necro3:桜の木の下にはめちゃくちゃ死体が埋まっている(前編)
◇◇◇
腐り果てた海の上に汚らしく浮かんだ島があり、その島の上にみみっちくこびりついた街がある。臓腐市。前世紀に死に損なった間抜け共が、そのままその機会を永久に失うという輪をかけてひどい間抜けをさらし、仕方なく寄り集まってできた恥さらしの掃きだめ。不死者共の街。首がもげても起き上がり、心臓が止まっても黄泉帰り、塵になっても化け戻る。永遠に続くその醜態に他の生物たちが付き合う義理などあるはずもなく、既にこの星には、俺たちを除けば、一部の植物と虫、そして細菌しか残っていない。
「デカいな……」
だからこれはその例外、「一部の植物」に当たる。今にも地盤を引き抜きそうな力強さで上へ上へと延びるその幹は、地球の中身を全てを吸い上げ、宙にそのはらわたの色をぶちまけている。それを言葉にするならば、一応「桃色」になるんだろう。だが、そんな牧歌的な表現は似合わない。空を埋め尽くすほどの花びらは、風に少し揺れただけで視覚を圧迫し、まるで洪水に押し流されるような錯覚を呼び起こす。その足元には、一応、その木の持ち主らしい小汚い家が建っているのだが、木の佇まいと比べるとどちらが真の主かは明白だった。
この木は何だったか。
後頭部を優しく撫で、俺は記憶を刺激した。俺は自分の死なない体に愛する女を3人迎え入れている。後頭部に居るのはボタンという女で、こうして触れてやると、俺の脳を抱きしめてくれるのだ。……サクラ。そう、桜だ。双子葉植物綱。落葉広葉樹。バラ科。俺に触れられたボタンの悦びはいつもより激しく、余計なことまで思い出してしまった。俺だけでなく、彼女もこの桜の威容に興奮してしまっているようだ。
指忌町には何度も来ていたが、この桜を目にしたのは初めてだった。平坦な土地であり遠くからも視界に入りそうなものだが、不思議なもんだ。しかし、クソやかましい臓腐市本土と違って、ここは静かでいい。市役所のアホ共がたてた開発計画によって、指忌町を含む島全体……腫羊区がまるまま乗っ取られ、住民が全員追い出されているのだ。ただ、市役所の連中の腰は例によって重く、ここ数百年その計画に全く動きはない。空っぽの町には、俺と俺の女たちが愛を確かめ合うのにちょうどいい、穏やかで優しい空気が流れている。そして、時にはこうして素晴らしい景色を与えてくれる……。
だが、俺たちが愛に浸ることができたのもそこまでだった。桜の足元に建つ小汚い建物の、これまた小汚い引き戸を開けて、見覚えのある女が転がり出てきた。女は甲高い声で戸に向けて何やら喚き散らし、俺と俺の女たちの雰囲気を台無しにすると、肩を怒らせてこちらを振り返った。適性サイズからやや大きく、ブカついている三つ揃いのスーツに、短くまとめられた黒髪。子供のように甘ったれた顔の中で、ワーカーホリックの証である目の下のどす黒い隈だけがよく目立つ。
「ゲッ、ネクロ……」
スーツ女は大げさな素振りでよろけて見せた後、ため息を1度落とし、俺を再度見て、さらにため息をもう1度落とし、そして意を決したようにこちらに歩いてきた。
「えー、あー、ネクロさん。この腫羊区は現在、我々市役所の管理下にありまして、そのう、市民の方の立ち入りは禁止させていただいているんですね」
「知ったことか」
「警備の者もいたはずですが……」
「ぶちのめした」
「ぶちのめしたじゃないよ!」
スーツ女は、ヒステリックに叫んだ。
「どうしてあなたは、いっつもいっつもわたしの仕事の邪魔ばっかり! いい加減にしてよ!」
「邪魔してんのは、てめぇの方だスーツ女。俺と女たちの楽しいデートを、品のないキンキン声で遮りやがって。いい加減、てめぇのツラを見るだけでうんざりするようになっていた。殺すのも面倒臭い。目障りだ。消え失せろ」
