コロナウイルスのことで心が疲れ、答えのない答えを出さなければならないが、どうもすっきりと答えが出せない人に読んでほしいnote
緊急事態宣言が出たことも含め、皆さん、不安な日々と思います。
感情的にならず、冷静に話を聞いてください。極めて客観的に事実を述べます。
日本としてやるべき現実的なコロナ対策で可能性のあるものは大きく分けて2つに分かれます。「現実的な」が大事です。これは、どちらも正解というか、どちらも不正解というか、どちらもとても痛みを伴います。国としてのリスクの大きさは同等程度だと思います。
1つ目は、ヨーロッパなどのようにすべての経済活動を止めて、事業者の収入を補償して、最低限の生活を維持できるようにしつつ、その制限をかけたことでコロナウイルスの感染拡大を防ぎ、収束させること。他国では、そう簡単には感染者数が減らず、医療崩壊もあり、死者も増えているようですが、それでも、全体として、そのまま活動していたよりは一定数の数字的な結果を出せる方法だと思います。
我が国は違います。経済活動をやめた場合、感染拡大は今よりは防ぐことができ、重傷者や死者を減らすことができます。しかし、活動自粛は求めるが、休業しても補償はできない。と首相は明言されました。そのため、倒産や失業者が急増し、自殺者も含め、長期的な死者が多数出る。
2つ目は、無症状で自覚できずに感染者が出てしまうことからワクチンができて広まるまで、完全に感染拡大を止めることができるとは考えにくい。そのため、コロナウイルスが蔓延していても我々ができる新しい生活スタイルを確立する。できる自粛はするが、経済的な補償を受けられない事業者で継続しないと倒産するような会社・個人は活動をする。利用者は、自粛しつつ、最低限の生活と心を満たせることをする。この場合、感染拡大防止は弱くなるため、感染者は多く、重傷者や死者が増加します。その分、経済活動はやめないため倒産や失業者は少なくて済み、長期的な死者は減る。(長期的と言っているのは、お金がないとなってもできることを最大限やれば、すぐには死なないかなら。)
どちらがいいと思うかは思想であるため自由ですが、どちらがいいと思うかどうかではありません。現実でなければ意味がない。内閣総理大臣になるゲームをしているのではありません。今回のことは、ネットで議論をしたり、批判をしても意味がありません。ただの愚痴に等しいです。私はツイッターでも、事実や個人的な決意などしか言いません。決定権がない限り、理想を言っても意味がありません。ですから、決定権がある人が決定したこと、するであろうことに沿って事実を見ていかなければなりません。感情と事象・現象を分けて捉える必要があります。
1がいいと思う人は、感情的になっています。いいと思うかどうかではなく、1の最後で言った通り、日本は活動停止+収入補償をしないと決めたのですから、実質、1はもうできないということになりました。それでも重傷者を出さないことが大事だ、生きていれば、また、やり直せる、という方は相当な感情論で生きている方です。やり直せません。生きていないです。街は死にます。あなたが元気に乗り越えられても、あなたが乗り越えたら行こうと思っているお店も何もなくなっている可能性が高いことを想像してください。どのように追い込まれていって、死に至ったかがわかりにくいからといって、死んでいないことにしてはいけません。間接的な殺人です。現在でも実質的な自殺者は年間3万人程度います。数値的な操作がされて公表数が減っているだけです。それに追加して実際には死んでいる失踪者もいるのです。それが絶対に増えるのに、国が収入を補償せずに1を国民ひとりひとりの意思だけでやるべきだというのでしょうか。今までにそんな団結をしたことがありましたか。全員ですよ、やるわけがありません。やるやらないではなく、できないのです。養わないといけない家族がいる人が、感染拡大を防ぐために今日から店を閉めることにした。収入がありません。みんなのご飯はありません。それぞれ生きてください。と家族に言いますか?感染リスクはあっても事業を続けるでしょう。一般の方が、あの店は自分勝手にやってる、あの店は感染拡大防止のために休んでる。と考えるのは単純すぎます。共働きの人、旦那さんが働いていて奥様がやっているお店、家族はいない人。これらを一緒にして、店をやっているかどうかで判断することはできません。自分しか収入ないのにやめてどうしますか。そのあなたの思う正義感だけが大事ですか。それはどこに向かうのでしょうか。あなたが補償できないのに言うことはできません。そういう意見が真実を見ない感情的なっている意見です。そういう人は通販も利用してはいけません。誰が送るのでしょうか。どこかしらの会社に通勤して、どこからか送られてきたものを使ったり、その商品を送るわけです。活動させているではないですか。配送業者は、人ではないのでしょうか。仕分けも配送も人が出勤してやっていますよね。自分は自粛して、人に活動させて、どこが全員で活動自粛して収束させるという方法なのでしょう。だから、1はないのです。2は、医療に負担がかかりますが、1でも当面は同じようにかかると思います。2は、人間をみんな一緒と思わずに分けることが大事ではないでしょうか。感染しても重症化しないと断言できる人はいないわけですが、基本的には治るのですから、それは全体としては仕方がないこと。死ぬよりは、感染して治った方がいいです。重症化しやすいと言われている条件に当てはまる人やその周辺の人は、極端に意識を変えて、その対象者は人との接触を避ける。モノに触れることも気をつけること。
結論は、日本は2を選択したということになる。私たちがどちらを選ぶかではなく、もう選ばれたのです。できる限りの自粛をして感染拡大防止に努めるが、娯楽など以外の経済活動は継続し、生活を続ける。重症化しやすい人は別の意識を持って、極端に人や物に触れる活動を最低限まで自粛する。苦しいのは、全体の感染者数は増えるため、医療の問題は尽きない。消費者は、できるだけ街のお店を利用して、以前のように暮らせる日が来たときに街が生きているように、少しでも活性化させること。事業者も、当面、客数は少なく、辛い日々ですが覚悟を持ってやり抜くしかありません。事業内容を変更したり、工夫は必要ですが、今までやってきた専門的なことではなくても自分ができることを探して仕事にする。
東京都は危機感が強まり、1を選択したいと思っている。国は2を選択している。1は全員でやらなければできない。補償しない限りできない人が多数のため、1は実現不可能。偶然、見かけたネットでの意見では、国よりも都が危機感があって支持できる。という意見をいくつか見ましたが、意見は無意味です。支持しようがしまいが、国が指示しない限りできません。
私、個人の話になりますが、私のお店がある町の個人の飲食店さんは、土日も営業されているお店がほとんどです。それは、ここは住宅地で、他のお店は町の人がお客様だからだと思います。当店は、店の個性から遠方の方ばかりで、週末の電車利用者を減らすため、今は週末休業していますが変えるかもしれません。百貨店が休業を決めたからには、もう、あまり平日も週末も関係なくなってきているのも事実です。私は、カフェや小売ですから、止まれば店は死にます。新しいスタイルを構築して営業を続けます。
日本の状況としては2ですから、2を選択した中で、個々が何を選択するかが問われています。まず、2という方向性が決まるだけでも考えやすくなります。1と2、どちらも大きな損失がありますが、我々が選んだということになる首相が選んだ以上は、その方向で動くしかありません。他人がどうしているかではなく、自発的に、主体的に選択する。皆さん、振り絞って見出すのです。そこに何がある、ないではなく、見出すのです。
頑張りましょう。
みんなで助け合って乗り切りましょう。
私は、いつも、あなたを応援しています。