necro3:桜の木の下にはめちゃくちゃ死体が埋まっている(後編)
【前編より】
◇◇◇
「1つ疑問なんだが、立ち退きを終えたところから手を入れていけばいいんじゃないのか。たった数人の厄介者のために、開発計画を数百年間もストップさせている理由がわからない」
「どうせ邪魔されて絶対まともに進捗しないから……ってのが表の理由。ほんとは内部で所掌がごちゃってるんだよ。だから、厄介者を口実にして、スケジュールが遅れても仕方がないんですよ~って」
「時間稼ぎの言い訳か。要するにてめぇのような役立たずの能力じゃ、ろくに片付けられないって判断されてるわけだ。さっさと解決されたらそれはそれで困るわけだろ」
「…………うるさいなぁ」
むくれるスーツ女を眺めながら、俺はジジイの顔面を床に押し付け、鉈でその首を落とした。俺の中に迎え入れた愛する女たちの肉体は、俺との合意の上で自由に引き出され、武器になる。女たちの骨で作ったその鉈は、その切れ味も愛によって保証されており、人体どころか金属であっても豆腐のように切り裂ける。
四肢を切り取り、胴を割り、関節を落としてジジイを11つに分割した俺は、それらをすくいあげ、桜の根と花びらで埋もれた庭にぶちまけた。そこから両脚を拾い上げ、半分に千切って右だけをスーツ女に投げつける。顔面にいきなりジジイの脚をぶつけられたスーツ女は、わたわたとテンパり、血みどろになった顔で目をぱちくりさせた。
「それを持って、外に出てろ」
文句を垂れたそうにこちらを睨み、顔についた血をぬぐいながらスーツ女は出ていった。幾らか試してみてわかったことがある。親父を生きたまま家から連れ出すことも、死んだまま家から連れ出すことも不可能だということだ。だったら次は問題の分割を物理的にやってみるのが常套だ。まず前提として「起き上がりは殺せない」。つまり「親父を家から追い出せない」。これは絶対だ。だったらあとはそのルールの抜け道を探してゆくしかない。
玄関の引き戸を開ける音がして、ほんの一拍の後、閉める音がした。何が起こったのかは想像がついた。「出てろ」と命令したはずのスーツ女はすぐに戻ってきて、何も持っていないことを俺に示した。生きたまま連れ出そうとした時と同じく、ジジイの右脚は玄関をくぐったところで消え失せたらしい。俺は残った左脚を肩にかつぎながら、庭先にぶちまけたジジイのバラバラ死体を探った。スーツ女によって持ち出されたはずの右脚がそこにあった。これは『再出現』。瞬きもせず見張っていたのに、その瞬間は捕えられなかった。
10分程でジジイの肉体は寄り集まり、その年季の入った目蓋を開けた。俺によって奪われている左脚も、千切った痕から新しい1本が生えている。こっちは『回復』。ジジイはうっとおしそうに起き上がると、首を鳴らして腕を回した。俺は余ったジジイの左脚を、家の外に投げ捨てる。ジジイ本体を投げ捨てた時とは違って、塀の向こうから肉が道路に叩きつけられる音がした。スーツ女に見に行かせると、左脚はちゃんと家の外に転がっていたとわかった。再出現は、しない。
「実験ごくろうさまだね。何かわかった?」
スーツ女は手を払い、そそくさと炬燵に入った。あつかましい女によって炬燵の体積を圧迫されたジジイは迷惑そうに目を細めたが、黙って戸棚から煎餅を取り出し、スーツ女に渡した。立ち退きのする側、される側、敵対してもおかしくない2人だが、長い付き合いでその辺りはなあなあになっているようだった。
「ジジイ本体を家の中でぶっ殺しても、再出現はしない。普通の起き上がりと同じで回復するだけだ。千切れた部分が繋がって、足りない部分が生え、余ったパーツはただのデカいゴミになる」
「だね。回復は再出現に優先して発生するらしいよぉ」
