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NECRO4:市役所へ行こう!(4)

【あらすじ】
・不死者の暮らす街、臓腐市で、主人公ネクロが無茶苦茶する。

【登場人物紹介】
ネクロ:死なずのネクロ。自分勝手な乱暴者。
・プラクタ:鼬のプラクタ。軽口を叩きがち。
・ヒパティ:ぶっとい右腕のヒパティ。気は優しくて力持ち。
・タマムシ:ネクロの恋人。市役所職員。市内災害拡大振興部 部長。
・ウォリア:市役所職員。暗黒管理社会実現部 部長。
・ネアバス:市役所職員。暗黒管理社会実現部 課長。
・ユキミ:無限のユキミ。反抗期。
その他のネクロの恋人たち:ゲレンデ、キイロ、ユビキ、ミィなど。
・その他の市役所職員たち:フラスタ、センシィ、パラニドなど。

(3)より

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「起き上がりの原理について、おさらいしましょう。肉体が致命傷を受けても魂は固定されており肉体から離れない。その矛盾の解消として、物理のレイヤー上で因果が逆転し、致命傷自体がなかったことになる。言い換えると、彼らの回復・蘇生の本質は肉体の保全であり、過回復等を利用して肉体の形状をコントロールすることは本来不可能なのです」

「ただ、ネクロさんもご存知の通り、この街には例外が多い。それが永い年月の経過によるものか、魂と肉体の関係性を司るボタンさんの性格によるものかはわかりませんが……その原理は、実際のところ、非常に適当に実行されています。その最たるものが〈星のウォリア〉という起き上がりです」

「繰り返しますが、起き上がりの本質は肉体の保全です。つまり〈星のウォリア〉という不死者にとって、通常の人間のスケールは不健全なものなのでしょう。規格外の魂に釣り合うのに、物理のレイヤー上において約6𥝱トンという分量を要してしまったわけですね」

「ネクロさんが勝てるか? 無理ですね。暴力という土俵において、彼は間違いなくこの街の頂点です。アイサさんやユビキさんでも無理でしょう。ゲレンデさんやタマムシさんのような不死者には及びませんから、最強ではありませんが。ネクロさんではとてもとても……とてもとても……」

 グンジはそう言って、丸めがね越しに瞳を濁らせた。いや、濁らせていない。途中からは俺の妄想だ。はじけて混ざった脳が、愛する女との記憶を再生し、現在の状況に接続したのだ。現在の状況とは? 自問が俺を現実に引き戻す。ヒトの形に蘇生しつつある頭部で、視覚が働き、神経が通る。目の前に立つ惑星野郎の姿が見える。振り下ろされた左腕。

 思い出した。はたかれたんだ、俺は。

 蠅でもはらうように軽くはたかれた。それだけで俺の肉体は「飛び散った」。雨粒が地表に衝突した時のように、はじけた。比喩じゃない。俺と惑星野郎のスケール差は、言葉通り、雨粒と地球に等しい。女たちごと肉体がはじけたのは幸運だった。電波塔の二の舞は御免だ。形を取り戻した足で、市役所の床を踏みしめる。

「復活が早いな」

 惑星野郎が髭面に笑みを浮かべた。俺はその顔面に拳を叩きこむ。予想通り、俺の拳は奴の顔面の形に添ってへこみ、腕の骨がへし折れた。拳を戻して確認すると、奴の顔の髭の1本1本が肉にスタンプされていた。なるほどな。殴り合いは確かに無理だ。

「おいおい、諦めるのが早すぎるぞ」

 無造作に、奴の左腕が俺の腹部を通過する。水面を叩いたように、肉と汁がはじけ飛ぶ。

「俺はお前なら可能性があると思ってるぜ、ネクロ。叩いた時に霧を払った程度の手ごたえがある。ほら、ほら、ほら」

 肉の地盤が、骨の山脈が、血の大海が、上に横に斜めに俺の肉体を飛沫に変える。防ぐことも試してみるが、当然、その部位ごとはじけるだけで意味はない。

「その辺のアンデッドを殴ったところで、何の感触もないからな。お前の肉には手ごたえを感じる。肉を固める秘訣は愛の力か? 他にできることはないか?」

 人間を叩くこと以外の興味が失せた空っぽの死人の分際で勘がいい。その通り。秘訣は愛の力で、他にできることはある。魂のレイヤーに刻まれた愛の打刻が、俺に女たちを抱きしめさせ、女たちに俺を抱きしめさせる。身を寄せ合うことで肉が締まり、魂の温度が常用する。肉が溶け、骨が溶け、歯を作り、刃を作る。歯数128本。悦びに震えるチェーンソーナイフを、俺は再び右腕で構えた。

