【2019忍殺再読】「カット・ザ・ボトル・ネック」
初期マスラダ怖い
AOM時系列でのデッドリー・ヴィジョンズということで、フジキドではなくマスラダが出て殺すな一編なわけですが、いや~初期のマスラダくんめっちゃ怖いですね。何考えてるのか全くわからないし、言ってることが支離滅裂だしで、なんというか、非常に、マジモン感がある。不条理さでいえば、フジキドの上をいっているんじゃないでしょうか。
フジキドはまだ発言と行動が繋がってるんですよ。「ニンジャ殺すべし」という台詞を発し、その通りにニンジャを殺す。その動機こそわからないにせよ、少なくともニンジャである自分が殺されるにあたり、「ああこいつはニンジャを殺すのが目的であり、ゆえにニンジャである俺は殺されるんだな」と納得ができる。マスラダは無理です。「サツガイという男を知っているか」という発言と、ニンジャを殺す行動が全く繋がっていない。繋がっていないどころか、質問しておきながら答えを待たずに即殺しにくる。理屈にあわない。説明がつかない。わからないということは何よりも恐ろしく、納得できないまま迎える死は何よりの不条理である……。こんなひどいことしておきながら、自分は「大体わかった」するあたり、本当に傍若無人なんですよねこの元オリガミアーティスト。そりゃタキも怒るぜ。
あと、フジキドなんですけど、「わからないことは恐ろしい」を前提に据えた場合……あくまで敵ニンジャの視点からですが……トリロジー初期よりも、AOM時代の方がより恐怖いんじゃないかなと偶に思います。現在のフジキドは、我々読者の倫理観や道徳心に近しい判断基準をもって、邪悪な殺すべきニンジャを判別しているわけですが、AOMの価値観はあまりに多様。文化的な差異から、フジキドの判断を共感も理解もできないニンジャは多く存在することでしょう。「ニンジャ全員殺すマン」と、「意味不明な指標に従ってニンジャを殺したり殺さなかったりする男」。敵ニンジャの視点に立った時、どちらがより理解ができないかというと、私は後者だと考えます。
ブルタルギアさんなんなの
ワンアイデア型のヴィジョンズの魅力として、定まったテーマへ向けて状況を最小限の過程で畳み込んでゆくことで生まれる小気味よさというものがあると思います。脚本のあからさまな無理筋味が笑いを誘うと言いますか。その犠牲というべきかなんなのか、ヴィジョンズに出てくる敵ニンジャの皆さん、本当に色々存在が無茶なんですよね。お前、何考えてそんなことしてたんだよというおかしみにあふれている。私は、ジャンプ漫画の第一話に登場する主人公に殴られるためだけに存在するチンピラが大好きなので、「テーマに則って殺されるため」だけに設計されている彼らが本当に大好きでして。本作に登場するブルタルギアも例外ではありません。
そもそも、ニンジャ全能感に浮かれてやることが、工場の瓶をひたすらチョップでカットするなのがおもしろすぎる。「ただのガラス瓶では満たすことのできない、禁断の領域にまでエスカレートしていた」とか言われてますけど、逆に言うと工場一つ空にするまで瓶で我慢できている善良さは驚愕に値するべきではあるまいか。アンデラちゃんですら憑依そうそうマッポをしばきたおしてるというのに、一体何を考えているのか。しかもチョップでカットするにあきたらず、それ専用のパワードスーツをDIYしてるのは一体どういうことなのか。何がそこまで彼をボトルカットに駆り立てるのか。ニンジャは自ら創造する事がないとは一体なんだったのか。せめてDIYせずにどっかからパクってこいよ。お前本当に文明の簒奪者か?
未来へ……
未来の話なんて一つしか言うことないですよ。SOCが活躍するエピソードをもっと供給してください。いや~私、何を隠そう、SOCのクソッタレどもが仲睦まじく残虐行為を働いてるのが大好きでして。本編では彼ら、何だかんだ一人ずつ登場してはやられていくばかりで、その「組織」としての活躍は描かれなかったじゃないですか。デシケイターたちは真面目に鼎談してましたけど、あれはSOCの活動とはなんか違いますし……。要は、彼らのサークルとしてのオーソドックスな活動風景が読みたいんですね。その辺からさらってきたモータルを拷問しながら、バーベキューとかパジャマパーティとかするSOCが見てぇ~!
■twitter版で再読
■2020年3月9日