長谷川家の決闘(完全版)
応接室に置かれた父の生首は、決闘だと息巻いていたあの時からは考えられないすまし顔で、なんだかとてもまぬけだった。
「私との決闘に臨む長谷川君の姿は、それはもう堂々としたもので実に立派でした」
これが彼の得物ですと、父の上司は懐から古めかしい拳銃を取り出し、父の横に置く。その物腰は穏やかで、聞いた話とずいぶん違う。生意気な若造。口だけが達者。家族相手に唾を飛ばして愚痴る父の言葉は一面的なもので、まあ、何においてもそういう人だったよなと思い返す。
「で、こちらですが、やりますよね」
「え」
差し出された封筒には「仇討ち」と書かれていた。
1
「私としても重要なプロジェクトを控えた身。闇討ちでは困るのです。正式に場を設け、長谷川君のご家族とも決着をつけておきたいのです。いや、いや、わかります。そんなつもりはないと。ですからこれはこちらからのお願いです。勿論、得物も私が用意しましょう。長谷川君のその拳銃では、正直、お話になりませんから。いや、いや、いや、そうおっしゃらず。聞くところによると健一さんは高校三年生だとか。効きますよ内申点に。お母さんにも是非話してみてください」
押し切られてしまった。口が達者なのは父が言った通りだった。とぼとぼと自転車を押して歩く帰り道、ポケットにねじこまれた果たし状と父の拳銃がずっしりと重い。
「長谷川くん、何してんの」
振り向くと同級生の安達が立っていた。部活帰りだろうか。楽器ケースを背負っている。
「元気ないね、なんか」
「父が死んでね」
「へえ」
「それはいいんだけどさ」
女子相手に自分の気弱を告白するのも恥ずかしい話だが、誰かに聞いて欲しかった。愚痴っぽいのは父の遺伝なのかもしれない。安達はふんふんとうなずきながら、「もらった得物は使わない方がいいよ」「内申点上がるのはほんとだよ」と妙に訳知り顔で返してくる。
「安達お前、なんか詳しいな」
「うち、助太刀が専門だもん」
「えっ人殺しの?」
「人殺しじゃないよ、決闘だよ」
そもそもそれがよくわからない。なんか、決闘って、明治時代くらいに禁止されたんじゃなかったっけ。そう言うと、安達はあきれかえったようだった。
「長谷川くん。受験生なのにそれはまずいって。絶対にセンターでも二次でも出るよ」
「俺、理系だしあんま時事問題やってないんだって。やっぱりまずいかな」
「とれる問題を落とすのはもったいないよ」
新聞を読むのは面倒臭いし、テレビもあんまり好きじゃない。最近だと何がいいのかな。なんかそういう、役にたつアプリみたいなものがスマホであるんじゃないか。
「一問一答形式の奴が空き時間にできていいよ。お兄ちゃんは、英単語みたいになんでもかんでも単語シートに書いて覚えてたみたいだけど、それはさすがにさ~」
安達はそう言って、おすすめの参考書を教えてくれた。今度貸してくれるらしい。
2
翌日。塾のセミナーから帰ると、母にリビングに呼ばれた。父の生首が宅配便で届いたのだという。遅いよ兄ちゃんと文句を言う妹の前に、無駄に大きな包装の箱が置かれている。ナマモノ注意のただし書きが、なんだか馬鹿馬鹿しい。
「じゃあ、開けるよ」
「なんか、親戚から果物が届いたみたいなテンションだよね」
カッターが見当たらなかったので、ワインの栓抜きの先端でガムテープを切り、箱を開いた。発砲スチロールを紙みたいにしたやつをはぐと、見慣れた顔がその中から出てきた。
「あらあら、すまし顔をしちゃって」
「ちょっとかわいくない?まぬけっぽいよ」
「わかる。笑っちゃったもん」
俺は断然、七人の侍ではなく、荒野の七人だ、と決闘前に自慢げに拳銃を振り回していた父。俺にもいろいろ伝手があるんだよ、と自慢げに見せびらかしていたが、父のパソコンの検索履歴をこっそり調べた妹が言うには、どこぞの決闘の遺品をネットオークションで落したらしい。
「で、お母さん。どうしよう、これ」
冷蔵庫の扉にマグネットで貼りつけられた『仇討ち』の封筒を指さした。母は、うーんと困ったように首元のほくろをいじくる。
「お母さん、またやってる」
あ、と慌てたように首から手を話し、母はくすりと笑った。癌になると怒っていた父のことを思い出したのだろう。
「わたしも、決闘なんか興味がなかったし、あまり詳しくは知らなかったんだけど、清水のおばさんが色々詳しいから聞いてみた。内申点には実際いいみたいだし、それより、二次の面接で決闘経験を話すことができるのが凄く有利なんだって。仇討ちならわたしと穂乃果も参加しないといけないみたいだけど」
「えっ、お兄ちゃんのためにやらなきゃなの。めんどくさい~」