「……そのナイフ、ゲレンデの肉体に傷をつけたらしいな」

 惑星野郎が、期待の表情で身震いした。それだけで辺り一帯の空気が沸騰し、備品の残骸と職員たちの死体が粉末状に崩れる。割れ落ちた窓から入り込む風が、対流を巻き、台風を作る。

「いいだろう。やれ」

 視界の全てが肉で埋め尽くされる光景を俺は錯覚した。惑星野郎が腕を広げ、ハンコを飲んだ腹を曝した。マントルじみた熱を発する目は、俺のナイフを見つめ、ギラギラと輝いている。間抜けが。舐め過ぎだ。俺は肉の地盤に切っ先を突きたてた。このナイフに斬れないものはない。斬れないものは……。

「あ?」

 刀身上を回転する女たちの歯は、スーツを裂き、皮膚の上で止まっていた。腹をくすぐる鋸を見て、惑星野郎が感心したように「ふうん」と声を漏らす。斬れない。斬れないだと? 俺と女たちの鎖鋸ナイフが? いや、違う。斬れている。刃は、問題なく奴の肉体を切断している……だが。

「恐ろしい得物だな。魂をそのまま物体に翻訳しているのか。俺の肉体はいくら大きかろうと所詮は物理実体だ。そのナイフには押し負ける。ただ、残念だったな。振りが遅い」

 そう、斬れている。奴がのんきにべらべら喋っている今の間も、突き立てたナイフは、その皮膚を切り開き続けている。魂のレイヤー内に折りたたまれたその膨大な分量の肉体を。奴の腹の中に届くまでの距離を。惑星の半径分を。それがあまりに遠すぎて、皮膚の表面で止まっているように見えるだけで。

「よくわかった。もういい。その程度か」

 パン、と紙袋が破裂したような音がして、視界がミキサーにかけられた。肉体の感触はある。はじけていない。惑星野郎は俺を壊さないよう細心の注意を払い、そっと優しく押しのけた。ポップコーンのように吹き飛んだ俺の肉体は、市庁舎の壁やら床やらをぶち抜きながら、肉団子に近づく。

 頭部を守り、着弾までの間に思考する。奴は俺を叩くことへの興味を失った。キイロやユビキと同じく「ネクロには無理だ」と思ったのだろう。俺の判断は違う。斬れるなら、殺せる。無限の時間の前で、有限の距離はゼロと同じだ。切っ先は、いつか必ず奴の臓腑に届く。

「うわっ!」

 聞き覚えのない悲鳴に、俺は目を開けた。会議室。床に穴。背に天井。俺は、どうやら上方向に打ち上げられていたらしい。市庁舎の外までふっとばされなくて助かった。声の主は薄呆けた雰囲気をまとったガキだ。スーツを着ていないので、職員じゃない。誰だ? どうでもいい。俺は天井から体を剥して床に降り、ガキを殴り飛ばそうと腕を振り上げた。振り上げた。振り上げた。そして、そのまま振り下ろせなかった。何かが、ひっかかる。

「もしかして、あんた、ネクロさん?」

 ガキは、ぽかんと口を開けていた。素直な反応。それを見るだけで、ぶちのめす気が穴の開いた風船のようにしぼんでゆく。

「……てめぇ、誰だ?」

「ユキミ……〈無限のユキミ〉。母さんの、ああ、いや、ゲレンデ市長の息子だよ。……ネクロさん、あんたには一度会ってみたかった。母さんの恋人なんだろう? えっと……えっと……」

 ユキミは、面影を残した顔だちで、首をかしげた。

「やっぱり、義父さんって呼ぶべきかな?」

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「んん? どうしてお前がここにいる」

 会議室にドアはない。惑星野郎が壊したのだとユキミは言っていた。奴は俺を見てうんざりした表情を浮かべると、デカい図体をすくめて自分が壊した入口をくぐった。バラバラになった机と、職員の死体の山、大穴の開いた床。惑星野郎は顎髭をいじりながら室内を見渡し、1本引き抜いた。

