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【短編推理小説】五十部警部の事件簿

事件その61

五十部警部が連絡を受けてその現場に到着したとき、
推理作家としても知られていた財産家の大室俊明氏は、
本棚に囲まれた書斎ですでにこと切れていた。
額を撃ち抜かれ、
その机に覆いかぶさるように倒れていた。
大室氏の私邸はその財産にふさわしく、
郊外ではあったが広い敷地に、
十数部屋もある鉄筋コンクリート造りの平屋であった。
樹木が塀際に生い茂る広い庭に面した書斎の窓ガラスが、
巧みに鍵の処だけくり抜かれたように割られており、
犯人は窓を開けるなり室内へ向け、
拳銃を発射したと推定された。
坂木刑事がすでに現場に駆け付けていた警官から、
昨夜から大室氏の私邸に、
三人の家族と二人の友人が招かれていたと、
報告を受けた。
来訪者たちはいずれも遠方での週日の勤めや、
仕事を終えてから大室氏邸へ向かったらしく、
いずれも前日の夜半にかけて到着していた。
当日早朝の邸内には妻に先立たれた大室氏が、
信用していた年配の家政婦がいた。
五十部警部はこれらの人たちに質問を開始した。
 
最初は家政婦の玉木藤枝だった。

「旦那さまには、色々とよくしていただきました。
それだけに、本当に残念で言葉もありません。
旦那さまがお子さんたちとご友人がたを招いたのは、
遺言状の書き換えと、
これまでの金銭貸借の清算をする為なんです。
本当はもう一人お見えになる予定だったのですが、
不都合で来られなくなったと、
電話でご連絡があったのです。
私が電話でお話を伺って、
そのお話をメモに書いて渡しましてから、
ああ、旦那さまはここ一年ほど難聴があって、
電話の細かい用事などは、
私が替わってメモを取ることにしているのです。
それから自室に引き取りました。
今朝になって、
旦那さまは書斎から出てこられないようなので、
ご執筆かと思い、
朝食の盆を持って書斎に入ったら…」
「銃声を聞かなかったのですか?」
「いえ、夜中になにか缶でも蹴るような、
音がしたのは聞いたのですが、
拳銃が撃たれていたなんて、
思いもしませんでした」
「あなたは何年この家で家政を?」
「昭和4年頃、まだ奥様がご存命の頃からです。
だから、もう二十年以上になりますか」
「遺言状の書き換えは、
ご家族に残すはずの相続財産のことですか?」
「はい、特に印税の分配に関してです。
土地や家屋については、
すでに決まっておりますし」
「なるほど、
大室先生の本は売れていますからね。
あなたに関しても何かあったのですか?」
「今回の事の以前に、
ご親切なご配慮を頂いております」
 
次に友人の一人である岩田健治。

「私は彼から金を借りていてね。
半額はすでに返したんだが、
後の半額を工面するのに苦労している。
それで返済の期間について、
彼との間で新たな取り決めをした。
彼とは戦後の闇市で商売をしていた仲間だったんだよ」
「銃を撃つ音を聞きましたか?」
「ぐっすり寝ていたから、
よく分からなかったんだが、
明け方に何かトタンの屋根でも叩くような音を、
聞いた記憶がある。
まさか、大室君が撃たれていようとは。
彼の死は実に残念だ」
 
同じく田村栄一。

「僕も大室君から金を借りていた。
彼とは戦時中、同じ将校として、
霞ケ浦の航空隊にいたのだ。
大室君はその頃から、
何かにつけて目端が利いて、すばしっこかった。
隊に太田というスぺ公がいたんだが、
戦後はその男と組んで闇市で儲けていたようだね。
ほら、例の隠匿物資という奴だ。
彼と太田は終戦の半年も前からヌケ目なく、
隊の色々の物資を横領していたんだな。
いくさの先は見えていたからね。
もっとも、
それを僕がそれを責めるわけにはいかない。
僕もその一味だったのだ。
彼は闇市で大枚の元手を稼いだ。
その元手を軍資金に土地や株式で大儲けしたんだ。
僕もそれを元手に商売を始めたが、
こっちはまったくの失敗だった。
それで昔のよしみで彼から金を借りたのだよ。
でも、全額返済したよ。利息の分も含めてね。
それで借用書を返してもらった。
私を疑うのはナンセンスだ」
 
