NECRO1:みんなで蜂退治(1)
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『ネクロ、やったな。最高記録だ』
ゲームじゃねえんだぞプラクタ、と罵ろうとするも俺は既に屍兵蜂の群れの足の下で床の埃とかき混ぜられており、文句を垂れる口も挽肉になっている。続いて2度3度聞こえた爆音は奴の最後っ屁か。プラクタが両腕両脚口中に装備しているジェット・ガスは強力だ。襲い来る兵隊を3ダースか4ダースまとめて吹き飛ばし、壁のシミに変えたかもしれない。だが、そのあがきも人肉の海にすぐに呑み込まれ、聞こえなくなる。
ハイヴ屍材製作の企業墓庫は、全8階層の地下施設だ。潰れた六角錐をさかさまにした形をしており、女王がいるゴールは最下層。つまり、もぐればもぐるほど階層毎の床面積は小さくなり、その中に詰め込まれた屍兵蜂の密度も高くなる。プラクタ流に言うならば、エネミーの頭数が増えることでクリアがキツくなるデザインってわけだ。
ただ、それだけじゃない。ハイヴ社屋としての機能を持つ地下1階から地下3階までと違い、屍材倉庫として何万もの死体が詰め込まれている地下4階以降は、管理上の問題か何かで、通路がより細く複雑怪奇に張り巡らされている。要はクソみたいに難易度が上がる。現に、俺たちはこれまで一度も地下5階に到達できていなかった。今回も同じだ。脊椎も折れるし、肺も潰れるし、ボタン1人の愛ではとても回復・蘇生が追いつかない。ボタンは死んでも離れないし、いっそ寝るか。
と、その時、墓庫内に響く蜂共の悲鳴が唐突に途切れた。
「………!」
線上に割れる人の海。横なぎの斬撃により、通路を埋め尽くしていた蜂共はそろって胸元で両断された。カットだ。女王への恐怖でビビりあがっている奴らの下半身は脳みそとの接続を失っても走るのをやめず、ばたばたと床と俺の体を蹴っている。しかしその力は、はねのけるのに十分な程度には弱まっていた。どけ!
「ふぁふぁふぁ……」
喋れない。口元の肉を補填する。
「助かったぜ、カット」
「……!…………!!」
全身が爪でできているカットには口がなく、爪同士がこすれあわさる音でしか返ってこない。礼を言われて喜んでいるのか? だがじゃれあっている暇はない。一度途切れた悲鳴は、またたく間に元の音量を取り戻す。クソッタレの増援。いや、増援というのは変か。奴らはただ怖い怖い女王蜂のいるこの巣から逃げ出したくて、ちびりながら逃げているだけだ。あんなかわいらしい女、他にいないってのに。目の腐ったバカ共が。
「カット、合流できたってことはダクトは通れたんだな?」
爪を擦る音1度。肯定のサイン。
「なら、てめぇはまた戻れ。地下5階に先回りして非常階段までにふんづまってるこのクソどもを殺しまくれ。今のままだと元の木阿弥だが、成功すればこの通路になだれこんでくる蜂の数を減らすことができる」
「……!」
了承に変えて、カットは全身の爪を並行に並べ替え、その体を細く変形させた。奴が天井のダクトに滑り込もうと飛びあがったのを合図に、俺は泣き叫ぶ蜂共の群れめがけて駆けだした。獲物はもちろん、384本……ではない、32本、ただ1人残った女、ボタンの歯だけが連なったチェーンソーナイフ。俺の握力へと返される女の悦びの震えも今や1人分であり、その心もとなさに俺まで泣きそうになるが、しかしそこにはまだ確かな愛がある。
人1人すら断ち切りきれず、ナイフはぶちぶちと肉の繊維をひっかけた。愛おしくもなまくらな愛。空いた左腕でも、殴り飛ばし、ひっこぬき、踏みつぶす。だが蜂共の群れはひるまない。「史上最悪の軍隊」などとダサい仇名があったようだが、その正体は訓練もなにもしていないただの黄泉帰りの集まりで、パニックを起こした群衆だ。殺意はない。しかし、だからこそ厄介だ。