「ここで人を待たせていたんだが、ネクロ、知らないか?」

「どうだろうな」

「散歩か? じっとしてろって言ったのに。……いや、言わなかったか? 言わなかったな。はあ、探すのも面倒だ。困ったな」

 惑星野郎はこちらを見ようともしない。引き抜いた髭で自分の唇をちくちく刺し、感触を確かめている。人を嬉々としてサンドバック扱いしておきながら、飽きたらこの態度か。自分勝手な乱暴者。腰でミィとハヤシが笑った。君と似ているな。馬鹿を言え。こんながらんどうと一緒にするな。

「まあいい。じゃあなネクロ」

 惑星野郎は俺に向けて右腕をはらった。俺はそれをチェーンソーナイフで受ける。雨粒と地球。水滴ははじけとぶが、実は地球もほんの少し削れている。無限回繰り返せば地球も割れる。今回がそれだった。回転する歯は正しく機能し、奴の右手首を切り落とした。魂による制御を失ったそれは、膨大な自重によって内側に折りたたまれ、魂のレイヤーの中に消え失せた。

「……おいおい」

 血が噴き出る自分の手首を見つめ、惑星野郎が呆然と呟いた。

「おいおいおいおいおいおいおいおいおいおい!!」

 瞳にマントルの熱が入り、視線が俺を刺し貫いた。地平線の彼方まで口角が吊りあがり、コミックキャラクターのような大音声の笑いが零れる。急速に増大した密度によって、その巨体の輪郭は陽炎のように揺れ、蜘蛛の巣のように床にひびが広がってゆく。喜悦がもたらす震えが大震災にも似たエネルギーを放ち、室内の空気を沸騰させる。

「ネクロ! お前! やったなあ!! 凄いぞ! どんな手を……」

 焼け焦げる表皮を元の形に戻しながら、俺は惑星野郎を袈裟懸けに斬りつけた。噴火口のように盛り上がった傷から、じゅうじゅうと血が噴き出した。奴は期待と喜びでひぃひぃと悲鳴を上げ、傷を抑え、離し、もう1度、傷を抑え、離した。涙を流し爆笑しながら、無造作に蹴りを放ってくる。隕石のような圧が俺に向かう。だが、軌道は単純だ。ナイフで、はらい、はじく。惑星野郎は強すぎる。強すぎて、攻撃を防がれることに慣れていない。隙だらけの顔面の中央、鼻柱に切っ先を突きたてる。

「そうか! ユキミか! あのガキが!!」

 だらだらと垂れる血を唇で泡立たせ、奴は肉に噛みつく野良犬のように、顔面に刺さった刃を握る俺の右腕を取った。俺は即座に腕を捨て、新しいナイフを左手に作り、ガラ空きの腹に斬りつけた。奴は反射的に、両手でそれを防いだ……そう、「防いだ」。防御した。奴はその自分の行動に驚愕し、興奮の雄たけびをあげながら傷を掻き毟った。

「ああ!! 俺にたてつくってのか! 母親のケツにくっついていっちょまえに文句をぶうたれるだけのクソガキが! 何万年たってもちっとも成長しなかった、甘ったれが! この俺に! こんな嬉しいことはない!」

 『そんな風に思ってたんだ』 左手のナイフがそう言って、ぶるりと震えた。回転する女たちの歯が、落ち込むユキミを、野次り、からかい、なぐさめた。気に食わないが、悪くない気分だった。悪くない気分であることが、気に食わなかった。『くそう……。やっちゃってよネクロさん』

 当然、俺はユキミを迎え入れていない。俺はこんなガキを微塵も愛していないし、息子だとも思っていない。そもそも親子愛なんてものは、前世紀の生者共が、生物としての構造に言いくるめられて錯覚した紛い物に過ぎない。血統のレコードなんざ、裏切りと比べればカスほどの価値もない。だが、ユキミにゲレンデの面影があることも確かで、それは腹立たしいが好もしかった。それが愛に情という不純が混じった、愛情だとしても。

