希羽の考察
キュウリ先輩との対話や状態のチェック、お水をあげたり、たまに追肥をしたり…を毎日毎朝夕欠かさない暮らしになり早2ヶ月と少しが経過している。
今朝、やや体調不良気味な私が、ふと先輩を見上げていると、
愛しいなぁ可愛いな…が時として困ったなぁに変わっていることに気がついた。
たくさんの貴重なプレゼントを毎日毎日こんなにもくれている先輩に対して、私はなんたる感情を抱いてしまったんだ(/。\)とハッとした。
…というわけで、それを期に、少し考えてみることにした。
まずは、愛しいなぁ、可愛いなぁ、ありがたいなぁ…が、困ったなぁに変わった理由は何だったのだろう。
どうしてだろう。っと。
実際は、水枯れや根腐れなどが心配でなかなか泊まりでは出かけられないことくらいしか思い付かなかった。
カーテンの開け閉めが多少しずらくなったことや、窓の開閉、日照などがふとした時に気になったりするのはほとんど問題ではないこともわかった。
逆に守ってくれているんじゃないかとも思った。
先輩に限らず、草花などは、些細な変化に非常に敏感で、非常に正直であるものが多い。
すぐに何かしらの変化が起こる。
それが歓びであり、時として困ったなぁの種へとも変わる原因にもなる。
確かなことは、
今日も昨日も一昨日も、
先輩の基本的なスタンスは全く変わっていないのだ。
ただひたすらパワーと勇気と優しさのプレゼントを毎日毎日くれている。
人間は人間のさまざまな事情がある。
その事情は時として、大切なものや、プラスの部分が、見えずらくなるレンズとなってしまうのかもしれない。
そうなっていることすら気づかないのかもしれない。
私は自分自身に対する身勝手さに、腹立たしくなった。
っと同時に、全くどうでもいい存在ならば、放ったらかしにだって出来、困ったなぁという感情には到らない。のだ。とも思う。
仮に、どうでもいい!と思うならば、
悩むことだってないし。枯れてしまってもさして痛みも感じないのだろう。
そこには、大きな大きなプレゼントが貰える喜びのある日々もあるわけがないこともまた、確かなことだろう。
体の不調が強かったこともあり、ありがとうより困ったなぁが強くなっていたここ数日。
因果関係は定かではないが、成長のスピードが明らかに遅い。
…というか…止まっているように見える。
小さな小さな実も明らかに元気がないのだ。
私の体調は芳しくない。
これは全く私の事情であり、キュウリ先輩には責任はない。
しかし、
私の元気がない=キュウリ先輩の元気もない!
これが目の前に起こっている事実なのである。
この因果関係を証明することなど私には出来ない。
しかし、水をそそぐ時、葉を見つめる時、そこには水だけではなく、視線だけではない何かが必ずあるのだと、改めて強く感じた。
そして、一見、負に見えることも、レンズの存在に気づくことが出来た瞬間、プラスに変わるのだということもまた。
愛しいなぁ、可愛いなぁ、ありがたいなぁという感情から、何故困ったなぁになるのか…
たかがキュウリ、されどキュウリ。
困ったなぁは愛情の証。
困ったなぁは歓びの種。
というわけで、体調は相変わらず芳しくないけれど、何か素敵なことが起こりそうだと思う日曜の午前なのでした。
レンズを外せたのだもの。
困ったなぁが、また大きなありがとうに変わったのだもの。