「あと、余ったゴミは『ジジイ』に含まれず、家の外に持ち出せる」
「ギンジマさんを余ったパーツ毎に運び出して、立ち退かせましたってのはナシだからね? 本体はそのままこっちに残ってるんだから」
「だろうよ。試してみたかっただけだ。訊くが、ジジイじゃなくて、その辺の家具、たとえばそこの箪笥を家の中でバラバラにしたらどうなる? お前らもこの程度のことは試してるだろ」
「起きるのは再出現だけだよ。だから余りは生じないし、家具はパーツ単位でも持ち出せない。壊れた箪笥が気づけば元に戻ってる。普通の生活って言えるような変化……そうだなぁ、たとえば台所の椅子をこの部屋まで持ってくる、なんてのは可能だよ。でも、その椅子を壊したり、外に持ち出そうとすると、再出現によって戻ってしまうんだよねぇ」
整理する。この家の状態が変化した場合、まず回復が起きて、次に再出現が起きる。回復はジジイの損傷に対して発生し、その処理をすり抜ける変化……ジジイ・家具の外への持ち出しや家具の破損は、全て再出現によって処理される。回復で余ったパーツは、家に含まれず再出現からもすり抜ける。
「……厳しいな」
俺は結論づけた。やっぱり?とスーツ女は首を傾げ、暢気に煎餅を齧った。
「ネクロももらう? 美味しいよ。この家は消耗品も再出現させるから、これは正真正銘、ほんとに『煎餅』なんだって。『ビーフジャーキー』もあるんだよ。人肉以外の肉を食べれる場所なんて〈生命のバレエ〉以外じゃここの家だけなんじゃないかなぁ」
「キイロさんよ、それはうちのモンなんだけどな」
「えー、ケチですねぇ」
真面目に仕事をする気があるんだろうか、この女は。「まあいい、あんたにもやるよ」と煎餅を差し出してきたジジイを無視し、俺は話を続けた。
「ジジイを焼くなり沈めるなりして、ずっと回復状態に留め置くのはどうだ。回復が再出現に優先するなら、ジジイが回復してる内は家具も家屋も再出現しないだろ。取り壊しができるんじゃないか」
「無理無理無理。とっくの昔に試したよぅ。その場合でも普通に家屋は再出現しました。並列処理~。ギンジマさん、とんだ嬲り損」
回復が再出現に優先するのは、ジジイ単体に絞っての話ってことか……家具・家屋・ジジイ、全部含めて「1人」の不死者なのに?
それは永年不死者たちをバラバラにしてきた俺としては違和感を覚える結論だった。この街のいい加減さからすれば、例外がないと断言することはできないが、だとしても「1人」の不死者に対して、起き上がる過程が2つあり、それが同時に発生するのは座りが悪すぎる。
スーツ女は飲み込むように煎餅を食べ終え、指をぺろりと舐めた。
「ネクロ、言っとくけどさ、別にわたし、あなたに頭を使ってもらおうとは思ってないんだよね。ネクロが思いつくようなことは、とっくにこっちはやってるし。わたしが求めてるのは、ネクロの不死者としての能力だけ」
「なんだ」
「ネクロがいつも恋人相手にするみたいに、ギンジマさんをその体に迎え入れたら全部解決するんだよね」
……なるほどな。確かにそれなら成功するだろう。
「俺に迎え入れられた時点で、ジジイは俺そのものになる。俺の肉体はこの俺だけで、この家は含まないから、そうなってしまえば家が再出現することはない。あるいは、家ごと全部俺の中に入るかもな。どっちであれ、そのまま俺が立ち去れば、立ち退きは完了したことになる」
「やってくれる?」
「断る」
やるわけがない。俺がこの身に迎えいれ、肉体と魂と自我を溶け合わせるのは、俺を裏切った愛する女たちだけだ。何が悲しくてこんな小汚いジジイと一緒にならなければならないのか。100歩譲って愛する女の頼みならば考えなくもないが、こんなキーキー小うるさいだけの貧相な女のためにそんなことをしてやる気はまったくない。