『ウォリアさんと戦うんだろ? 僕を使ってよ』

 惑星野郎の到着前、ユキミは自分からそう言いだした。〈無限のユキミ〉。理論値の不死者。あらゆる点で最適・最善に不死性が機能する起き上がり。「あらゆる点」というのは決して誇張ではなく、〈無限のユキミ〉の魂と肉の関係性は、本当に全ての目的に対して有効に働く。打ち込んだ入力に対して、常に最適・最善の肉体を完成させる。燃料としてくべれば燃料として。武器として使えば武器として。そして、有限の距離を埋める無限として。ヒトの形をしているだけのご都合主義は、都合よく俺の前にナイフの刀身になって転がった……。

「ネクロ! 俺はお前には可能性があるって言っただろ!! 俺は信じていたぞ!」

 どの口がほざく。俺と似ていると言う自分勝手な乱暴者は、血みどろの暴風雨になって吹き荒れる。壁も床も天井も最早関係なく、一切の障害物がない台風の目に俺と奴とユキミだけがいる。何発か躱し損ね、肉体がはじけるが、化け戻りとしての力が俺の形を元に戻す。惑星野郎は戻らない。膨大過ぎる体積は起き上がるのにも時間がかかるのか。蓄積する損傷が奴をますます弱くする。決まりだ。俺は、奴の腹にナイフの刀身を埋めた。ナイフの先端に感触。ハンコ。奴の動きがピタリと止まる。

 はるか上空から、血反吐の滝が俺の体を洗った。見上げると、惑星野郎は血を吐きながらまだ笑っていた。ボロ切れのようになったスーツの内ポケットから、何故か傷1つないプリントを取り出し、自分の血で何かを書きつけた。『嘘だろ』 奴の腹の中から、ユキミの声。『ウォリアさん! やめろ! 開放許可は、他部署2部長の押印と市長印が必要なはずだろ!』

「生意気抜かすな無職のガキが。事後承諾だ」

 懐から、メガネ野郎のものではない、恐らく奴自身のハンコを取り出し、書面に押した。

「部長になっていてよかったぜ。まったく、役所ってのは愉快だ」

 『逃げて!』とユキミが叫んだ。キイロとユビキのアラートも、未だかつてなく大きく鳴り響いていた。何だ? 何が起こる? このバケモノは、何をする気だ。突きたてたナイフの奥、肉の地殻の奥底から地響きが聞こえる。エネルギーが発火し、女たちの悦びをかき消すほどの震えを起こす。俺は予感する。奴の肉体のほぼ全ては、魂のレイヤー中に折りたたまれている。奴はそれを戦闘中、体重増加という形で、ほんの少し取り戻す。なら、その全てを「開いた」としたら。傷口を噴出口にして、その肉体の全重量を。

「ネクロ、折角だ。見て行けよ」

 『俺』を。

 そう言って、惑星野郎がはじけた。

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 須臾の合間に針の穴の先だけ「開いた」〈星のウォリア〉の肉体は、市庁舎から放射状に広がり、復興途中の臓腐ぞうふ市の30%を地盤ごと消し飛ばした。物理法則の一切を無視して放たれ、ただただ大きな力の塊として機能したその物量は、街の外に飛び出してからも放射状に広がり続け、荒野と海をその軌道に沿って削り取ることで星の一角を平らにした。傾いた地軸とずれた公転軌道は、ウォリアの暴走を予測していた市役所職員〈支配のコマチ〉の迅速な対応、そして〈魂と肉のボタン〉の不死性によって地球環境ごと保全された。

「……で、結局、ウォリア部長が負けたんだ」

 ティーカップの横に置かれた同僚の生首と、2つのハンコを見て、タマムシが言った。奴の首を切り落とした後、俺はナイフから分離させたユキミを引き連れて部長室に戻った。先に戻っていたプラクタとヒパティは、ハンコをしっかり盗ってきていたので勘弁してやることにした。部屋には新顔もいた。茶髪を短くまとめた平凡な容姿の女。ゲレンデだ。俺の愛する大市長は、息子にちらりと視線をやった後、黙って紅茶を啜った。

「意外だね」

 タマムシが、書類を取り出しながら言った。

「ユキミくんの力を借りたとしても、ネクロくんじゃあフルサイズのウォリア部長には勝てないと思ってたけど」

「ナイフを拾ってしまったんだ」

 机の上の生首が流暢に喋った。四肢も胴体も失ってただの顎髭まみれのボールになった惑星野郎。ぶざまを曝しているというのに、未だにその重量感は強烈で、小惑星程度の雰囲気はある。あれだけ好き放題やっておいて、妙に清々しいツラをしているのも腹立たしい。