わたしはスーツ女じゃない、とスーツ女は怒り、背後に名刺を投影させた。『市内災害拡大振興部 焦土造成第4課担当』。市役所の連中は何かと得意げに名刺を見せびらかすが、そのバカげた習性に付き合って俺が名前を覚えるとでも思っているのだろうか。そもそも、名刺に名前を記せるのは課長職以上であり、このスーツ女が名刺を出したところで欠片も意味はない。
俺が冷ややかな目で見ていることに気がついたのか、スーツ女は後ろを見た。体ごと振り向いたため、背中に貼りつく名刺も動き、自分の尾を追いかける頭の悪い動物のような有様になった。やがてミスに気がついたのだろう、スーツ女は顔を真っ赤にするとこちらを睨みつけ、「キイロ!」と叫んだ。そういえばそんな名前だった気がする。覚える気はない。この女の名前なんざ、心の底からどうでもいい。
「とにかく見つけた以上は追い出すからね。すぐに島から出てよ! そういう決まりなんだから!」
「知るか。法律もないこの街で何が『決まり』だ。勝手に街の管理者ぶってるバカ共の決めたルールなんざ、守ってやる筋合いはない」
俺がそう言うと、スーツ女はがっくりくずおれて膝を抱えてしまった。体を丸めたまま、もうやだ助けてタマムシさん、わたし1人じゃ無理だよこんなやつ、などとしばらく呟き続けたかと思うと、急にバネ仕掛けの人形のように跳ね起きる。リアクションの1つ1つが大げさで、癇に障る女だった。
「どうせ言うこと聞いてくれないなら、わたしの仕事を手伝ってよ、ネクロ」
「……なめてんのか」
「違うよぅ。取引だってば。わたしがポケットマネーから出すからさ」
聞くと、なかなか悪くない額だった。時間だけはいくらでもある不死者にとって、金など何の価値もない。だが、染みついた生前の習慣が最早意味のない「便利」や「効率」をくすぐり、何となくいい気分にさせる。アンデッドに成り下がっても、人間ごっこを続けたがる市民は多く、金は未だに有用だった。
「……引き受けるが、わかってるな、スーツ女。お前は、今、俺と約束をした。それを破るな。俺を、絶対に裏切るなよ」
「わかってるわかってる」
「わかって、いるんだな?」
俺は念押しした。裏切りは引き金だった。全てに取返しのつくこの街で、ただ1つ取り返しのつかない不可逆性を持ち、ゆえに、何よりも意味があるものだった。肉ではなく、魂に刻み込まれる傷。俺は、俺を裏切る女を愛する。今、俺と共にある3人の可愛い女たちと同じく、絶対に愛する。殺して迎え入れることで、愛するのだ。それはこのスーツ女であっても例外ではない。
「わかってるってば」
だが、スーツ女は軽薄な調子で請け負った。俺の剣幕に気おされることもなく、とぼけた表情を浮かべていた。名前こそ覚えていなかったが、この図太さだけは忘れようがない。死のない不死者たちは、本質的には恐怖を覚えることはないが、それでも生前の反射から「恐れる」素振りをとってしまうことがある。金をありがたがるのと同じ理屈だ。だが、スーツ女はそういった素振りすら1度も見せたことがなかった。どうやらこの女には、生まれつき恐怖という感情が備わっていないようだった。
【necro3:桜の木の下にはめちゃくちゃ死体が埋まっている】
喉の奥で手を突っ張るような、奇妙な匂いのする玄関だった。後頭部のボタンに触れ、俺はそれに相応しい「抹香臭い」という表現を引き出した。磨りガラスと格子で作られた引き戸をスーツ女が後ろ手で閉めると、ガラガラと不必要に大きな音がした。家の中は薄暗かった。スーツ女は、靴箱に体重をあずけて、けんけんをするように革靴を脱ぐ。靴箱の上には花瓶が置かれ、どうやら外の桜からもぎ取ったらしい枝が1本差さっている。花弁は全て天板の上にみっともなく散らばっていたが、枝はまだ原型をとどめていた。それは、この家がまだ廃屋になっていない証拠でもあった。
「ギンジマさん! キイロです!」