すりつぶし、叩きつけ、喉笛を食いちぎる。喉の肉を半分を失い倒れてゆくその時も、その気道は悲鳴をあげようとべこべこ収縮している。眼球は自分を殺した相手ではなく、ただ出口の方向を一心不乱に見つめて飛び出している。恐怖。死へのものではない。そんなものはこの街の人間はとうの昔に失くしている。女王への恐怖。女王そのものの恐怖。蜂共は永遠にそれに苛まれている。
正中線を割り、腕をちぎり飛ばし、骨を引きずり出す。体が重い。カットに断たれて先に死んだ連中の臓物が、足首にまでたまった奴らの血と涙と反吐の中で絡み合い、足をとる。奴らの死狂いの熱気により、通路の温度はまるで蒸し風呂のようだ。絶え間なく続く阿鼻叫喚で集中力が落ちる。視界を歪ませる眩暈は疲れによるものか、それともこの挫症区港湾部で発生している断続的な地震によるものか。
屍兵蜂の1人が泣きわめきながら振り回した腕に頬の肉を持っていかれる。火事場バカ。それが100頭、1,000頭。ダメだ、キリがない。グンジはハイヴ屍材の社員数をいくらだと言っていた? 脳を刺激し思い出したくも、後頭部のボタンを撫でる暇すらない。そして思い出す意味もないのだ。こいつらは黄泉帰りで、再憑依先の肉体は既に地下に用意されている。数は減らない。なんなんだ。愛する女の作ったシステムとは言え、あまりのクソさにさすがに腹がたってきた。
度々踏まれていたつま先が遂に潰れ、バランスが崩れかける。慌てて立て直すも、その隙に右顔面をごっそり持っていかれる。まずい。死ぬ。だがその時、肉の津波の勢いはほんの少しやわらいだ。カットだ。あの女……女でいいんだよな?……プラクタやヒパティなんかより、はるかに役にたつ。
俺は気力を振り絞り、血みどろの肉体を蜂共の隙間にねじ込んだ。前進する。前進する。視界が開けたとは言えないが、明らかに空間の雰囲気が変わった。地下5階への入口は近い。そう思い、気を緩めたのがまずかった。
突然、ドミノ倒しを起こした蜂共の群れの向こうから、獣臭い匂いが漂った。サイクルが変わったのだ。身長5mはある巨体のもの。両腕をカタナに置換されたもの。象の鼻先に人間の首がついたもの。より地下深くの改造度の高い肉体に黄泉帰った蜂共が押し寄せてきたのだ。その肉の海の中にはそこここにへし折れたカットの爪が混じっている。奴も死んだか。そして今度こそ、俺もゲームオーバー……クソ、プラクタのカスに釣られて、俺までもがガキめいたことを。
苛立ちが死の闇の中に溶けてゆく。女王を目指す都合23度目のアタックは、こうして地下5階へ降りる非常階段を前に、失敗に終わった。
【NECRO1:みんなで蜂退治】
ハイヴ屍材製作の前身は「ハイヴ」と言い、会社でも何でもない。彼女が気まぐれで作り上げた、ただの被害者の群れだった。性別・年齢何も問わず、ただ「彼女に出会ってしまった黄泉帰りである」という不幸だけが彼らに共通する要素であり、この地獄へと叩き落とされる罪だった。彼女は恐怖という鞭をふるい、かわいそうな蜂たちを脅しつけ、港湾部の一角に巨大なハイヴ(巣)を作らせた。
彼らがそれを社屋・墓庫として利用していたのは、彼女がネクロの中に迎え入れられ、恐怖から解放されていたここしばらくの間のことだ。何百年もの間、恐怖を塗り込められ続けてきた彼らの自我はほぼ完ぺきに漂白されてしまっており、それを取り戻すには長い時間が必要だった。ハイヴは、自らが受けた被害を癒す互助組織として生まれ変わり、やがてそれはハイヴ屍材製作になった。もちろんそのサクセスストーリーは、先日ネクロが死に、彼女が解放されたことで終わりを告げた。
その当人。ハイヴ・アタック・ゲームの製作者/ボス/女王である彼女は、企業墓庫の最下層にてゆったりと血のプールにつかっていた。彼女の恐怖が最も色濃く転写されているそのフロアは静寂に包まれており、時折「壁」が漏らすくぐもったうめき声以外、音をたてるものはない。
