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【短編推理小説】五十部警部の事件簿

事件その67

「おや、君たちも呼ばれていたのか」
天養寺文一が、海神荘ホテルの一室に、
入って来たとき、
すでにその部屋のテーブルには、
二人の先客がいた。
天養寺明久と天養寺英子である。
三人はこの辺り一帯に広大な土地を所有し、
ホテルや料亭を経営する、
天養寺グループの係累であった。
父である天養寺文竹男爵は、
戦前にはその経営手腕を発揮、
ホテル王とも謳われていたが、
終戦直後に海で死亡していた。
原因は不明だった。
妹慶子の夫である、伊久磨貞夫は、
彼の右腕として事業の発展に、
寄与したが、
やはり、終戦の年、
何者かに殺害されていた。
その後、慶子は夫の事業を引き継ぎ、
事実上の会長のような、地位を占めていた。
二人の間に子は無かった。
天養寺文竹には三人の子がいたが、
彼らはいずれも母親を異にしていた。
この海神荘天養軒別室と呼ばれる、
複数の個室は、
海神荘ホテル内にある、
天養軒の支店であった。
海岸の崖を巧に削岩し、
海へと張り出すテラスのような、
建築になっていた。
窓からは海と崖、
そして自生する太い松の木々が見え、
その絶景を広く大きな窓から眺めながら、
料理を食べることができた。
彼らは度々、
ここで叔母慶子と会っていたが、
近年では間遠になっていた。
しかし、数年ぶりの今回、
彼らを呼び出したのは、
叔母が懇意にしていた、
弁護士の福永活彦であった。

「福永氏が僕らを呼んだということは、
叔母になにかあったんじゃないかな?」
次男の明久が口を開いた。
「忙しい上に、糖尿が悪いようだし、
その所為で心臓マヒでも起こしたか?」
長男の文一が返した。
「叔母さんに、
小言をあれこれいわれながら、
お食事するよか、
事業に就いての福永氏のご高説を、
聞く方がマシよ。
どうせ、私たちの持ち株を、
買い取りたいとかいう話でしょう」
三女の英子がいった。
「きっと、福永氏と一緒にやって来るのだろう。
それも車椅子かなにかで」
文一が冷笑混じりにいった。
「それはないわ」
「慶子叔母さんは、君や兄貴を嫌っているしなぁ」
明久は乾いた声でいった。
「それはお互い様。
明久兄さんは好かれていらした?」
会っても、互いの久闊を叙すでもなく、
近況を語るでもない彼ら三人の貌には、
倦怠と冷笑が黒い隈取のように、
張り付いていた。
外は曇天で、日没が近づいていた。

福永弁護士が入室した。
「お久しぶりです。みなさん。
本日、お呼びたてしたのは、
大事なお知らせがある為です」
「それは何です?」
目を光らせ英子が喰いつくように、
福永弁護士を見た。
「その発表は夕食の後、
することになっています」
福永弁護士は室内電話で、
フロントに料理の配膳を命じた。
すぐに、ウェイトレスが、
台車を押して現れた。
「これは慶子さまよりの指示です」
四人は押し黙ったまま、
白いテーブルクロスの前に、
各々、座を占めた。
各自の前に前菜とワインが用意され、
福永弁護士が、
義務的に乾杯の音頭を取り、
どこか寒々とした夕食が、
始まっていた。
「慶子叔母さんは、
ここの料理が好きなのだな」
文一は一人つぶやいた。
「慶子叔母さんは、太っているからな。
節制の為に、今日は遠慮しているのだろう」
明久が窓の外を眺めながら、
適当な返事をした。
「気の毒だったわね」
英子も感情の無い言葉を発した。

前菜に続き、籠に盛られたバケット、
トマトのポタージュが配膳され、
タルタルソースと牡蠣のフライ、
伊勢海老の香味焼き、
サラダ、温野菜と、
ドミグラスソースの牛肉煮込み、
といった料理が続いた。
胡桃のクリームを盛った、
大振りなケーキと、
珈琲で料理のコースは終わった。
外はすっかりと暮れ、
厚い窓ガラスを通して、
波の音だけが聞こえる静寂が、
部屋を支配していた。
四人の沈黙は、
福永弁護士の発表で破られた。
 
「実は、みなさまの叔母上に当たる、
慶子様は先月亡くなられました」
三人はひっそりと押し黙っていた。
「それで本日は、
ご遺言に従って、
遺産についての取り決めを、
行わなくてはなりません」
「やっぱり、心臓マヒか?」
と文一が口を開いた。
「最終的な死因は、
心不全でしょう。
しかし、
その原因は司法解剖の結果、
明らかになっております」
「慶子叔母さんは、
他にも色々と薬を飲んだり、
注射していた。
通いの医者が、
手違いを起こしたのかな?
それとも…」
「ともかく、
福永先生の話を聞きましょう」
英子がさえぎった。
福永弁護士が口を開いた。
「インスリンの自己注射の直後、
低血糖に陥られたのです。
それが死因です」
「つまり、事故ということか」
文一の言葉を、
福永弁護士は打ち消した。
「故意の可能性、つまり自殺、
または、分量を間違えるような、
悪意の仕掛けがあった可能性の、
どちらかだと考えております」
「他殺だと!」
明久は呻いた。
「生前のご遺言に従って、
遺産は皆様に三等分、
ということになっております。
ですが、故意の場合、
犯人が判明するまで、
ご遺言の執行は停止されることに…」
「我々を疑っているのかな?」
明久は色をなした。
「僕はもう何年も、
慶子叔母さんには会っていない」
文一も顔を強張らせていた。
英子は押し黙ったままだった。
「それはまだなんとも。
本日はこれで終わらせて頂きます」

三人が去った室内に、五十部警部が現れた。
「いかがですか?」
福永弁護士が五十部警部に尋ねた。
「容疑は濃厚ですね。
さっそく、内偵に掛かります」
五十部警部は短く答えた。
その理由は何かな?
そして誰かな?

五十部警部の推理

五十部警部は三女の英子を怪しいと睨んだ。
英子は叔母である慶子が、会食に出席しないことを、
断定的に発言している。
また、叔母の存在を過去形で言及している。
英子は事前に、
叔母の死を知っていたからではないだろうか?

その後の捜査で、彼女の夫である、
磯尾秀和が殺人の容疑者として逮捕された。
彼は元中野学校の卒業生で、
暗殺のプロとして活動していた。

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