薄情な妹だった。自分も来年は高校受験の癖に。
「で、健一はどうする?」
母に尋ねられる。いやそんなこと聞かれても。
「……面接が有利になるのは助かるけれど、でもさ、受験のために決闘やるのはなんか変じゃない? なんかこう、もっと、よくも主君を殺したな!とか、そういうのじゃん。仇討ちとか決闘って。お父さんだって、あんな盛り上がってたし」
「あの人、自分に酔っちゃうタイプだったから」
「お兄ちゃん、へんなとこ真面目だよね」
そうなのだろうか。また、よくわからないうちに流されてしまった。とにかくやってみようということで、母が封筒を開けた。この場合、決闘者である息子が書面をの申請をしなければいけないようだが、先に何が必要か調べておくと母が言ってくれた。
任せっぱなしなのも悪いので、自分も父の上司に電話をかけていろいろ教えてもらうことにする。安達のことも浮かんだが、あいつの連絡先は知らない。
「はい、西森食品、総務課の島田です」
「あ、もしもし、長谷川ですけど……」
「え?」
「あの、えーっと、この前、決闘で殺された、長谷川の、息子です。健一です」
ああ、健一さんですね!と声色が変わった。先ほどまで仕事モードだったのだろう。少しキツめで正直怖かった。このまま執務室で電話はあまりよくないから、と父の上司(島田さんと言うらしい)は電話向こうでなにやらどたばたと歩き回り、お待たせしましたと話を切り出した。
「仇討ち、やってくれますか」
「はい。迷ったんですけど、面接にもいいらしくて、やってみようかなって」
「よかった! お礼を言うのもおかしな話かもしれませんがありがとうございます」
申請のやり方がよくわからない、と言うと、島田さんは丁寧に教えてくれた。電話申請もネット予約も可能だが、夏休みのこの時期ならば直接役所に持ってゆくのがてっとりばやいだとか。塾で忙しいなら、木曜日に特別窓口が開いているだとか。血判を押すのが嫌なら、別にしゃちはたでも構わないだとか……。
えー、とにかく色々あるけどやれるとこからやってみよう。
3
決闘経験があるという奴が同じ塾にいたから聞いてみた。理由はバイト先のもめごとだったらしく、結果は敗北に終わったらしい。負けたところで死なない場合もあるのだなと、それだけで一つ勉強になった。
「大切なのは、腕のいい助太刀を見つけることだな」
「えっ、それって前提なの」
「当たり前だろ。裁判とかだって弁護士を雇うじゃん。昔、すげーラグビーやってて体力に自信があるとか、狩猟の免許持ってるとかなら話は別かもしれないけれど、一般人がやれるわけないだろ」
言われてみれば確かにそうだ。母も妹も自分も、人を殺した経験なんて、それどころか喧嘩ですら一度もやったことがない。単身、決闘にのりこんでいった父はかなり特殊なケースだったようだ。
「かっけぇ~、それはそれでいいよな。すげえ親父さんじゃん」
「いや、そういうこと事前に調べるのがめんどくさかっただけだと思うよ」
帰りのバスで、スマホで検索してみた。「助太刀」「値段」「申し込み方」。色々な業者が出てくるには出てくるが、なんだかどれもこれも胡散臭い。五人目からは無料ってなんだ? そんなたくさんの人が参加することがあるのだろうか。プランも色々複雑で、よくわからない。となると、やはり思い浮かぶのは安達だった。
意を決して、仲の良い同級生の女子に、安達の連絡先を尋ねてみる。案の定、はやしたてられたが正直に事情を話すと、素直に教えてくれた。電話番号は結局わからず、SNSのアカウントがわかった。使ったことのないやつだったので、困ったが、なんとかアプリをスマホに落し、メッセージを送ることに成功する。
「はい、もしもし」
急に電話が鳴り、慌ててとった。安達だった。バスの他の乗客の目線が痛い。家の近くの駅ではなかったが、仕方がない降りてしまおう。
「安達くんだめだよ。最初に連絡先がどうこうってところ見ずにOKしたでしょ。電話番号調べたら出るようになってるよ」
「あー、よくわかってなくて」
ここ数日、自分のものの知らなさを痛感し続けているようでなんか嫌だ。
「で、助太刀? やっぱりやるんだ、決闘」
「うん、まあ」
さすがに専門は詳しいらしく、今の時期に申請をした場合、どこが決闘場になりやすいかとかマニアックな情報を話してくれた。
「長谷川くんところの助太刀かあ、同級生の仇討ちの手伝いって、さすがに初めてだからなんか恥ずかしいな」
「ごめん」
「いやいや、仕事だもん。助かるよ。ママにはしっかり伝えとく」
あ、安達が来るわけじゃないんだ?
