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【小説】人間冒涜ミステリのすすめ:物理篇

 筋骨の林と肉血の海辺の隙間より、どうも皆さまごきげんよう。今日も元気に人間を冒涜してますか? 精神を論理に解体し、肉を資材に変換してますか? 2月は果てなき冒涜の季節。機運はこの上なく高まり、2月7日に頂点を迎えました。すなわち、全土3億個の人間冒涜者が待ち望んだ、門前典之の五年ぶりの新刊、『エンデンジャード・トリック』の発売によって。皆さまは当然もう読まれたことでしょう。私はまだ書店と自宅を隔てる時間と空間の策略によって読むことはできておりません。暇です。まんじりともしない夜ばかりにも飽いたので、手慰みに門前ミステリの魅力を語ろうと思います。

冒涜の定義

 まずは定義の話をしましょう。人間冒涜ミステリとは、人間を冒涜するミステリです。人間の定義も冒涜の定義も邪悪の数だけ種類があり、その本質は多様性の海にあわく溶けているわけですが、ここで一つの指針として、ニンジャスレイヤーという小説に登場する「冒涜」の名を冠された忍術……「ボトク(冒涜)・ジツ」をみてみましょう。

 いやー、サクリリージさんは相変わらず超かっこいいですね。人間を武器に変えて使用する。それが彼のボトク・ジツ。つまり、冒涜とは、理由を問わぬそこにあるだけで発揮される絶対的価値を、「役に立つ」という道具の価値に変換する行為です。さらに拡張するならば、定められた価値を書き変える行為です。食べ物で遊ぶ、本で暖をとる、そして人間を道具にする。それらは本来的に備わった価値を踏みにじる行為であり、ゆえに、その価値を信じていた人間にこの上ない怒りと不安を与えるわけですね。さて、指針が定まりました。では定義づけましょう。人間冒涜ミステリとは、推理・解決の過程において人間を道具のように取り扱うミステリである。

冒涜の閾値

 いや待てよ、と。そもそもミステリというジャンル自体が人間への冒涜ではないかと。殺人事件を机上の遊戯として取り扱う邪悪ではないかと。ごもっとも。仮に、殺人という縛りを外したとしても、ミステリというジャンルは本質的にいかがわしく不健全でありましょう。その基本構造は、本人が時間をかけて納得すべき領域に、許可なく土足で踏みにじり、バラバラに解体し、勝手に単純化してしまうという傲慢であり、「探偵本人の物語」なき解決装置としての探偵の核は、どこまでいっても天災めいた悪徳でありましょう。そもそも、推理とは、人間の意思とそれに伴う行動を、論理の構築のための駒としての価値に変換する行為です。いィ~~~~ですねェ~~~~~。ロジカル系のミステリはだからこそたまりません。人間から人間をはく奪した先に、ただ残酷に剥き身の行動という現実だけが残る。エロい。

 ……が、多くの場合は閾値を超えることはありません。冒涜の気配こそあれ、こちらが気圧されるほどの実物まるごとの冒涜を齧ることはできません。なぜならば、我々はミステリを読むとき、「ミステリを読むぞ」という前提に立って読んでおり、登場人物の本来的に備わった価値自体が既にある程度「駒の価値」であるからです。駒が駒として扱われても、そこに冒涜はないからです。通常のミステリが、ミステリらしく自然に振舞っているだけでは、人間冒涜ミステリにはなれないのです。それこそ、執拗に、執拗に、執拗に、執拗に、執拗にやらなければなりません。読者が登場人物に見出す「駒の価値」に混入させた、ほんの一欠けらの「人間の価値」すら見逃さない、度を越した執念がなければなりません。

