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【2019忍殺再読】「プラグ・ザ・デモンズ・ハート」

誘蛾灯に群れ集うが如く

 オーストラリア運搬中のリアルニンジャを巡り、馬賊スレイプニルとオムラ・エンパイアのデジマ機関が潰し合うエンタメ映画のお手本のような一本。最終的に二つのチームに集約されるとはいえ、味方陣営、敵陣営共に目的の異なる連中が偶然寄り合うハメになっているというのが非常に楽しい。また、明確なチーム分けが成されていない序盤……共通の獲物を目指して複数勢力が集まってくる展開も個人的な癖(へき)だったりします。「ヘイル・トゥ・ザ・シェード・オブ・ブッダスピード」で、クロームドルフィン目当てにシマナガシとかフジキドとかオムラとかアマクダリがぞろぞろ集まってくるシーンとか超好き。初読時はバトル描写重点な作品を長編連載されるとダレるな~くらいに思ってたのですが、一気に読み返すとすげーおもしろかった。トリロジーで育てたキャラでバカのバイキング皿してくるのずるいぜ。

 スレイプニルの連中がシンプルな動機で動いてることもあり、アクセルをべた踏みしながら悪い奴らをぶん殴る細かいことはいいんだよ系エンタメに仕上がっている本エピですが、それにワオワオウィーピピーしていると、背後から憑依ニンジャの再憑依というド級のニンジャ真実で背後からぶん殴られる羽目になります。無知能ゾンビバトルやりながらシ・ニンジャ真実ぶちこんできた「デッド!デダー・ザン・デッド!」の作りをより洗練させた一作と言えるかもしれません。どっちもINWがらみだし。しかし、10年の月日を経てみんな大なり小なり変化している中、モータルの身でありながら全く何も変わっていないリー先生は一体なんなのか。そもそもこのオッサン何歳なのか。いや、研究は大きく進展してるでしょうし、そこに本質があるキャラなわけで、ある意味誰よりも大きく変わっていると言えるのかもしれませんが……。

人の棲む世に荒野なし

 再読して強く感じたのは、本エピソードが「ルールの話」であるということ。登場人物の行動理念は、いずれも感情的なものではなく「Aが入力された時、Bと出力する」というただの理にすぎません(当然、ルールに基づいた行動の上に各々の情が乗ってはいるのですが)。そのルールは、たとえばモットーであり、契約であり、協定であり、掟であり、約束であり、ニンジャ憑依の規則であったりします。主人公陣営として読者の感情移入対象であるスレイプニルの行動ですら、あくまで「先代の定めた掟だから」仕方なく行動したのだと語られています(これは情報量の少ない荒野において、ルールを失ってしまうと人は己を保てないということでもあると思います)。フラットな目で見た時、読者側の価値観に近いのはサラリマンであるオムラ・ヤマナンチの敵陣営であるというのも非常におもしろいところで、スカラーが退場時に見せる晩飯を吟味するシーンなどは、その構図をあからさまなまでに強調しており、ある種のあざとさすら感じられるほど。

 「この地において世界は青と黄の二色だ」「地平線を遮るオブジェクトの殆ど存在しない、どこまでも続く荒野」という情報量の少ないステージ描画に反するように、クエスター・ナルという異物が荒野に与えた刺激は、そこに敷かれた複数のルールに基づいてケミストリーを起こし、世界をどこまでも複雑に塗り分け、情報量を増大させてゆきます。たとえ荒野であろうとも、そこに人が棲み集団が生まれた時、ルールは必ず生まれ、何かしらの行動は必ずその式に代入されてしまう。否、仮にそこが無人の荒野であろうとも、それは物理法則であるとかバイオカンガルー等の自然の掟であるとかカツ・ワンソーの定めた何かであるとか、より大きなルールにひっかかり必ず別オブジェクトに影響を与えてしまう。カラテとはどこまでも孤独なエゴに基づくただ一人の行動ではありますが、それが世界の中で奮われる以上、世界に対して絶対に無関係ではいられません。孤独は主観の境界線が生んだ幻想の囲いにすぎず、ルールを見失い宙に浮いたコンノくんはその真実を垣間見ることになります。ルールを外側から観測・分析するリー先生ですら、スレイプニルと結んだ約束に縛られ、否応なく戦いに巻き込まれてゆくのは余りにも象徴的でした。