スーツ女もハナから期待はしていなかったようで、顎を炬燵の天板に乗せ、だよねぇと気だるげに呟いて終わった。職務のために俺の恋人になると言い出さないか俺は若干心配していたが、そんなつもりは全くないようだ。こいつの上司……タマムシならば、迷いなくその手を取るだろう。実際、アプローチをかけられて冷や汗をかいたことがあった。タマムシの例は極端すぎるにせよ、市役所職員とは大なり小なりそういう連中だ。仕事に自分の全存在をかけている。
スーツ女は市役所職員にしては随分珍しい気質と言える。それが恐怖を感じない特殊な精神構造から来るものなのかは知らないが、基本、仕事をどうでもいいと思っている節がある。大げさな身振りは実直さを演じている証拠だろう。タマムシが「彼女は市役所勤めに向いていない」とはっきり口にしたのを聞いた覚えもあった。「役立たず」というさっきの俺の悪態は、実際のところ、芯を食っているのだ。
「……他に手はないのか。このジジイを迎え入れる以外なら、手伝ってやってもいい」
「うーん、そうだなぁ」
スーツ女は、炬燵の天板に頬をつけて考え込んだ。
「あとはもう、ギンジマさんの気持ちの問題かなぁ」
「どういうことだ?」
「起き上がりがどこまでを自分の肉体とみなしているのかって、究極、気持ち次第らしいんだよね。たとえばさ、肉体が全部ぶっとんじゃった後で、衣服ごと起き上がるかすっぽんぽんで起き上がるかは人によるじゃん。その差って、その人がどこまでを自分を自分とみなしてるかの差らしいよ」
「ジジイが家ごと起き上がるのは、ジジイがこの家に執着してるからってことか」
「自分の肉体の一部だと思いこむくらいにね」
確かに起き上がりであろうともピアス穴を開ける奴はいる。気持ち次第で回復・蘇生の範囲は変更できるのだろう。玄関の靴箱の上の、桜の枝もそうだ。あれはこの家が起き上がりになってから、ジジイが折りとったものだろう。にも関わらず再出現で消失していない。全てはこのジジイに依っているのだ。俺とスーツ女に視線を向けられ、ジジイはその皺だらけのツラをくちゃくちゃにしかめて、居心地悪そうに身を縮めた。
◇◇◇
「ジジイ、名前はなんて言うんだ」
「キイロさんが紹介しとったろ。ギンジマだ。〈地縛霊のギンジマ〉とか変な名前を付けられたが、知らん。下の名前はコウゾウだ。ギンジマ・コウゾウ」
「下の名前だと? 不死者になる前のことを覚えているのか」
「儂からしたら、あんたらが覚えてないことの方が不思議だよ。確かにこの街が変わってから随分月日は経ったが、忘れる方がおかしい」
「ずっと家に引きこもってるてめぇと違って、こっちは外で忙しくしてんだよ。昔のことなんて覚えてられるか」
「引きこもってた方がマシだ。人を殺すわ、その肉を食うわ、それで平然としてるあんたらはイカれてる。時間の問題じゃないぞ。年齢なら儂だって同じだけとっとる。あんた、さっき儂を殺したな。平気な顔をして人の体をバラバラにしやがって。そんなことができるなんて頭が狂っとるんだ」
「何が悪い。どうせ生き返るんだからいいだろうが」
「何が悪いかわからないのが狂っとる証拠だ。持ってて当たり前の道徳ってもんを、みんな死ななくなって失くしちまった。ひどい話だ」
「それがてめぇがこの家に引きこもってる理由か」
「ああ、そうだ。臓腐市だなんて趣味の悪い名前の街に住むつもりは儂はねぇ。儂が住んでるのはこの家だ。人殺しも人食いも、あんたらの街では普通のことかもしれないが、この家の主は儂だ。この中では、おかしいのはあんたらなんだ」