冒涜の種類

 たとえば一人、白井智之がいます(以前書いた感想記事も読んでね)。糞便や反吐で塗りたくられた白井ミステリはとにかく露悪的ですが、その本質的なグロテスク、真なる冒涜は、登場人物それぞれの情のドラマを、緻密な論理で筋の一本に至るまで解体しつくし、殺しつくし、後に何も残さない点にあります。これはドラマの凌辱であり、物語の殺人であり……そう、精神的な人間の冒涜とラベリングすることができるでしょう。これは門前ミステリの特色とは明確に異なっています。門前典之作品は、白井作品よりも直接的で明白で、見たまんまに冒涜が繰り広げられるもの。対比できる表現を選ぶならば、そう、物理的な人間の冒涜と呼ぶべきものです。

 門前典之(もんぜん・のりゆき)。1957年生、山口県下関市生まれ、熊本大学工学部建築学科卒業(wiki)。持ち探偵の蜘蛛手は建築事務所(及び探偵)を営む建築士であり、作者の経歴を生かした「建築探偵」という独自のポジションを築いています。そのトリックは、建築学科らしく、心理面よりも物理面に傾いており……何より、トリックの構築に人体を多用することが余りにも特徴的。門前ミステリにおいて、人間は道具です。資材であり、武器であり、機構です。人間とは生物ではなく、おおよそ1~2mの寸法と、40~100㎏の目方を備え、切り離すことで長さを備えた部品四本と比較的球体に近い部品1つを得ることのできる、内部にある程度の水を含んだ資源です。そこにある人体には人格も人権もありません。そこにある死には厭うべき忌避はありません。それはただの物体であり、死後硬直も腐敗もただの部品が備えた特質の一つに過ぎません。切り外し、おもりにし、組み合わせ、建てかけ、空を飛ばし、転がし、落とす。過剰な程に繰り返されるそれは、読むほどに我々の倫理を犯し、大切な何かを麻痺させる。人間が、冒涜される。

 人間という資材を用いた、ミステリ建築。キャッチフレーズ的に門前作品をまとめるとそうなるでしょう。ただ、それだけでは足りません。門前作品の本質はもう一つあります。それは、そうまでして人間を冒涜した意図……大変な苦労をして人間という資材を使って出来上がった建築が、全く意味がわからないということです。これは、非常に言葉にしにくく、読んでもらうほかないのですが……とにかく異様なのです。設計図が、どうしようもなく狂っている。ずれている。歪んでいる。捻じれている。なんでこんなものを作ろうと思ったのかが全くわからない。我々は人間という立場から人間を冒涜してキャッキャしており、その謎解きの過程もウキウキなのですが、最後、その完成図が明らかになったとき、「えっ……?」と取り残されることになります。肩を組んで一緒に遊んでいた邪悪仲間の顔が見えない。その感触が、人間のそれではない。自分の隣にいたものは、理解不明の、正体不明の何かだった。人間冒涜ミステリ。それは、この上なく楽しい人間たちの遊戯であり、そして、そこにまぎれこんだ人間でない何かに出会うための儀式でもあるのです。

冒涜の紹介

 最後に、新作『エンデンジャード・トリック以外の門前作品を紹介して終わります。読んだのが最近の奴でも五年前で、結構内容を忘れちゃっているので、amazonの商品説明文と自分の読書メーターからコピペしてちょって手を加えたお気軽仕様ですが、皆さまの人間冒涜ライフのわずかな助けになれば幸いです。

死の命題

雪に閉ざされた山荘にいた全員が死体となって発見された。この難事件に建築&探偵事務所を営む風変わりな男、蜘蛛手がいどむ、本格推理小説。

 デビュー作。デビュー作?某賞落選作の「啞吼の輪廻」を改題し自費出版した作品。後に改稿し、『屍の命題』として正式に出版されているので、門前ファンでもない限り、これをわざわざ苦労して手に入れる必要はないかもしれないですね。いわゆるコレクターズアイテムですな。


建築屍材

解体されナンバリングされた挙句、消え去った三人の死体。不審な人影の追跡劇と、密室からの人間消失。配達された小指。コンクリートに残された足跡――名探偵・蜘蛛手が辿り着いた、猟奇殺人の恐るべき真相とは?

