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うしなわれた・・・を求めてー大崎善生という作家ー〈なんとか、その2〉

 まず、タイトルを「うしなわれた・・・を求めて」ではなく、「一期一会をもとめて」と訂正せねばならないかもしれません。〈その1〉を記してから、短篇集『さよなら、僕のスウィニー』と同じく短篇集『ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶』の二冊を読みました。
 『さよなら、僕のスウィニー』には、11篇の短めの短篇が収められています。表題作のタイトルに代表されているように、極端にいえば全作品が「い一期一会」という基本理念に貫かれています。
 『ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶』には、「ドイツイエロー、もしくはある広場の記憶」という名の作品は存在せず、『キャトルセプタンブル』『 容認できない海に、やがて君は沈む』『 ドイツイエロー』『 いつか、マヨール広場で』という四篇構成です。登場人物はすべて名前が異なりますが、あるいは「一期一会」という共通する主題のもとにかかれたことを示唆しているのかもしれません。少なくとも、『いつか、マイヨール広場で』の森川卓也と吉岡礼子に限っていえば、その関係は「一期一会」そのものです。
 一方で、『キャトルセプタンブル』の主人公理沙の母親は、〈その1〉で触れた『九月の四分の一』に登場する奈緒と同一人物のようで、作者大崎善生の不思議な作家性を物語っているようにも思えます。
 

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