ルールが従うルール/入れ子構造の地獄

 上述の通り、本エピは荒野に張り巡らされたルールのネットワークと、それらの強固さゆえの衝突を描くお話ではあるのですが、その中に強烈な特異点……憑依ニンジャの再憑依というルール改定の事例を盛り込んでいるのが一筋縄ではゆかないところ。カラテと世界の関わりの基本を揺らがすという行為は、ニンジャスレイヤーという作品自体の根幹を崩し、信頼と信用の失われた何でもありの与太話(ケオス)に貶めかねませんが……そこで否と叩きつけてくれるのも我らがリー先生であるのでした。先生の何が凄いかって、事象を外側から観測・分析することも、事象の内側に飛び込んで内側からその挙動を観測・分析することも自在ってことなんですよね。ビガー・ケイジスの内外を好き勝手に行き来している。そう、ビガー・ケイジス。入れ子構造の地獄。ルールもまたそれを包括するより大きなルールに従っているということです。ウン十年かけて探り出した理(ルール)が破綻した時、それを引き起こしたより外側の理をノータイムで探り始めるリー先生は、研究者の鑑だし、めちゃくちゃかっこいい……。あと、秩序の喪失(犯人を特定しうる理という概念そのものの破壊)というコヨミ・ウサギの野望が、小さな檻一つ分にしろ成し遂げられていたという事実にはちょっとぐっときました。

 AOMの主題でもあるケオスは、何でもありの混沌ではなくタイピング速度不足が生みだした何でもありに見えるだけの秩序であるということ。たとえ全観測者が解析不能な混沌があったとしても、そこには必ずルールは存在するということ。我々が呼ぶ秩序とは自身の理解力が及ぶもののただの言い換えであるということ。それは「殺してから捕食するつもりだろうか? 否、死体は放置に任せるのである。バイオカンガルーの習性はしっかりと研究されてはいない。意図もわからない」というセンテンスにも強く現れています。これは、私にとってのSFというジャンルの肝(あくまで私のですよ)であり、人間関係、社会情勢、イクサの勝敗……あらゆる局面においてこれを厳守し続けるニンジャスレイヤーという小説が私にとって理想のSFである理由でもあります。一見、複数陣営が入り乱れた混沌極まる本エピですが、全陣営全登場人物のルールが明文化された上で、行動の理由から解析の難しい情が削ぎ落とされています。登場人物たちのドラマはスケルトンカラーで透かされ、「Aが入力された時、Bと出力する」仕組みが読者の眼前に曝されている。本エピは、ニンジャスレイヤーのSF性を強く示した「ルールの話」であり、それは「プラグ・ザ・デモンズ・ハート/悪魔の心臓を入力する」というタイトルにも強く現れていると思うのです。

未来へ……

 未来へと言えば、そりゃもうオムラ・エンパイアですよ。論理聖教会と並んで、今後の活躍が楽しみな悪役組織ナンバーワンですよ。原典を崇拝するあまりに、原典からどうしようもなくかけ離れてゆく暴走する二次創作というコンセプトの時点で超好みなんですが、本エピにおいて彼らが一枚岩ではなく、その二次創作の流儀にも各々異なった信念と地雷があることがわかったのはめちゃよかった。オムラ構成員のそれぞれに個としての意思があり、それを支える生活や信念を押し通す駆け引きがあるのが最高。彼らはただのコンセプト・設定ではなく、実際に忍殺世界の中で生きているのだと感じさせる生々しい質感がね、本エピにはありましたね。モータータケシの導入を巡るデジマ機関と本社のぎくしゃくとかもう絶品です。

 クエスター・ナルもなかなか妄想のし甲斐がありますよね。そも、名前が超重要な忍殺世界において「null=無」を名乗るって時点で異常なんですよねこいつ。お前そもそもほんとにニンジャなのか? キンカクとかギンカクとかそういう何かしらの「仕組み」そのものじゃないのか? エメツめいた黒色の肌っつってるけど、オムラに燃料扱いされてるし実は人型をした意思を持ったエメツとかじゃないのか? エメツ=アンコクトン=物語をはく奪され純エネルギーと化したモータルソウルとすると、なんかしっくりくるし……。クエスター・メニイによって表面の紋様を書き込まれて、クエスターという自我を獲得した? 契約を求めるのは本質が無であるためルールがなければ事故を保てないから?私はクエスター、私の名は無という言及を信じるならむしろ逆で本質はクエスターであり、後付けで無を課せられた?「虚構の怪物」として一貫したテーマのなさすぎるジツ系統は、無ゆえの自由なのか?人工心臓の再現から見るに、その本質は無の上に何かを写し取ることなんか?小距離瞬間移動はその能力でイグナイトからコピーした? ……スレイプニル編の次話を早くお願いします!

■note版で再読
■9月19日