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最近読んだアレやコレ(2022.05.01)

 忙殺!4月はインプットとアウトプットをバランスよくやってゆく予定だったのですが、忙(ぼう)に殺(さつ)されており、なんかもうすごいことになっていました。以下に紹介するアレコレも大体は出張で各地を飛び回りながら読んだものであり、自宅では精根尽き果ててCookieClickerとかいういにしえのゲームをやっていた。やんごとなき事情により仕事の量が2倍増えたタイミングで、やんごとなき事情により人間の数が半減したため、都合4倍働いていたことになる。労働時間的には日付をまたぐことや家に帰れないこともなく、以前肉体をぶっ壊した時ほどものではなかったが、とにかく4倍量のタスクをミスなく同時並行に進行させるために脳みそを常にフル稼働、その負荷がヤバく、HPはなんとかもったが、MPが……MPが……。とにかくGWはゆっくり休んで、4月中に書きたかったのに書けなかった小説とかに手をつけられたらいいなあと思っています。のんびりやってゆく。

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それでも、警官は微笑う/日明恩

 バディもののお仕事小説が読みたいぜ……ベッタベタでコッテコテのバディものがよ……という欲望が高まってきたので、〈武本・潮崎〉シリーズに手を出しました。無骨で無口で悪い奴はぶん殴る不器用なデカブツ刑事・武本と、エリートでおぼっちゃまだが頭は切れて絡め手に長けた変わり者刑事・潮崎が拳銃と麻薬を巡る陰謀を追う! こんなに教科書通りの王道がありますか。どこを切って割っても、ぶっとく大地に根を張った筋書きが、キャラクターが、どかんとそこに腰を据えている。ほんの少しでも体軸がぶれれば陳腐に堕する綱渡りの中で、最後まできょろきょろ目くばせすることなく、ドカドカと繁華街を走り、悪人をぶん殴っている。彼らはここにいて事件を追っているのだという気炎が、王道を王道のまま、血肉の通ったREALを目の前に立たせているのです。小説の佇まい自体が、主人公・武本の立ち姿と似通っているという点で、あまりにも強度が高い。武本の行動ありきのスタンスは、それを狂気にも近しい純性で守りぬくことで、愚鈍な牛を信念ある人間に変えている。続編もまた読まないと。


ゆうえんち(1~5巻)/夢枕獏、 藤田勇利亜、板垣恵介

 〈刃牙〉シリーズのファンなので、そろそろ『ゆうえんち』にも向き合っていかないと、という気持ちで手をつけたらめちゃくちゃおもしろかった。そのめちゃくちゃなおもしろさや、「おもしろいけど、何か変だな……」という首をかしげたくなる部分まで完全に〈刃牙〉であり、しかし、それほどの原作再現の精度の高さを保ちつつも、原作では書き得ない視点を持って格闘技者たちの姿が描かれているのが素晴らしい。とにかく、夢枕文章の水気と臭みが凄まじく、獣の肉で出来た汁気たっぷりの果実を丸かじりしているような体験がえも言われません。手をねたつかせるほどに発酵した甘味と臭みは、読む者の脳をいともたやすく犯し、あっという間に私たちを危険な『ゆうえんち』へと連れていってくれます。刃牙本編が「勝ち負け」と「強さ」の定義をキャラクターという試験体を使って延々思考実験している一方で、前日譚である本作は、そもそもその土俵に上がる前の「闘うって何だろう?」という話なのかな、とも。その命題を扱う上で、本編同様スタート地点が「仇討ち」に据えられているものの、刃牙くんが高速スタートダッシュを決めてあっという間に走り抜けた「闘うって何だろう?」を(あっという間すぎて、最後は闘わずに親子喧嘩とかしたりした)、本作はじっくりねっとりと描いてゆくことになります。おもしろかった。


マイクロスパイ・アンサンブル/伊坂幸太郎

 秘密任務に挑むスパイと、ごく普通のサラリーマン。おとぎ話と日常が、年に1度猪苗代湖で交錯する。音楽フェスで年に1度配布されていた連作短編小説を、7年分集めて単行本化した作品。フェス会場と開催時期が紐づいたリアルタイム性の強い小説となっており、単行本というまとまった状態で読むことは本作を十全に楽しむ方法ではないのかもしれません。しかし、その本来の「用途」からずれた使用がなされることで、本作は通常の小説では味わねい非常にヘンテコな読み味……強い魅力を生んでいます。傘をさして歩きながらフランス料理のフルコースを食っているような、風呂でシャワーを浴びながら犬を散歩させているような、ミスマッチが生む肌触りが痛快でたまらない。1年ごとに更新されてゆく物語をフェス会場で体験できなかったことを口惜しく思いつつも、どこかずれたこの奇妙な小説には、このずれた体験こそがふさわしかったような気もします。歯車が噛み合っているんだかいないんだかはっきりしないのに、とにかく時間と共にお話は前に進み、飛行機は飛ぶ。伊坂幸太郎の小説は、やっぱりラストが爽快で気持ちいいですね。おもしろかった。


忍者と極道(5~9巻)/近藤信輔

 グラスチルドレン編が完結したのでまとめて。ゾクガミ編で最高潮に達したかと思えた『忍者と極道』ですが、そこからレンジのつまみをねじ切れるまで右に回し、その狂熱はついに彼岸と此岸の境界を焼き溶かすにまで至ります。「極道はブッ殺す」「それでも……」「極道はブッ殺す」「それでも……」 くるくると回転し続ける自問自答は、高速のあまり読者の目では到底追い切れず、ついには、倫理や道徳のタガを吹き飛ばす。吹き飛んだその先で、ただ、彼らの決死の殺し合いだけがそこにある。ゆえに、真直ぐに放たれる忍者(しのは)くんの「ブッ殺す」は、あまりにも眩しく、力強く、残酷なまでに輝いている。「忍者」と「極道」に加え、第三勢力(?)の「政治家」の三輪で回す死狂い生き狂いのデッドヒートは何度読んでも脳味噌がぐちゃぐちゃにかき回されるような、人間が摂取可能ギリギリの濃度のエンタメに満ちており、身の危険を感じるほどに暴力的におもしろく、そして痛切さに満ちている。恐らく連載時から10回は読み返しているのですが、それでも、何度読んでも、ガムテの「決めようか……忍者と極道 何方が生存(いき)るか死滅(くたば)るか…!!!」でボロボロ泣いてしまう。死は既に決している。生き延びることは、生存(いき)ることではない。生存闘争を越えた、自分を自分として生存(いき)させるための殺人。グラスチルドレンにとっての、殺し合いのなんたるか。