ジジイの話ぶりは、頑固を絵に描いたような有様だった。カビの生えた前世紀の価値観を持ち出して、正しいだの間違ってるだの意味のわからない説教をされる始末だった。この家を更地にするには、ジジイの気持ちを解きほぐす必要がある。だから声をかけてみたのだが、まるで話が通じない。
「昔だったら拷問して無理矢理気持ちを変えさせればよかったんだけどね。今はもう、不死者はみんな、痛みを感じなくなっちゃったから」
スーツ女はすっとぼけた表情でそう言い、ジジイの眉を顰めさせた。
「キイロさん、あんたとも長い付き合いだがな、はっきり言っておかしいよ。拷問だなんて恐ろしい。あんたみたいな娘が言うことじゃない」
「わたしは不死者になる前からこんな感じですけどね」
「なに?」
「ギンジマさんの言う『恐ろしい』って感覚がよくわかんないんですよね。恐怖。うーん……やっぱり、殺されたり、痛かったりって、特別な何かがこう、ぐっとくるものなんですか?」
理解できない怪物に相対したようにギンジマは身を引いた。ジジイのその反応を見て、スーツ女は少し悲しそうに笑うと、ごめんなさいと頭を下げた。そんなことはどうでもいい。ジジイと家の関係はおおよそわかった。変化についていけない間抜けが、その間抜けさの言い訳のために残した砦がこの家だ。理解した。じゃあ、次だ。
「庭の桜はなんなんだ」
一瞬、虚をつかれたようにジジイは黙り込み、その後、答えた。
「妻とここに越してきた時に植えたんだよ」
「妻? どこにいるんだそんなの。逃げられたのか」
「死んだんだよ」
「死ぬわけないだろうが」
「この街がこんなザマになる前だよ。儂はそれからずっとここで1人だ」
ああ、箪笥の上の写真って奥さんだったんですか、とスーツ女が立ち上がり、小さな写真立てをジジイに断りもなく取ると、炬燵の上に置いた。写真の中では、皺こそないが今と同じく背の低いジジイと、それより頭1つ分大きな女が映っていた。写真の中のジジイは忌々しそうにレンズから目を逸らし、女はそれが愉快でたまらないというように口を押さえて笑っている。場所はこの家の庭だろうか。2人の前にはひょろりと伸びた苗木が植わっている。
「この木があんなデカさになったのか。不死者が成長すること自体はありえない話じゃないが……にしてもデカすぎる。異常だ。てめぇがなんかしたんじゃねぇのか」
「……知らねえよ」
「なるほど。あの桜の木は奥さんとの大切な思い出なんですね。いい話だなぁ」
スーツ女は両手を合わせて目を潤ませた。
「桜の木が大きくなったのは、ギンジマさんが今も奥さんのことを思っている証拠じゃないですか? 2人の愛がこの家を今も起き上がらせ続けてるってわけ。素敵!」
そんなもんじゃない、とジジイは歯切れ悪く言った。全くだ。そんなものが愛であってたまるものか。愛というものは、魂のレイヤーに刻まれる不可逆の打刻であって、そんな曖昧糢糊とした「気持ち」に左右されるものではない。100年ぽっちしか生きられなかった前世紀の人間どもが、俺と俺の女たちの繋ぎとめるこの概念に到達できたわけがない。
スーツ女のくだらない感情論に触発されたのか、ジジイはぽつりぽつりと女の記憶を語り始めた。その声には気色の悪い感傷が滲んでおり、聞く気が失せる。何がそんなに興味をひいたのか、目を輝かせて相槌を打っているスーツ女を放置し、俺は縁側から庭に出た。ジジイの思い出はどうでもいい。気になったのは桜の木について問いただした時、明らかに言い淀んでいたことだ。
花びらの海に足首を埋め、大きすぎるその幹に触れる。生きた植物を見ることがほとんどなくなり、「木」がどういうものか記憶の彼方に追いやられたこの街であっても、それはやはり違和感を感じる太さだった。俺の腕力で押しても木は全く動くことはなく、しかし、巨大な血管が脈打つ様子が思い浮かぶほどに生き生きとそこにあった。
