな踊る(三人称?)
タイランド(三人称)
かえるくん、東京を救う(三人称?)
蜂蜜パイ(三人称)
長篇『海辺のカフカ』《「奇数章」(一人称:僕)、「偶数章」(三人称、ただし、主人公の自称詞は「ナカタ」)2002年9月》
中篇『アフターダーク』《(三人称)2004年9月》
連作短篇集『東京奇譚集』《2005年9月》
偶然の恋人(一人称:僕)
ハナレイ・ベイ(三人称)
どこであれそれが見つかりそうな場所で(一人称:私〈男性〉)
日々移動する腎臓のかたちをした石(三人称)
品川猿(三人称)
長篇『1Q84』《「Book1」「Book2」(三人称)2009年5月、「Book3」(三人称)2010年4月》
長篇『色彩を持たない多崎つくる、彼の巡礼の年』《(三人称)2013年4月》
連作短篇集『女のいない男たち』《2014年4月》
ドライブ・マイ・カー(三人称)
イエスタデイ(一人称:僕)
独立器官(一人称:僕)
シェエラザード(三人称)
木野(三人称)
女のいない男たち(一人称:僕》
長篇『騎士団長殺し』《「第1部」「第2部」(一人称:私〈男性〉)2017年2月》
連作短篇集?『一人称単数』《2020年7月》
石のまくらに(一人称:僕)
クリーム(一人称:ぼく)
チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ(一人称:僕)
ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles(一人称:僕)
「 ヤクルト・スワローズ詩集」(一人称:僕)
謝肉祭(Carnaval)(一人称:僕)
品川猿の告白(一人称:僕、ただし、猿の自称詞は「私」〈男性〉)
一人称単数(一人称:私〈男性〉)
長篇『街とその不確かな壁』《「第一部」(一人称:僕)、「第二部」(一人称:私〈男性〉)、「第三部」(一人称:私〈男性〉?)2023年4月》
春樹は「村上春樹 ロングインタビュー」(「考える人」二〇一〇年夏号、2010・7 新潮社)の中で、次のように語っています。
神の子どもたちはみな踊る』(二〇〇〇)で、初めて全面的な三人称による世界になりました。これを書くことで、短いものなら三人称で書けるという確信を得たんです。
これは初読からの懸念だったのですが、連作短篇集『神の子どもたちはみな踊る』に収められた作品は果たして「全面的な三人称による世界」なんでしょうか?
たとえば、第一作目の『UFOが釧路に降りる』の次の場面は、本当に三人称で書かれたと断言できるのでしょうか?
「 北海道は前に来たことあるんですか?」とシマオさんが尋ねた。
小村は首を振った。
「遠いものね」
小村はうなずいた。そしてあたりを見回した。「でもここでこうしていても、遠くに来たような気があまりしないな。変なものだね」
「飛行機のせいよ。スピードが速すぎるから」とシマオさんは言った。
もしこれが作者がいうように三人称で書かれているとしたら、明らかに地の文で「シマオ」に「さん」が付けられているのは不自然で、「小村」と同様に「シマオ」と記述されないとならぬのではないでしょうか?この作品において、主要登場人物は「小村」「佐々木ケイコ」、そしてなぜゆえにか「シマオさん」と記されています。
同じように第二作目の『アイロンのある風景』も三人称で書かれているといわれていますし、繰り返しになりますが、作者自身もそう明言しています。だとしたら、次の箇所はどう考えるべきなのでしょうか?
