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こんにちは、noteはじめました。

ただの自己満足のために、そしてなかなか日常生活で関わりのない「お勉強好き」な大学院生の生態を知って、面白がってもらうために、noteをはじめました。

私はとても感覚的で情緒的な人間で、いつも湧き上がる感情の表現方法を無意識に探してきたな、と最近気づいたので。その手段として、写真や文章で表現していきたいなあ、と思います。

【最近自分の中でとてもしっくりきたこと】

今年度から大学院修士課程1年目で、森林と人間の関わり(環境保全と開発)について学んでいます。すごくざっくり。

今まで他人に、「あなたは研究には向かないよ」って言われたり、自分自身でも、「論理的」と対極にある私の性格で、研究なんてしていいんだろうか、って思ってきた。

しかも、私の専門は、文系・理系という従来の枠組みでは捉え切れないほど「あまりにも複雑になってしまった世界」を対象にしている。だから、そもそも自分は何を専門としているの?と聞かれた時の答えを今まで明確に持ってこなかった。自分自身でもわからなかったから。

最近は、やっと、ぼんやりと「自分の専門」(なんていうのもおこがましいけど)が見えてきて、それは 「環境社会学・東南アジア地域研究・開発人類学を組み合わせたっぽいもの」かもしれないと気づいてきた。

まあ、結局は「人文社会科学系」という「文系」の分野がメインなんだけれども、そういう分野では、まず、「わたしはどのように世界を見るか」を考えるらしい。そのどのように見るか、という「視点」によって「複雑な世界」で起きている事柄を表現するらしい。

いろんな人が異なった視点から見れば、同じ「世界」でも、起きている事柄の解釈は変わるし、その解釈をした説明文は「論文」としてアカデミックな文章になる。

ちなみにその「視点」は今までの研究者たちが蓄積してきた研究成果の中で、この問題には、「こういう見方をするといいよ」と明らかにしてきている。だから、勉強すれば、その「視点」は獲得できる。(もちろん、既存の研究を参考にしながら、新しい「視点」を作り出すこともできる。すごいね!)

このことを知ったときに、ああ、すごくいいなあ、と純粋に思って。なんだかとても希望を感じまして。だって、少し「勉強」すれば、私が普段感じる生活の感覚的なモヤモヤも、世の中の「複雑さ」すら言葉にして表すことができるんだから。

わたしみたいな、才能のない、決して賢いとも言えない人間でも、研究やっていいんだ、と、すとん、と腑に落ちたような感じがしまして。

だから最近は、わたしが表したい「世界」を見るためには、どんな視点があるのか、たくさん、いろんな研究を読んで勉強しているところです。一日パソコンに向き合ったり、文章と格闘していることも多くて、側から見たら、きっと「いや、何やってんの...」って思われるんだろうな。わたしとしてはとてもとても楽しくて満ち足りた「お勉強」の時間です。

ちなみに今日は、あまりにも衝撃的な心揺さぶられる「視点」についての本を読んで、号泣しました(笑)。こんなわたしでも一応、「研究者の育成を目指す」修士課程にいるんだから、なんか、それも希望だなあ〜と徒然なるままに考えています。








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