俺には1つ気になっていたことがあった。玄関の靴箱の上の、手折られた枝。ジジイの背丈で届く範囲で、あの枝が折り取られた痕跡を探しまわってみたが、見つからなかった。代わりに、折られた枝とそっくりな枝が生えているのを見つけた。俺は1度、玄関に移り、それを取ってきた。2本を見比べる。同じものだ。ただ、幹から生えている方は先端部が少し欠けている。再出現によって元に戻ったのか? 違う。だったら、折られた枝は消え失せ、完全な状態でここに生えているはずだ。
この折られた枝は、回復の「余り」だ。
家の外に投げ捨てても、消えることのなかったジジイの左脚。あれと同じだ。再出現と、それに優先して生じている回復。家はまとめて「1人」の起き上がりであるにも関わらず、その起き上がるプロセスに2つの種類があった。ここで1つの仮説がたてられる。起き上がりがもう1人、いや、もう1本いるのだとしたら。
俺は自分の胸に手を差し込み、女たちの骨で出来たナイフを引き抜いた。刃の周囲には神経と血管が絡みつき、1本の欠けもない白い歯が3人×32本、美しく整列している。その表面を柔らかく撫でつけ、刃渡りを引き延ばす。柄を強く握りしめると、女たちの骨と歯は悦びで打ち震え、96本の歯を力強く回転させ始めた。俺はそのチェーンソーを、桜の木の幹にあてがった。みるみる内に幹が削り取られ、大きな音を立てる。それを聞きつけ、スーツ女とジジイが慌てて庭に飛び出してきた。
「てめぇ、何してやがる!」
飛びかかってきたジジイの顔面を蹴り潰し、地面に転がし踏みつける。顔面を陥没させながらもジジイはしぶとく暴れ回り、俺の脚を何度も殴りつけた。うっとおしいが、所詮はナチュラルな人体によるもので蚊が止まるほどのダメージもない。俺はそのまま、その小さな背中を踏み抜き臓腑を平らにした。
「ネクロ、やめて! それはギンジマさんの……! 奥さんの!」
「……てめぇ、やっぱ市役所向いてねぇよ」
わめく2人を無視して、俺はそのまま桜の木を切断し続けた。噴き上がる木粉は血しぶきのように俺の体にまとわりつき、幹が削れてゆく音は悲鳴のように甲高く、長く、続いた。みしみしみしと桜の木がその巨体をたわませ、軋ませるその様は、痛みに耐えかね身をよじるようであり、その苦悶と共に桃色の花びらは土砂降りになって俺たちの上に降り注いだ。
やがて、ひと際大きな悲鳴を上げて桜の木は倒れた。その太すぎる幹は、ジジイの家の屋根をひしゃげさせ、そのまま全てを押し潰した。ジジイが何千年かけて積み上げてきた日常の全ては、いとも簡単にただの瓦礫の山に変わった。
◇◇◇
倒壊したボロ家の横で、ジジイは花びらの海に埋もれるようにして座り込んでいた。桜の木が切り倒された後に残った巨大な切株を、呆けたように眺めていた。俺に踏みつぶされた胴体はとっくに回復しているのだが、それでも立ち上がる様子はなかった。
「ネクロ、言っとくけど、家を壊しても意味ないから。また再出現するよ」
スーツ女の声色には怒りの感情が含まれていた。ジジイに共感したのか知らないが、勝手なもんだ。そもそも言ってることが的外れだった。この家が起き上がることは、もうない。この家の中でジジイが殺された場合、ジジイは回復によって蘇り、そのプロセスは再出現に優先する。つまり、ジジイが肉体を回復させている間は再出現は起こらない……はずなのだ、本来は。
問題は、家を巻き込み起き上がらせていた不死者がもう1本いたことだった。桜の木。この家の永続性は、2体の起き上がりが互いを含めた家全体を自分の肉体としていたことによるものだった。おそらく、ジジイは回復が再出現に優先し、桜の木はそうではないのだろう。桜の木の回復中はジジイが家全体の再出現を受け持ち、ジジイが自分の回復に手いっぱいの時は、桜の木が自身の回復を一時中断して再出現を行っていた。だったら話は簡単だ。ジジイと桜の木を同時に殺し、その間に家を潰し、不死性の掛け合わせを外してやればいい。
