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【短編推理小説】五十部警部の事件簿

事件その9

「ああっ、安子ッ!」
田中守平は喚くなり、妻である安子を凝視した。
閑静な住宅地の中にある大きな庭木に囲まれた屋敷での事件だった。
「なんで自殺なんか?」彼の泣き喚く声を聞いて、
この屋敷の当主である奥山伝蔵が、
慌てた様子で女中の控え部屋へ入って来た。
遺体の右こめかみの銃口から流れ出た血で床が染まっていた。
「おい、ピストルはそのままだ。何も触るんじゃないぞ。
 警察にはわしが電話をする」
「医者を呼んで下さい」守平は頼んだが、
「見ればいらぬと分からんかッ」と奥山伝蔵は一蹴した。
連絡を受けた坂木刑事と五十部警部は、
田中守平がその妻の遺体の側に正座して、すすり泣く処へと駆け付けた。
「誰が第一発見者ですか?」と坂木刑事が質問した。
「私です」と田中守平がすすり上げながら答えた。
「どうして、安子がわしのピストルを持ち出していたんだろう?」
奥山伝蔵は独りごちた。
使われていたのは、
戦前は将校だった彼の所持品であるニューナンブであった。
「お忘れですか。ダンナ。
もうずいぶん前に地下室で試し撃ちをおやりになった時に、
うまく引き金が引けないと仰ったんで、私が分解してみたら、
小さい石の粒が排出口のレーンの端に挟まっていたのを取り除いて、
そのままダンナの部屋へ置いておいたんですよ」
五十部警部は横たわった遺体を注視していた。
両脇に沿った両腕の手はだらりと力なく掌を上に向けていたが、
その右手の甲には黒い痣が認められた。
彼はふと奥山と田中を交互に視ながら、
あれこれと尋ねる坂木刑事もこれを自殺だとは思っていないと知った。
警部はなぜそう考えたのだろうか?


五十部警部の推理


五十部警部は横たわったまま動かされていないはずの遺体なら、
拳銃を撃った右の手がなぜその身体の脇に沿っていたのか疑問に思った。
本来なら体側より外へ投げ出されていなければならないはずだ。
また、その右手には痣があった。死後には出来ないはずである。
生前に何かで争った時についたと考える方が自然だ。

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