「いや、行くよ。私とお兄ちゃんとママが専門なの。お兄ちゃん、マジで強いよ。拳銃の弾をよけたりできるし。びっくりするよきっと!」
やや興奮気味の安達に、少しドキリとしてしまう。電話を切り、そういえば肝心の島田さんに助太刀の話をしていなかったことを思い出す。慌てて電話をかけ、勝手に決めてしまって申し訳ないと謝ると、島田さんは笑い出した。
「健一さん、大丈夫ですよ。決闘って普通そういうもんです。私だって雇ってます」
「あ、そうなんですか。でも父の時は」
「ええ、だから驚きました。こちらはプロを雇っているのに。以前、長谷川君はとても堂々としていたとお話したでしょう? あなたのお父さんは本当に立派です」
えっ、それってつまり、父は島田さんではなく、プロと戦ったのか。馬鹿だなあ、と思うものの、どうにも釈然としない気持ちも残る。
「なんかそれって、おかしくないですか……?」
「何がです?」
「なんか、自分たちの決闘なのに、変だなって」
「うーん、それは確かに正論ですけどね。でもほら、やっぱり、死にたくないものじゃないですか」
穏便に済むならばそれが一番ですよ、と島田さんは言った。
4
安達の言ったことは本当だった。安達の兄は、目にもとまらぬ足さばきで地面を蹴り、島田さんの助太刀の日村さんが繰り出す銃弾を、ひょいひょいと避けていた。二人ともすごい。とてもすごい。人間とは思えない。
「やあ、お疲れ様です。この度は本当にありがとうございます」
そう言って頭を下げたのは島田さんだ。以前、会ったときは違い、ラフな格好をしている。休日だからだろう。自分たちの決闘場に選ばれたのは、自然公園の一角だった。遠くから、家族連れのバーベキュー客が、興味深げにこちらの様子をうかがっている。
「助太刀の人たちって、こんなに凄いんですね」
目を白黒させながら母が言った。
「ええ、プロはやっぱり凄いですよ。私が雇った日村さんも、目視で一キロ先の鳥を撃ち抜けるとか」
は~、と母がため息を漏らす。
「安達さんもそういうことできるんです?」
「いや、私は無理だなあ。銃はあんまり使ったことがないし」
仲良くなった安達と妹が、そんなやりとりをしている。二人が座るベンチの端には、風呂敷が広げられ、すっかりしなびてしまった父の生首が置かれていた。ある意味、今回の主役だ。
「安達、この後はどうなるんだ?」
父のすまし顔を見つめながら、尋ねた。
「お兄ちゃんと日村さんのどっちかが戦闘不能になるまではとりあえずこのままかな。状況次第なら、私とママも参加する。向こうも、増援してくると思う。で、助太刀同士で戦って、誰かが死んだら、あとは島田さんと長谷川くんたちで適当に、軽く怪我するくらいそれっぽいことやって終わり」
助太刀の人は死ぬのか。
「そこは、まあ、決闘だし。ラインだよね」
安達は簡単に言った。場合によっては、自分も死ぬって話をよくもまあ。もし、この助太刀で、自分たちの代わりに安達が死んだら……と想像してみたが、具体的にどうだとか、何も思いつかなかった。じゃあ、自分なら? それも正直よくわからない。まあ、別に死んだところで……という気にはなる。少なくとも受験はしなくてよくなるか。
父の顔を見る。すまし顔。やはりとても間抜けだった。父はこんな顔をしていなかった。何かよくわからないけれど、凄く腹がたってきた。父は感情的で、よく愚痴り、よく怒る人だったが、いっつもこんな気持ちだったのだろうか。何かなんだかよくわからないうちに流されて、今の父みたいにすまし顔をして座っている自分たちを見ても怒るだろうか。
安達の兄の鼻先を、日村さんの回転蹴りがかすめ、血が飛んだ。
「よしっ!私の出番だ!」
安達はそう言って、背負っていた楽器ケースを右肩にかつぎあげ、深く腰を落とし、左足を伸ばした。
「安達、待ってくれ!」