「スーツ女、こんなことは市役所の連中はとっくにわかっていたはずだぞ。女米木の専門家が調べたんだろ?」
「……だって、町のモニュメントにするから桜の木には手を出すなって」
スーツ女は、拳を強く握り、悔しそうに唇を噛んだ。『厄介者を口実に』『スケジュールが遅れても仕方がない』。答えは本人が言っていた。スーツ女がこの家に派遣されたのは、本当にただの時間稼ぎだったのだ。元から事態の解決は何1つ期待されておらず、ただ市役所の面目と言い訳を作ることだけを、この女は求められていたのだ。
「でも、この桜の木が起き上がりだって言うなら、なんで回復しないの。切り倒した部分が新しく生えてこないとおかしいじゃん」
「回復はしているんだ。ただ、俺たち人間と違って、その速度が極端に遅い」
ジジイによって折りとられた枝。回復によって幹から新しく生えた枝は先端部が欠けていた。あれは正しく言うなら、欠けていたのではなく、生えかけていたのだ。細い枝1本であの速さならば、この桜の木が元の大きさになるまで回復を終えるのには膨大な時間を要する。市役所の手で定期的にへし折ってやれば、事実上、その「死」は永続することになる。
「回復を中断して、家を再出現させるかも……」
「植物ごときに、家を自分の肉体と思い込む知能があると思うか? 認識はジジイの自我に引っ張られてるんだよ」
「……いや、ダメじゃん! ギンジマさんの方はもうああやって回復し終えちゃったんだから、どっちにせよ、また家の再出現が起きちゃうじゃん!」
「ああ、そうだな。だからジジイには、心変わりしてもらう」
全てはジジイの気分次第。その点においてスーツ女は正しかった。俺は切株の根元の花びらを押しのけ、地肌を露出させた。1カ所、土の色が変わっている箇所があり、それは掘り返した後だった。何千年前に掘られたのかは知らないが、この家はその痕跡すらもしっかりと保存し続けていた。俺が何をしようとしているのか気づいたのだろう。呆けていたジジイが突然立ち上がり、顔を真っ赤にしてこちらに駆け寄ってきた。
「……やめろ」
俺は適当な枝を手に取って、地面に突き刺した。すぐに先端が堅いものにぶつかる感触があった。
「やめろ!やめてくれ!」
喚き散らすジジイを無視し、俺はそれを掘り返した。表面についた土を払い落すと、それは案外綺麗なものだった。つるんとした丸みを帯びたフォルムに間の抜けた穴が、目に、鼻に、開いている。しゃれこうべ。下顎は脱落していたが、それも更に掘れば見つかるだろう。俺がそれを投げ渡すと、ジジイはそれを抱きしめ、そのまま膝から崩れ落ちた。
「……ギンジマさんの、奥さんなのね?」
スーツ女が目元を潤ませながら、今はもうない桜の木を見上げた。
「ヒト以外の生物が不死者になるなんて聞いたことがない。この木は、根元に埋められた奥さんを吸収して、ヒトとして蘇っていたんだ。この家を守っていたのは、ギンジマさんとその奥さんだったんだ……」
「おい、くだらねえこと言ってないで手伝え」
「へ?」
戯言をほざいているスーツ女に、俺は2つ目、3つ目のしゃれこうべを投げ渡した。しゃれこうべだけではない。尺骨、肋骨、脊椎、胸骨。桜の木の下は、死体の山だった。土を掻き出せば掻き出すだけ、あとからあとから骨が湧いて出る。あれだけデカい桜の木がまるまま不死者になったのだから、埋められた死体が1人分のわけがない。明らかに小さいサイズのものは子供のものか。不自然に損傷したものは、殺す前に余興で嬲られた痕か。全くどれだけ節操なく殺しまくったんだあのジジイは。ふざけてやがる。