「俺の攻撃は所詮、物理実体だからな。魂そのものであるネクロのナイフは壊せない。そのナイフの芯にユキミが加わっているのもわかっていた。俺の仕事はユキミを連れ帰ることだったから、焼け跡に残ってたそれを当然拾い上げた」

 チェーンソーナイフは肉体を介してできた、俺と女たちの愛そのもの。つまり俺そのものだ。条件が噛み合えば決して壊れることはなく、俺を物理のレイヤーに留める最後のシェルターにもなる。奴は素手で俺を拾い上げた。俺は接地面から俺の形を元に戻し、内側から肉体をバラバラにした。

「負けだ。久しぶりに楽しかったな」

「へえ、よかったね」

 まったく興味がなさそうにタマムシは相槌を打ち、書類に2つのハンコを押した。そして、それをゲレンデに差し出した。ゲレンデはティーカップを置くと、書類を取り上げ、大きなため息を1つ落として、座ったままもぞもぞ尻ポケットを探った。取り出したハンコに息を吹きかけ、市長の決裁欄に押印した。

「よし、完了! じゃあゲレンデ市長、私はしばらくまだ空けるんで。業務の引継は終わらせているので安心してください」

「はいはい、お疲れさま」

 タマムシはゲレンデに一礼し、俺を手招きした。

「じゃ、どうぞ」

 そして、自分の胸を指さした。俺は黙って、ナイフを刺した。何の抵抗もなくタマムシの心臓は切り刻まれ、肉と魂を回転歯に巻き込んだ。迎え入れたタマムシは、俺と混ざり右腕に居座った。これまでの4人と違い、その愛には熱も抵抗も情もなく、実にタマムシらしい。思えば奴の最初の裏切りも、業務上俺の協力が必要だからというそれだけの理由だった。

「あっけなかったね。タマムシさんは相変わらずドライだ」

 ユキミがそう言うと、ゲレンデが呆れたように首を横にふった。惑星野郎の生首も、ガハハハと笑い声をあげる。

「ドライ? どこが?」

「あの女らしい。無茶苦茶にするだけして、さっさと退場とはな」

「ほんとマジのトラブルメーカー。やっばいね。市内災害拡大振興部なんて、私が悪ふざけで作っただけなのに、まさかここまで天職だなんて。あーあ、私の臓腐市ももう終わりだなあ」

 職員共が何か言っているが、俺にはもう関係がない。ゲレンデもできれば迎え入れたいが、臓腐市最強の不死者相手にまだ事を構える気はない。俺は顎でドアを指し、プラクタたちに帰るぞ、と伝えた。示した先のドアには、ヒトに似た薄闇が立っていた。何の気配もなく。ドアを開閉した様子すらなく、何億年も前からそこに根付いていたように。そいつは立っていた。

「ああ、来たね。ゴト局長」

 ゲレンデによって、「それ」はそう呼ばれた。「市役所職員」というイメージそのものを描き起こしたようなその存在は、表情や体格という具体的な情報が一切像を結ばず、「黒スーツを着ている」「市役所職員である」という表層的な認識だけの存在として立っていた。

「ネクロ、帰ろうとしてるとこ悪いけど、もうちょっとつきあってよ」

「……ゲレンデ、何だこいつは」

「うちの職員だよ。選挙操作委員事務局局長。局長って言っても、選操の職員は彼1人だけなんだけど。会ったことなかったっけ?」

「選挙?」

『なんだ、ネクロ、理解してなかったのか』

 突然しゃがれ声が割り込んできた。 プラクタだ。奴は図々しくゲレンデたちの前を通り、机からタマムシの書類を勝手に取り上げた。胴体に散弾をぶっ放したように、押印で真っ赤に染まった起案書。

