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13年越しに、沖縄に逢う

灰谷健次郎が1978年に発表した小説「太陽の子(てだのふあ)」
沖縄が日本に復帰した6年後の著作とあって、とても生々しい「戦後を生きる沖縄の人々」が描かれている。

現在進行形の、不公平と構造的暴力に気づくきっかけとなる本。

この本は、私がまだ小学6年生の頃、沖縄の離島出身の母親が「読んでみて」と手渡してきた本だった。普段は戦争の話も、沖縄の歴史のことも何も語らない母だったから、不思議に思ったのを覚えている。読んだ後も、なんだか照れてしまって本の感想を伝える事はなかった。

母親から13年前に手渡された実物。年季が入っている。

小学6年生、というのは、主人公の「ふうちゃん」と同い年で、母はきっと思うところがあったのだろう。私はあの頃、たったの12歳だった。衝撃は受けたけれど、それっきりだった。以降、「沖縄」について、今の今までちゃんと向きあおうとする事はなかった。

最近、知り合いの呼びかけで、沖縄に関する勉強会に参加することになった。
今までずっと海外や国際的な社会問題に目を向けていた。
コロナ禍で物理的に海外に行くことができないこと、
国際的な環境問題について学んでみると、ますます先進国である日本が与える環境インパクトの大きさを実感して
まずは、もっと目の前のことを知るべきじゃないか、と感じていたこともあって自然と関心が国内にも向いた。

それをきっかけに、13年ぶりに読み返した「太陽の子」は本当に、本当に衝撃的だった。
途中から涙が止まらなかった。
灰谷さんの力強くて、優しくて、そして深く哀しい文章は、一度でいいから読んで欲しい。

私が「いまここ」に生きているのは、過去の数えきれない人たちの死と、現在も続く苦しみの上にある。
そんな、当たり前すぎて気づけなくて、当たり前にすべきじゃない事実を噛み締めて「勉強」を続けていきたい。

そんな決意表明でした。

「みんなは歴史年表を作るときに、一九七二年、沖縄が日本に復帰したと書くだけだけれど、学校で勉強する沖縄は、それだけでいいのかな。恥ずかしいことだけれど、ぼくも沖縄のことは、大峯の百分の一も知っていない。同じ日本人なのに、どうしてぼくたちは沖縄のことを知らないのだろう。大阪や神戸には沖縄出身の人が多いが、どうして沖縄の人は生まれた土地で働けないのだろう。歴史を勉強するということは、そういうことを考えるということだろう...」
「...歴史の事柄だけを覚える勉強はどこかおかしくないか。今、生きているぼくたちの方から歴史をたどる勉強を、はじめようやないか。」

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