掘りだされたしゃれこうべの数が30を超えたところで、俺は面倒くさくなり掘るのをやめた。充分だろう。俺はうずくまっているジジイを蹴り起こすと、胸倉をつかんで引きずり上げた。
「おいジジイ、てめぇ、これが知られたくなかったんだろ」
ジジイはその陰気な目を泳がせた。骸骨に間違って皮膚を貼りつけたようなそのツラは、明らかにこの状況に怯えていた。恐怖していた。いや、それは恐怖とも言い難い感情のようだった。怯えには違いないが、もっと低俗で卑近なものだった。掴んだ胸倉越しに、その小動物のような心臓が早鐘のように鳴っているのがわかった。
「……ギンジマさん、あなたもしかして奥さんを。どうして」
スーツ女の問いに、別に理由なんてないとジジイは応じた。
「奥さんだけじゃない、どうしてそんなに何人も」
俺に投げ捨てられたジジイは、切株の上で顔をくしゃくしゃにしかめ、唇を血が出るほどに噛みしめ、そして味がどうしても忘れられなかったんだと言った。妻を殺した後、バラバラに解体して、一昼夜かけてその肉と骨を煮たのだと。その肉の味が、出汁の匂いがどうしても忘れられなかったのだとジジイは言った。だから、人間を攫った。攫って殺して、食べて、埋めたのだと言った。男の肉質は噛みごたえがあり、女は脂が多く美味いのだと言った。そして、何より、捕まえた人間にお前を殺して食べるのだと言ってやるのがおもしろかったのだと言った。特に、泣きわめく子供の腿に生きたまま噛みつくのがたまらないのだとジジイは言った。そして何かの反応を期待するように、俺と、スーツ女を見た。
「あー……なるほど。そういうことですか」
スーツ女の返答は、すっとぼけたものだった。ただ素直に感心しているだけだった。そこには恐怖の感情は微塵もなかった。ジジイはその反応を見て、ひどく傷ついたように目をふせ、あんたらはおかしい、頭が狂ってるとぶつぶつ呟いた。
「つまり、ギンジマさんは自分が人を殺したことを隠したくて、この家を?」
スーツ女は首をかしげた。
「どうして?」
「どうしてもこうしても……」
俺は人を殺したんだぞ、とジジイは言った。すがりつくように。
「そうですね」
「人を殺して食ったんだ」
「それはわかりましたけど、別に隠さなくたって」
「キイロさん! あんたは、俺の妻のことを悼んでくれていただろう! 俺がその妻を殺した犯人だったんだぞ! 特に理由もなかった! ふと殺したくなった、それだけのことで殺したんだ!」
「ギンジマさんと奥さんの関係はとっても素敵なものだと思いますよ。この家と桜の木はおふたりの絆の証明だとわたしは思います。うっとりしちゃう。市役所の仕事だからって、それをこんな風に奪ってしまうのは、正直、ごめんなさい。……こんなだから、わたしって役立たずって言われるんでしょうね」
自嘲気味に笑うスーツ女の顔を見て、ジジイは息ができなくなった魚のように口をパクパクさせた。笑えるぐらい噛み合っていない。要はこのジジイは怖がって欲しかったのだろう。だがその願いはこの街では叶わない。仮に生まれつき恐怖心のないスーツ女でなくとも、この街に暮らす市民なら同じ反応を返しただろう。当たり前だ。人殺しも人食いも、俺たちは普段からやっている。強いていえば、その悪意は不快だが、別にそれは害になるものではない。
「……怖かったんだ。誰かに知られるのが。自分の足元の床が、急に消えてなくなるような、不安で不安で、そのことばかりを考えてしまって」
取り繕ったようなジジイの独白に、なるほど、それが恐怖という感情なんですねとスーツ女は真面目腐って応じた。ジジイもその相槌に合わせて、自分がどうして死体を埋めたのか、何千年もそれを隠し続けたのかをべらべら喋り続けた。怖かった、怖かったと、ジジイは何度も繰り返し、まるでこの家と桜を守った理由が、恐怖であるかのように語った。