『最初に見せてもらっただろ。読まなかったのか』

「〈燃料〉としてのユキミの使用許可だろ」

「いやいや、そんな申請、私が市長である以上成り立つわけないじゃん。この役所はそもそもユキミを傷つけないために作ったものなんだから」

 ゲレンデがユキミの首根っこを抑え、頭をぐりぐりと撫でながら言った。ユキミは道端で水でもぶっかけられたように、顔をくちゃくちゃにしかめ耐えている。

「それはね、リコールの書類だよ」

「リコール?」

「私の」

 その通り、とよく通る声。ゴトと呼ばれた薄闇は、この場の全員に向けて慇懃に頭を下げた。

「市長及び私を含む10部長の押印、そしてそれに連なる全委員会・全幹事会の承認をもって、〈死なずのゲレンデ〉は臓腐市市長を解職となりました。これに伴い、現在より臓腐市は臓腐市市長の選挙期間に入ります。詳細はまた追って全市民に通知いたしますが、投票はゲレンデ元市長が定められた規定に則り、魂離記録式投票によって実施されることとなります」

「もう、立候補者って出てる? 」

「〈真白ましろの檻のシラギク〉がウォリア部長の開放に合わせて表明を。あの方は相変わらず時流を読むのがうまいですね。加えて、今回のリコールの発起者である〈様変わりのタマムシ〉、さらに〈全てのサザンカ〉も事前に名前が挙がっています」

「ってなわけ。わかった? ネクロ」

「……へえ」

 だからなんだ、としか言いようがない。市長選? 勝手にやれ。俺は全く興味がない。ゲレンデのことも市長だから愛しているわけではない。次の女を殺す算段をつける時に、騒動を利用できるかもしれない。それだけだ。

「そんなわけにはいかないよ。だって〈様変わりのタマムシ〉は立候補してるんだから。 ルール上、もう取り消せない」

「タマムシは、俺が迎え入れたんだからどうしようもないだろ」

「なんで? あんた殺した女を迎え入れて、いっしょになるんでしょ。つまり、今のあんたは、ネクロであり、同時にタマムシ部長でもあるよね。個人の定義は自我の有無。タマムシの自我は、今、あんたの中にある」

 ほんとマジのトラブルメーカーだよあの娘は、とゲレンデはぐったり頭をを垂れた。俺は自分が置かれた状況を理解し、俺の右腕を睨みつける。愛する女とはいえ、さすがに呆れる。騒乱の種、騒動の元。この街を誰よりも愛し、この街をむちゃくちゃにすることだけに全てを捧げ、そのために俺を愛したワーカーホリック。もっとひどい災害を、下の下の下の下の最悪を。地獄の窯の底を掘り起こし、この街を振興する。臓腐市の皆さまのより一層の安心と健康のために。

 ぱちぱち、と間の抜けた拍手の音。プラクタが、俺を見て言った。

『出馬おめでとう、ネクロ。俺はお前に投票するよ』

 俺の右腕で、タマムシが微笑んだ。

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【エピローグ】

 『〈死なずのゲレンデ〉、市長を辞める』。臓腐市最大のニュースを真っ先にばらまいたのは、鞣皮なめしがわ新聞の配達員たちであり、それを追うように、ラジオの各局も競ってそのビッグニュースをかき鳴らした。〈様変わりのタマムシ〉が事前に結んでいた協定により、〈全てのサザンカ〉の支配下にある市内全土のラジオ・ケーブル・ネットワークは、市長選の報道用に開放された。永劫を刻む臓腐市の歴史においても、市長選が実現にこぎつけたのは初めてのことであり、いずれの立候補者もノウハウを持ってはいなかった。なので、とりあえず演説でもしておこう、という話になった。

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 ……市長選立候補者所信表明。〈全てのサザンカ〉。無所属。犯罪者。

「どうも皆さん、サザンカです。ユビキ事件の時はありがとう。……あのラジオ女、こういうのに絡んでくるタイプだっけ、ってみんな思ったんじゃない? そう、そうなのよ。ほんと。なんで私が立候補してんのよって、私自身も思ってるから。ぶっちゃけ、タマムシからこういう報道の手伝いを頼まれて、意地悪で『市長にしてくれたら』って言ったら、勝手に出馬させられてたのよね。ひどい話。だから皆、私には投票しないでね。妹に笑われちゃう。万が一当選したら……そうね……ラジオでグルメ番組でも放送しようかしら。美味しい焼肉屋、たくさん知ってるから。まあ、今でもできるんだけど。あと最後に言っておくけど、ネクロにだけは投票しない方がいいわよ。あいつ最悪だから」

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 ……市長選立候補者所信表明。〈真白の檻のシラギク〉。元臓腑市役所市民自我漂白推進部部長。シラギク・グループ総帥。