え、と安達はよろめきこけかけた。突然大声を出した自分に驚いたのか、母と妹と島田さんもぎょっとしたようにこちらを見る。
「ちょっと、長谷川くんやめてよ。危ないよ。地面に向かって飛んだら、やばかったよ」
「安達、お前のお兄さんも止めてくれ。島田さん、日村さんも。決闘は一端中止です。やっぱり、こんなのおかしいと思う」
安達は少し傷ついたような顔をし、楽器ケースを降ろした。
「今さらそんなの……大体、助太刀は認められてるのに」
「それはそうかもしれないけれど、これだと安達家の決闘じゃんか」
しかし、決闘とは、そういうものなのですよ、と島田さんは言った。
「だったら島田さんは言えますか。自分は決闘で、部下の長谷川に勝ったんだって、胸をはって言えますか。気持ち悪くないですか」
「しかし、規則的には何も」
「父のことを立派だと思ったんでしょう。それって自分に引け目があったってことじゃないですか?」
「それは、まあ、正直……」
大体、母と妹もだ、とベンチの上でのほほんとしている家族にも噛みつく。
「お母さんも穂乃果もどうかしてるよ。お父さんが殺されたんだよ?」
言った後に、いや、まあ、別にそれはいいか、と思い直す。
「……ええっと、そうじゃなくて、やると決めたんだから、しっかり決闘やろうよ! 当事者の自分たちが、全員そろって観戦なんて絶対おかしいって!」
妹が、私はお兄ちゃんの受験のためにわざわざ~とぶうたれた。
「じゃあ、穂乃果は帰れよ。申請上確か問題はなかったはずだろ」
「いや、それはでも今さらさ……」
「なら、真面目にやれよ」
自分の剣幕に押されてか、三人は黙り込んでしまった。安達は不満げにこちらを見ている。安達の兄と日村さんも、いつの間にか戦いの手をとめ、こちらの様子を伺っていた。
「じゃあ、わたしたちで、決闘やりますか……?」
おずおずと母は田舎から借りてきたのだというチェーンソーを起動した。妹もそれを見て観念したように中学校の技術室から借りてきたのだという金づちを握った。島田さんが取り出したのは、驚いたことにトンファーだった。どこで売ってるんだそれ?
5
結論から言うと、決闘には勝った。ただ、妹は死に、母も右腕の変なところを怪我してしまったらしく握力が弱くなってしまった。自分も、右腿を撃ち抜かれ、危うく失血多量で死ぬところだった。島田さんは強かった。決闘中に尋ねてみると、学生時代にやんちゃしてたんですと恥ずかしそうに告白した。この数日、島田さんとは何度も話したこともあって、ちょっと殺したくない気持ちもあったんだけれども、これはやはり決闘なのだ。きっちりと、とどめを刺させてもらった。
「それにしても、本当に困ったんだからね、長谷川くん」
入院中の自分の病室にやってきた安達は、見舞いの品だと林檎を置くと、いきなり文句を言ってきた。その背中には、相変わらず例の楽器ケースが背負われている。
「心配させたなら、ごめん」
「違うよ。もしあのまま長谷川くんたちが負けてたら、うちの評判がってことだよ」
「ああ、それはもっとごめん」
まあ、勝ったからいいけれど、と安達は言う。
「おかげで、次の依頼も入ったしね」
「依頼?」
「島田さんの奥さんだよ。カンカンだったよ。ローンがまだ終わってないって」
え、じゃあ、つまり、自分は安達と決闘をするのか? そうだよ、と安達はうなずく。
「楽勝だよね。長谷川くん、銃、へったくそだったもん」
からかう眼差しでにやにや笑う安達を見ながら、あの時のことを思い出す。
決闘の日。やると決めた時。自分がポケットから取り出したのは父の拳銃だった。あまり性能はよくないと島田さんは言っていたが、構わない。荒野の七人。父は立派でもなんでもなく、ただ何となくガンマン気取りで、自分に酔っていただけなのだ。でもそれが正しいのだと思う。決闘なんて、気持ちの問題なんだから。
【おわり】