『相変わらず悪趣味なところに住んでるみたいね』
ありうるはずのない来訪者の声に、彼女は飛び起き、そしてそれがただのラジオ音声であることに気がついて胸をなでおろした。
「サザンカちゃん……! びっくりした……やめてよ、ほんと」
『アポでも取ればよかった? あなたの会社の受付は今頃どの階で泣き叫んでいるかしら』
「わたしの会社じゃないから。みんなが勝手に作ってたんだって。あと、さっきひどいこと言ったよね。悪趣味ならサザンカだってじゃん」
『悪かったわ』
謝罪を得られ、満足げにうなずく彼女の周囲で「壁」が蠢いた。彼女に最も近く、ゆえに最も正気を失った蜂たち。ここから逃げ出したいという気持ち以外の全てを失い、通れるはずのない小さな隙間や穴に体を押し付け、潰れ、圧縮され、プールに汁を足してゆく肉の壁。このフロアが静かなのは、彼らの肉体によって悲鳴の満ちる上階との間に遮音が成されているためだった。
『あなたには知る術がないだろうから教えてあげるけど、ネクロが何度もあなたのところに行こうとしてるわよ』
「えっ、ほんとに」
『嬉しそうじゃない』
「そりゃ嬉しいよ。あいつには恥ずかしくてそんなこと言えないけどさ……。でも、ここまで来るのは無理じゃないかな。今、残ってるのってボタンさんだけでしょ」
『グンジは協力してるみたいだけどね』
「女米木んとこの商品じゃ、このハイヴはクリアできないと思うなあ」
『よくできてるものね。あなたへの恐怖から逃げだそうとする黄泉帰りの蜂さんたちが、地上階を目指して移動する。彼らはその最中に全ての力を使い果たし、地上に出る直前で過労死する。死体は他の蜂さんに踏まれて液状になるまで潰れ、ダクトを通って再び地下に戻り、屍材再生槽でヒトの形に成型される。先に過労死した黄泉帰りたちの魂は、あなたの操作によって再び地下に戻り、復活した肉体で黄泉帰り、また恐怖から地上を目指す……』
「流れるプールを参考にしたんだよ」
『無間地獄ね。市役所の連中ですらマシに思えてくる。私もまあ相当ひどいことをしてはいるけれど、それでもやっぱりここの蜂さんたちには同情してしまうわ』
「そうかなあ。みんなそう言うけどわたしはわからん。死も痛みもないこの街で、恐怖ってすごい貴重品だよ。娯楽だよ。いい刺激じゃん。私、ハイヴの前はレストランやろうと思ったんだよ。恐怖レストラン」
『需要はまあ、あるでしょうね。この街の人って、基本みんな暇してるし」
「でしょ? 大体、恐怖、恐怖って言うけどさ、みんなには私の魂を転写してるだけなんだよ。それってつまり、オリジナルの私がこうなってからずっと感じているこの感覚が恐怖ってことだよね。ならこれ絶対悪くないよ」
『ああ、そういう仕組みだったの。私にもちょっと転写してもらえる? 痛みなら昔ギギに頼んで体験したことがあるんだけど、恐怖は知らないの』
「サザンカ相手じゃたぶん時間かかるからやだ」
『ケチねえ。グンジに今度教えてもらおうかしら』
「口で説明してあげるよ。うーん、そうだなあ……ドキドキして、モジモジして……ちょっぴりイライラして……」
『恋に似てるわね』
「いいこと言うじゃん」
2人の女たちは姦しく笑い、茶飲み話をお開きにした。通信を切る前に、サザンカは彼女にネクロたちの手助けをしてよいかを尋ね、彼女はそれを気持ちよく了承した。ネクロが何度も失敗している姿を想像するとちょっと痛快だけれど、やはりいつまでもそれじゃあ、じれったくて仕方がない。わたしだってネクロに会いたいし、なんなら彼とまた一緒になっても構わない。ただ、簡単に認めてしまうのが癪に障るだけなのだ。
ネクロに恋する蜂の女王……〈恐怖のキイロ〉はそう考え、壁の肉たちがプールにたてるさざめきを揺りかごにして、目を閉じた。