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【短編推理小説】五十部警部の事件簿
事件その71
評判の洋菓子店「パレス・アゥ・ソレイユ」から、
店内に人が倒れていると架電があったのは、
冬の早朝のことであった。
土曜日の宿直で署内にいた、
坂木刑事と川村刑事が、
その店に駆け付けた。
店の店長である、
今泉麻衣子が連絡して来たのだった。
店内に入ると、
スポンジケーキの良い香りが、
オーブンのあるキッチンの方から、
漂ってきていた。
「あなたが店長ですか?」
店の入り口で青い顔をして震えていた今泉に、
坂木刑事が尋ねた。
「はい」
「倒れている人はまだ生きているのですか?」
「分かりません」
先に店内に入っていた川村刑事が出て来て、
監察医を呼びますと報告した。
すでに遺体となっていたのだ。
「あなたが最初にこの店に来たのですね」
「はい。今朝、準備の為に、
10分ほど前に店に来たら、
オーブンの前に人が倒れていて、
驚いて電話して、それから怖かったので、
外に出ていたのです」
「あなた以外に、店に入れる関係者は?」
「それは、店の建物の大家で、
この店のオーナーの石川真司さんと、
うちのお店の店員の吉田。
お店の機械類の修理業者の足立さん、
ケーキ材料の仕入れ先、黒柳商店の黒柳さんです」
戻って来た川村刑事が、遺体の身元が判明したと、
坂木刑事に報告した。
「洋菓子・ランドという店の経営者、
水野という人です」
「あなたは水野さんを知っていますか?」
「はい。
でも、水野さんと話したことはありません。
オーナーの石川さんとは、仲が悪かったのです。
開店当初からウチのお店が、
ランドのレシピを盗んで真似していると、
根拠も無く文句をつけていたのです。
レシピは満洲で、
洋菓子店をやっていた父から習ったものばかりです。
水野さんの店とは関係ありません。
それに開店当初から、お客はウチの店の方が、
ずっと多かったのです。
それを妬んでいるとしか、思えません」
坂木刑事と今泉店長が話している処へ、
店員の吉田がやって来た。
坂木刑事から事件ことを聞くと、
驚いた風も無い。
「君は、被害者の水野氏を知っているかな?」
「名前しか知りませんよ。
ここのオーナーの石川さんから聞いた、
ウチに文句をつけている商売敵だという話と、
店の大家からかなり金を借りているが、
返さずに居直っているとかいった話だけです。
これは天罰というアレですかね。
でもどうして、
ウチの店で死んでいたのですか?
泥棒にでも入ったのかな?」
「それはまだ分からない」
坂木刑事と川村刑事は、
今泉が名前を挙げた、
足立と黒柳も訪ね話を聞いた。
まず、修理業者の足立。
「へぇ、水野さんがねぇ。
だけど、あの人はオカシイ。
俺はパレスだけじゃなく、
ランドの修理もやっていた。
あそこのオーブンや生地を捏ねる機械は、
古くてもうポンコツで、始終壊れてしまうのだ。
それをあの男は、俺の修理が下手な所為にして、
修理代金を値切ったりする。
終いには、俺がパレスに頼まれて、
故意に手を抜いていると難癖をつけて、
修理の代金を支払わないのだ。
あいつは恐らくヒロポン中毒だ。
その所為で被害妄想になっているのだよ。
これでもう、
あんな奴に関わらなくて済むのだから、
俺としては、清々だね」
次は仕入先の黒柳。
「ランドには迷惑している。
今は税金もろくに払えない始末だと聞いている。
水野氏は、それをパレスが自分のレシピを盗んで、
商売をしているからだと決めつけているが、
実際は、手ヌキ仕事の結果、
品が悪くて負けただけだよ。
あそこには、
ウチも小麦粉やクリームや卵を納入していたが、
この前、受け取った手形が不渡りになったのだ。
それ以来、手を切っている。
反対にパレスの方は繁盛している。
今泉というのがイイ腕をしているからだ。
仕事熱心で仕込みが丁寧だから味もいいのだろう。
ありがたいお得意さまだ」
二人は次いで、
オーナーの石川氏の事務所へ向かい、
到着した時には、午後も遅くになっていた。
オーナーの石川氏。
「水野のような者が死んだのは残念ではない。
水野は始終、
ウチの店がケーキを真似しただの、
客を盗んだの、
借りてもいない金を返せだの、
まったく意味不明なタワ言を、
電話でまくし立てて来るのだ。
足立という者が話していた、
ヒロポン中毒だというのは本当だろう。
もっとも、
足立という者もロクな者ではない。
水野にヒロポンを売っていたのは、
恐らく足立だろう。
表向きの商売の陰で、
タネ屋をしているゲス野郎だ。
このような者たちは、
みな社会から芟除すべきだ」
中央署に戻った坂木刑事と川村刑事の二人に、
五十部警部が暖かな珈琲を淹れてくれた。
「それで、誰が容疑者か、
まだ絞り込めないのだね?」
五十部警部の問いに、坂木刑事は頭をかいた。
「ありようはそれです。
今一つはっきりとしません」
五十部警部は二人に焼き菓子を勧めた。
「これはパレスのだ」
「ああ、店でもこんな香でしたね。
いや、旨いですね」
「成る程、そうだったか」
五十部警部はつぶやくと、
直ちに電話を掛け、
容疑者の身柄を確保するように要請した。
さて、容疑者は誰かな?
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容疑者は今泉と吉田の二人だ。
店のオーブンから焼けた、
スポンジケーキの匂いがしていたのが証拠。
水野が侵入する前に、
二人は店内に居たはずである。
取り調べにより、
妄想に駆られて店内に侵入した水野を、
店員の吉田が突き飛ばした拍子に、
水野は頭を打って、
死亡してしまったことが分かった。