「おはよう、みなさん。シラギクです。市役所を辞したわたしが再びこの場に立てることにまず感謝します。さて、前任のゲレンデは最悪の市長でした。1人を除けば、誰が当選しても彼女よりマシな政治をするでしょう。では、わたしを選ぶことでどんな利点があるのか。わたしはこの街の企業の大半を所有し、大きな富を得ています。そしてわたしは元市民自我漂白推進部の部長でもあり、その経験値も蓄えています。……生は苦しみ。それは自我がもたらすもの。わたしが市長になった暁には、資金と経験を費やして自我漂白技術の完成をお約束しましょう。皆さまには、真白の檻に囚われた永遠の不自由と虚無を。……あと、他立候補者からも言及があると思いますが、〈死なずのネクロ〉への投票だけは避けるようお願いいたします」

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 ……市長選立候補者所信表明。〈支配のコマチ〉。臓腐市役所屍材職員製造活用部部長。

「本来なら僕はこういう場に出てくるべきじゃないんですよ。気質からして裏方も裏方。だからこういう職業についたんだし、市民の皆様の縁の下の力持ちであればそれでいいんです。ガラじゃないんだよなあ……。本当はね、タマムシ部長のはずだったんです、この枠は。仕方ないじゃないですか。あんなことになっちゃったんだから。臓腐市民だったらわかるでしょう? アレに市政を任せたら終わりです。なんで暗社部はアレを犯罪者認定していないのか……え、なに? 所信表明? ひええ……本当にどうしてこうなっちゃったかな。あー、コマチ!僕は〈支配のコマチ〉です!部長です!偉いです! 特技は地形操作! 臓腐市の形を変えられます! 清き一票を!がんばるぞ! そして〈死なずのネクロ〉にだけは票を入れないでください!」

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 ……市長選立候補者所信表明。〈痛みのギギ〉。魔術結社ペイニズム代表。〈魔女〉。犯罪者。

「ギギです。〈魔女〉と名乗った方が、いいでしょうか。私は皆さまに懺悔します。私は魂の契約により、この街から苦痛をとりあげておりました。『永遠の人生に、せめて苦痛がないように』という方便で、皆さまが本来感じるべきそれを独占しておりました。告白します。それはとても甘美なものです。痛みとは、苦しみとは、自らを世界に釘付けする魂そのものであり、全ての行動の成果です。私は皆さまの価値を不当に奪い去っていた。機会を下さい。市長になり、新たな契約を結ぶ機会を。数千年、数万年、私の中に貯めた苦痛を全部お返しします。そうすることで、私は喪失に痛み、あなた方は激痛に狂う。また一緒に地獄を見ましょう。再び血の荊を咲かせましょう。どうか投票はこのギギへ。あとネクロには投票しないでください」

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 朝っぱらから家にどかどか押しかけ、不躾にマイクを突きつけてきたクソ野郎どもを撫で切りにする。取りこぼした1匹を宙づりにし、股から半分に裂いてやろうとした時、ラジオからサザンカの声がした。「面倒はかけないわよ」。今の状況が既に面倒だ、と言いかけたがやめておく。右腕ではタマムシが、乾いた微笑みを浮かべている。

「これに向かってしゃべればいいのか?」

 宙づりにした報道員がこくこく肯いた。路上にたたきつけて肉の染みにする。機材を引きはがし、俺はマイクを構えた。

「「あー、俺だ」」

 俺の部屋も含め、街中のラジオから俺の声が流れた。気色が悪い。

「「タマムシが出たいらしいから出た。投票は結構だ。てめぇらなんぞに支持されるつもりは全くない。こういう面倒な演説も今後はするつもりはない。準備は市役所の間抜け共が勝手に進めるからな。俺が俺に票を入れて、終わりだ。簡単だろうが。投票するのは俺だけだ。当然俺が当選する」」

 投票期間は、1ヶ月後だか1年後だかの、24時間だと聞いている。その程度なら、起き上がりも黄泉帰りも蘇生を抑え込めるだろう。化け戻りの連中は面倒だが、まあ、なんとかなる。所詮は街1つ。俺には惑星すらも滅ぼせる愛する女たちと、そして無限がついている。

「「有権者は、俺が皆殺しにする」」


【NECRO4:市役所へ行こう!】終わり

NECRO5:動物大集合】に続く