三宅さんは順子のとなりに腰を下ろした。彼はいつもより少しやつれて歳をとったように見えた。耳の上のあたりで伸びた髪が立っているのが見えた。「三宅さんて、どんな絵を描いているの?」
「それを説明するのはすごくむずかしい」
順子は質問を変えた。「じゃあ、いちばん最近はどんな絵を描いた?」「『アイロンのある風景』、三日前に書き終えた。部屋の中にアイロンが置いてある。それだけの絵や」
「それがどうして説明するのがむずかしいの?」
「それが実はアイロンではないから」
順子は男の顔を見上げた。「アイロンがアイロンじゃない、ということ?」「そのとおり」
「つまり、それは何かの身代わりなのね?」
「たぶんな」
「そしてそれは何かを身代わりにしてしか描けないことなのね?」
三宅さんは黙ってうなずいた
関西出身と思しき中年男性「三宅さん」と「地の文」で記されています。もちろん、会話文ではなく、「地の文」で「さん」づけされているということは、語り手としての順子の一人称の痕跡が混入しているためだともいえるようですし、彼女の視点と同化した無人称の語り手が一種の実況中継的に描写しているともいえます。
第三作目の『神の子どもたちはみな踊る』にも不可解なシーンがあります。
謝ることなんかありません。邪念を抱いていたのはあなただけじゃない。息子である僕だっていまだにろくでもない妄想に追いかけられているんだ。善也はそう打ち明けたかった。でもそれを言ったところで、田端さんを余計に混乱させるだけだろう。善也は黙って田端さんの手をとり、長いあいだ握っていた。胸の中にある想いを手に伝えようとしていた。僕らの心は石ではないのです。石はいつか崩れ落ちるかもしれない。姿かたちを失うかもしれない。でも心は崩れません。僕らはそのかたちなきものを、善きものであれ、悪しきものであれ、どこまでも伝えあうことができるんです。神の子どもたちはみな踊るのです。その翌日、田端さんは息をひきとった。(原文では太字部分は傍点が付されています)
短篇『神の子どもたちはみな踊る』には、上記のような主人公善也が母親の宗教上の導き手「田端」を「さん付け」の呼んでいる箇所が幾つか確認できます。ただ、この作品におけるこのような描写は、善也は自分のことを「僕」と呼称していますので、過去の回想シーンだとも解釈可能ですので、『UFOが釧路に降りる』や『アイロンのある風景』とは一線を画せるかもしれません。
第四作目の『タイランド』と最後に書き加えられた『蜂蜜パイ』は、一応三人称叙述が採用されているといえますが、第五作目の『かえるくん、東京を救う』にも、三人称叙述が採られているとはいい難いシーンが頻出しています。
片桐がアパートの部屋に戻ると、巨大な蛙が待っていた。二本の後ろ脚で立ち上がった背丈は2メートル以上ある。体格もいい。身長1メートル60センチしかないやせっぽちの片桐は、その堂々とした外観に圧倒されてしまった。
「ぼくのことはかえるくんと呼んで下さい」と蛙はよく通る声で言った。
片桐は言葉を失って、ぽかんと口を開けたまま玄関口に突っ立っていた。「そんなに驚かないでください。べつに危害をくわえたりはしません。中に入ってドアを閉めて下さい」とかえるくんは言った。
この作品についてはかつて論じたことがあります(拙稿「『かえるくん、東京を救う」論―変わるものと変わらぬもの―」「山口国文」第29号 2006・3 山口大学人文学部国語国文学会)。要するに、主人公片桐は過度のストレスに見舞われた結果、解離性同一障害を発症し、一種の交代人格としての「かえるくん」という妄想を観ているという趣旨でした。
加えて今回、その一人称的幻覚世界がいわば三人称叙述によって記述した作品なのであるという仮説を提出したいと思うのです。
さて、村上春樹にとって一人称と三人称はいかなる関係にあるのでしょうか?
つまるところ、作者自身が収録された全作品が三人称で描いたと断言したにもかかわらず、半分以上の作品に「一人称の痕跡」というしかないものが混入していると言わざると得ない事象が存在するのは、どう解釈するべきなのかということだと思います。
諄いようですが作者自身によって、三人称ですべての作品が書かれたと作者が宣言したはずの短篇集『神の子どもたちはみな踊る』に収められたいくつかの作品の中に、一人称への回帰(あるいは残存)としか思えない部分が存在することをどう考えるのか換言できるということかと愚考します。
とりあえずの私見を述べるなら、村上春樹という作家がある時期まで「一人称」でしか小説を執筆しなかったのではなく、「一人称」で同時に「三人称」的世界を描いていたのかもしれないということです。
もちろん、村上春樹自身は「現在の日本語に英語における“I”のような純粋観念としての一人称がない」(村上春樹「僕が「僕」にこだわるわけ。」(『広告批評』第35号 1982・3 マドラ出版)と言っていますが、同様に純粋な三人称も言語学的に(あるいは日本語において)存在しないのではないかと思います。
実際、日本語の「彼」「彼女」は英語の「He」「She」と厳密に同じかという疑問があります。なぜなら、「彼」「彼女」といえば、「恋愛の対象者」という意味が含意されてはいないかと思われるからです。
となると、責任(?)を村上春樹という作家個人に帰することは、いささか難しいのではないかとも思うのです。
いよいよ、砂上の楼閣的な状況を呈してきましたので、駄文を終えることに致したいと思います。
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