一人娘の木原妙子。

「お父さんとは、結婚して以来会っていなくて。
もう十年になるかしら。
玉木さんがよくして下さっているし。
父とは私の主人のことで仲が悪くなってしまって。
父は私の主人が税務署に務めていることが気に入らず、
娘に対する誠意を試すといって、
結婚の挨拶にきた主人を正座させて、
殴り蹴りしたんです。
主人はそれで歯を二本、アバラを一本折られました。
警察に突き出してもいいような暴力でしょう。
でも主人は私の為に耐えてくれたんです。
昔から父はなんでも自分の思い通りにしないと、
気の済まない性質の人でした。
小言や叱責も始終のことでしたから、
そのせいで私も嫁に行ってからは、
実家の方が厭になってしまって、
足が遠のいていたんです」
「銃声は聞きましたか?」
「いいえ。
今朝起きて玉木さんに聞いて知ったのです」

長男の大室正雄。

彼は当てがわれた部屋で、
呆然と煙草を吹かしていたが、
五十部が訪問すると、
灰皿代わりの茶筒に煙草を投げ入れ、
それを窓際へ片付けようとした。
茶筒の底から灰が散り、
彼は慌てて散った灰を、
ハンカチで拭い五十部と向かい合った。
「父と疎遠になっていたのは認めます。
僕もこの家に来たのは、
戦争が終わってからは初めてだった。
昨年一度だけ電話で父と話して、
復員している事を伝えただけです。
私は戦争が終わってからずっと、
実家へは来ていませんでした。
父の性質については妹のいう通りです。
ぼくは士官候補生だったので、
母とは出征の時に会ったのが最後となりました。
昨夜遅くここへ来て母の仏前に手を合わせ、
ひと眠りして起きたら父が射殺されていたとは…
私が生きて帰った罰を、
父が身代わりで受けてくれたように感じます」
「銃声を聞きましたね。
あなたは戦地にもいたんだし、
その音を聞き逃すはずはないでしょう?」
「それがまったく聞こえなかった。
ぐっすりと眠り込んでいたんです。
夜行の列車で来たんで疲れていたんでしょう。
昨夜は少し酒も飲んでいたから」

次男の大室武夫。

彼は窓辺で煙草を吹かしながら、
珈琲を啜っていた。
五十部が来ると灰皿を薦めたが、
五十部警部が吸わないというと、
自分も煙草をもみ消し、窓を少し開けた。
「驚いたよ。今回の集まりは、
親父ははっきりとは言わなかったが、
病気が悪化していたからだろう。
少し前から肺が弱っていたんだ。
犯人の心当たり?
さぁ…
闇市の時代や旧軍の時代には、
人の恨みを買ったこともあるのじゃないかな。
物騒な世の中だが、
警察は早く犯人を捕まえて欲しい」
「銃声は聞きませんでしたか?」
「それは分からない。本当だよ」
 
 
 
署に戻った五十部警部は、ほうじ茶を啜りながら、
合田刑事がもってきてくれた南京豆をかじり、
供述の真偽に思案を凝らしていた。
ややあって五十部警部は立ち上がり、
坂木刑事を呼んだ。
「やはり噓つきは泥棒の始まりだな」
さて、嘘をついていたのは誰だろう?

嘘をついているのは、
長男の大室正雄だと五十部警部は気付いた。
家政婦の玉木さんの証言では、
大室俊明氏は難聴で、
電話での会話ができなかったはずだ。
彼が灰皿にしていた茶筒の底から、
灰が散ったのは、
穴が開いていたからではないだろうか?
それを銃口につけ発砲すれば、
射撃の音は大幅に減殺される。
消音器の代わりとして使えるのだ。
敷地の広い、
コンクリート造りの平屋の家で部屋数も多い。
銃声が聞こえない場所や部屋があっても、
不思議ではないだろう。
 

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