嘘をつけ。
俺は心中で吐き捨てる。怯えには違いないが、それは恐怖などではなく、もっと低俗で卑近なものだ。この街では、ジジイはジジイの見た目をしていればジジイだが、中身がそれに伴うとは限らない。こいつは悪ふざけで大滑りして、いたたまれなくなった寒い野郎でしかない。こうしてべらべら喋るのも、滑ったことを誤魔化しているだけだ。それを証拠に、その皺だらけの顔面は、恐怖で蒼白になるのではなく、ゆでだこのように真っ赤になっている。
このジジイは、ただ恥ずかしがっていただけなのだ。
◇◇◇
ジジイの立ち退きに成功したとわかると、スーツ女は俺に報酬の約束をしてさっさと帰っていた。これでタマムシさんを見返してやるんだと言っていたが、タマムシならば事態に俺が噛んだことに勘づくだろうし、特に高い評価は得られないだろう。俺は転職する気はないのかと口に出しかけ、そんなことをこの女に言ってやる義理はないと思い直した。俺もここにはもう用がない。女たちとのデートはとっくの昔にぶち壊しになっていたし、このままねぐらに帰ってもよかったが、何の気なしにこの場に残り、倒れた桜の木を眺めていた。ネタが割れて倒れてしまっても、その桜の威容はやはり変わりなく、胸打たれるものがあった。
「なんだか憑き物が落ちた気分だよ」
切株の上に腰かけて、ジジイがぼそりと呟いた。この家に憑いていたのはてめぇの方だろうが、と思ったが、俺は何も言わなかった。ジジイは先ほどまで潰れた家の周囲をごそごそはい回り、何か探し物をしていた。例の写真立てでも探しているのかと思ったが、そうではなかったらしく、拾い上げたそれを興味なさげに投げ捨てていた。
「てめぇ、今からどうするつもりなんだ。俺に向かって偉そうに人殺しがどうこう説教してたよな。殺した奴の墓でも建て、罪を償って暮らすのか?」
「嫌だよ、恥ずかしい」
人殺しを悔いるなんて、この街じゃ変人もいいとこだろうと、ジジイは言った。
「それに、罪ならもう償ったことになると思わんか? 俺はあいつらによって、この家に何千年も閉じ込められてたんだ。懲役としては充分だろう」
自分勝手極まりない言いぐさだったが、カビの生えたくだらない説教よりはよっぽど理解のできる理屈だった。俺は初めてこのジジイと会話をした気がした。こんな小汚いジジイと話をしたところで、何の得にもならないが。
おらよ、とジジイがこちらに紙切れを差し出してきた。
「この土地の権利書だ。あんたにやる」
「……どういうつもりだ」
「礼だよ。ひどい目にはあったが、一応、あんたのおかげだ」
俺よりもスーツ女に渡した方がいいんじゃないのか、と言ったが、ジジイは首を横にふった。もらったからには、ここは俺の土地だ。市役所のアホ共の開発なんて知ったことじゃないし、俺はこのジジイのように追い出される気はさらさらない。これは、ジジイからしてみれば、追い出す側・追い出される側だったにせよ、何だかんだで親しくしていたスーツ女に対して唾を吐きかける行為だった。理由を尋ねると、ジジイは笑いながら言った。
「親しい相手ほど、後ろから殴りつけるとおもしろいもんだ。信じられないと言う目でこっちを見てな、悲鳴もあげられない。妻もそうだった。あれは本当に愉快だった」
なるほど。それは確かに前世紀において、最低最悪極まりない吐き気をもよおす人殺しの理屈だったろう。そして、もう誰も死ななくなったこの腐れた街においては、それはとりたてて語るべきところのない、悪戯好きの老人のごくありふれた茶目っ気だった。
【necro3:桜の木の下にはめちゃくちゃ死体が埋まっている】終わり
ーーーーー