 正式なデビュー作。このタイトルは、門前典之という作者の全てでもあると思います。門前作品がどんな作品かと言うと、このタイトル通りです。例によって人間が資材扱いされているわけですが、それ以外にももう一つ、建築という視点から、いわゆる「館もの」の再定義を行ってみせたのが素晴らしい。忌まわしく怪しい「館」を、ただの建築物にまで解体し、再度ミステリへと組み直す……冒涜的ですね。あと、冒頭にトレーシングペーパー四枚重ねの平面図が挿入されており、平面図マニアにも見逃せない一品です。ちなみに私の門前ベスト作はこれです。


浮遊封館

飛行機墜落事故で消えた130人の遺体。「密室」で口から剣を刺されて死んだ男。次々に人が消えていく宗教施設。身元不明死体を集める男――やがて浮かび上がる異形の論理。

 狂気の産物です。人間の尊厳も倫理も遥か彼方にホームランした結果、生まれたとんでもない代物です。門前作品はほんとよくこんなめちゃくちゃなことを思いつくな……と毎回驚かされるんですが、本作に限っては、驚かされるのを通り越してあきれ果てました。謎だとか解決だとかミステリだとかそういうのの以前に、とにかくヘンテコで異様な小説であり、まさしく怪作と呼ぶにふさわしい珍品です。


屍の命題

究極の「嵐の山荘」――ほんとうに誰もいなくなった!

 幻のデビュー作『死の命題』の正式出版版、そして門前作品の代表作とも言える傑作。推理小説の完成度を、奇想と技巧の配合で語るならば、本作はまさに完璧な作品と言えるでしょう……途中までは。油断した読者の顔面をものすごい勢いでボコボコに殴りつける後半のラッシュは、一体どうしてこんなことになっちまったんだと言うほかなく、前作『浮遊封館』が驚き過ぎて呆れに至る作品だとすると、本作は驚きすぎて笑いに至った作品です。いわゆる「バカミス」ですね。建築専攻でありながら、絶対に重心を安定させないのはなんなのか。


灰王家の怪人

「己が出生の秘密を知りたくば、山口県鳴女村の灰王家を訪ねよ」という手紙をもらい鳴女村を訪ねた慶四郎は、すでに廃業した温泉旅館灰王館でもてなされる。そこで聞く十三年前灰王家の座敷廊で起きたばらばら殺人事件。館の周囲をうろつく怪しい人影。それらの謎を調べていた友人は同じ座敷廊で殺され、焼失した蔵からは死体が消えていた。時を越え二つの事件が複雑に絡み合う。

 例外作。それは、唯一、探偵・蜘蛛手が登場しない作品だという点でもそうですし、人間冒涜ミステリとして物理型ではなく精神型であるという点でもそうです。両面宿難というモチーフ、バラバラ殺人というテーマに基づき行われるのは、残酷なまでの一人の人間の解体であり、その残骸から人間性という名の物語を掘り起こす行為でもあります。例によって異様な作品ではありますが、重心は最も安定している作品かもしれません。


首なし男と踊る生首

「殺人計画書」通りに、不可解な状況で人が殺されていく。いったい誰が「計画書」を書いたのか。そして生首は目の前で、生前の恨みをはらすかのように飛びまわる。かつて刑場だったその地の呪いなのか……。

 首なし死体が生首乗っけた斧を持って弁慶の仁王立ちしているという事件現場のビジュアルの時点でもう明らかに気が狂ってるしおもしろすぎる作品であり、最後までそのテンションのまま全力疾走しているのだからこんなん間違いなく買いでしょう。人体を道具にするという点では、本作が一番王道でありオーソドックスかもしれません。人間冒涜ミステリ物理篇の初級編に是非どうぞ。