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煙は天へ、涙は雨に

5月1日。小さな小さな弔いを行う。気温14度、天候は小雨。
昨夜膝の上に抱えながら見送った愛娘を住処から1番近いペット斎場に連れ出した。24時間電話受付OKと言うHPの記載に申し訳なくなりながら夜分遅くに連絡をとって正解だったと思う。



初めてお世話になる火葬場は山の裾野、ものすごく緑だらけの場所にひっそりあった。頼りになったのは道中1枚だけあった看板。見落としかけて少しだけUターンしたのはここだけの話だ。
この道のベテラン感が安心に繋がるタイプの女性2人に出迎えられる。彼女達がスタッフさん。娘を壇上に預けると、こちらで暮らしている白髪混じりの黒猫さんが、そおっと寄り添いに来てくれた。あの子には《仕事》の時間が分かっているんだろう。私以外に参列者のいないお別れの場。気持ちが確かにほっこり緩んだ。
電話口で事前に聞いていた葬儀代を支払う。可愛い袋付きの骨壺課金した上で個別に焼いていただけるのならお安いのでは?

小さな窯。生前好きだったものと花を天国まで一緒に連れていってもらえるよう配置。人参。モルモットフード。牧草。お線香を焚いてお経も唱えてもらった。今までありがとう。あなたが居てくれたから生きることにまるきり執着がない私でも『新型コロナ絶許!』って叫びながらどうにか命を繋げたんだよ。明日からどうしようね。冷蔵庫から確定で人参が消える。家にも真っ直ぐ帰らなくなる。
蓋が閉じてクリーム色のふわふわが見えなくなった。緑濃い雨の中、うっすら上った煙が古い映画のワンシーンみたいで、また泣いた。


さて初めてのnoteだ。あまり湿っぽくはしたくないので僭越ながら私の紹介をしよう。職業は某企業所属のヤクの運び屋。週休2日賞与ありの、しがない契約社員である。野山に入りて山菜やキノコを取りつつ北アルプスに出かけるタイプの屈強で体育会系な両親の下、子どもの頃から常になんらかの動物が存在する家で育った。
ハムスター。金鶏。十姉妹。セキセイインコ。猫。犬。変わり種は婆ちゃんが山で拾ってきたずぶ濡れの野うさぎ。田舎は土地だらけだから歴代のののはなファミリーアニマルはみんな畑の奥、30年前まで大きな松の木が生えてたあたりで眠っている。
昔土葬で今火葬。15年くらい前から実家の隣の市での、人間用斎場の空き時間を使ったペットの火葬もとい行政の取り組みを知って(前は役場まで火葬申請を出しに行ったけど、調べたら最近電話予約で済むようになっていた。動物の体重4段階で料金が変わる。居住区在住なら半額。我が家は居住区外だから正規料金)そちらを利用するようになった。時代の流れを改めて感じる。
まあ残念ながら獣医さんになりたいと言い続けた小学生は動物を育てることで自身のQOLに変換するめんどくさい大人になってしまいました。学力不足で夢は叶わなかったけど動物飼育学と動物看護学を習得して一時期現場で働いていたんですよ。こう見えて。でも現場で迎える別れの多さに自分が壊れかけたため……相当悩んだけど辞めた。全く違う分野に進んだのは給料が良くて土日祝日完全休みで車の運転が得意ならどうにかなりそうだったから。それ以上の理由はない。動物関係で働いていた頃より収入が安定したので選んだ生き方には概ね満足している。

自分でまともに稼げるようになってから家族にした子は不思議と、なんらかの訳ありさんだらけで平均寿命まで生きられない子が多かった。結果的に看取りのプロになってしまった感はめちゃくちゃある。きっとうちに来る子はみんな、そうゆう星の下に生まれちゃったんだろうなあ。大丈夫。一緒に暮らせるうちは毎日喧嘩&話し相手になるし最後まできっちり見送るよ。そう言い聞かせつつ爪切りしながら齧られるのが日常茶飯事だった。
出逢いは常にタイミング。皮膚病が治らなくて1年以上売れ残っていた長毛モルモットに、たまたまペットショップに立ち寄った日に遭遇したのもまた縁。思い出に浸りながら四十九日が明けて、もしも新しい縁が結ばれたなら性懲りも無くまた小さな命を迎えることでしょう。
※尚、緊急レスキューで迎え入れ可能期間が期限付きならば待ったなし。

だから早急にサクッとハウスやキャリーを全部洗った。いつでもすぐに使えるように。ボロッボロに泣きながら。いくら見送る側に慣れたって、あの子が居た形跡を自分で綺麗に消すことが何度やってもものすごく辛い。


カナヲさん、どうか安らかに。あなたと過ごした2年間は毎日がぽっかぽかでした。先達の歴代モル/サチ、ジャスミン、ショコラ、ピノ、弦太朗、アリエッタによろしくお伝えください。いつかそっち側に逝く頃になったらモルカーになって迎えに来てね。遠くない未来でまた逢おう。