勝手知ったる、とばかりにスーツ女はずかずかと室内に踏み入った。俺も土足のままその後を追う。俺と恋人たち、合計4人分の体重によって、床はギシギシ悲鳴を上げた。薄々気がついてはいてが、どうやらこの家は木造のようだった。あらかたの動物が死に絶えているこの臓腐市では、生物由来の大体のブツが不死者の肉・皮・骨を原料にして作られる。その中でも「木製」は、欲の皮のつっぱった連中が製法を独占しているため相応に値が張る。だが、この家はそういう話でもないようだった。人肉のいやらしさ、あの紛い物の不自然さがどこにもない。
「ギンジマさん!」
縁側、と言うのだろうか(覚えていた)。木製の廊下を挟んで、右側が庭に左側が畳敷きの室内になっている。庭のほとんどは桜の木の根と散った花びらで埋め尽くされており、地肌がほとんど見えていない。近くで見てみるとその木は一層に異様で、自分の脳が無意識下で想定するスケールから2周りは大きい。感覚と実態がどこまでも食い違うため、見ていると落ち着かない気分にさせられる。そして、この家が薄暗い理由もわかった。大きすぎる幹と枝は、家全体を日陰の中にすっぽり包み込み、閉じ込めていた。
そして、その日陰の最も暗い場所。縁側に面した部屋の奥の隅に炬燵があり、ジジイが居た。居たというよりも、付属していたとでも言いたくなるほどにその存在はどうでもよく、部屋の中のどの家具よりもこの家に馴染んでいた。厚みのある室内用の防寒具(……そう、半纏、だ)の中で小さな体を丸め、口を隠すように俯いて、埃じみた毛がふわふわと浮いた頭をこちらに向けている。頭皮と炬燵の天板の隙間から、力のない視線がこちらに漏れた。
「ネクロ、この人がギンジマさん。この家の持ち主」
スーツ女が、ジジイを指さして言った。
「……なんだぁ、こいつは」
ジジイが顔を上げて俺を見た。骸骨に皮を貼りつけようとして失敗したようなツラだった。年齢差が誤差でしかないこの街では「世代」は見た目が決める。ジジイは、ジジイみたいだから、ジジイなのだ。
「キイロさん。こりゃ一体どういう了見だ。大体あんた、さっき帰ったんじゃなかったのか。……ネクロだと? あのネクロか?」
「あのネクロです。〈死なずのネクロ〉。ラジオもないのによく知ってるじゃないですか。外でバイトに雇ったんです。今度こそあなたにこの家を出てもらうんだから。こいつ、マジで最悪ですからね。出てかないとひどいことになりますよ」
「ひどいことになら、もうなってるよ」
ぼそぼそと陰気に喋るジジイは一端無視して、俺はスーツ女に話しかけた。
「なんとなく事情はわかった。このジジイを家から追い出せばいいんだな」
「そうだよ」
「よし」
俺はジジイの首根っこを掴むと、炬燵から引きずり出し、力いっぱい縁側から外へ放り投げた。抵抗の素振りはまるでない。しわくちゃの肉はお行儀よく宙を舞い、桜の花のカーテンに一瞬だけジジイ型の穴を開けて、視界外へと消え去った。
……なるほど。
俺は結果を見る前に肌感覚で理解していた。これは確かに厄介だ。「手ごたえ」がない。靄を拳で握り込もうとしたようなその心もとなさには、覚えがあった。蘇生速度の早い起き上がりを殺した時の感覚だ。振り向くと、案の定、ジジイは何事もなかったように元の位置にいて、俺に陰気な視線を向けていた。
「物理的な手段は、思いつく限り全部やったけど、全部失敗」
スーツ女は、ジジイの禿げあがった頭をぐりぐり撫でまわしながら言った。ジジイはうっとうしそうに手で払いのけ、炬燵を出て、近くの戸棚から包装された煎餅を取り出した。
「ギンジマさんの魂は、この土地にくっついちゃってる。とり憑いていると言い換えてもいい。わたしがネクロにお願いするバイトの内容は、彼をこの家から追い出すこと。言い換えるなら、地縛霊の立ち退きね」
◇◇◇
腫羊区は臓腐区と挫症区の沿岸に浮かぶ人工島であり、元々この街が臓腐市になる前から存在していた2つの島を市役所のアホ共が改造・拡張し、1つの大きな区にまとめたものだ。臓腐市本土の過剰な人口密度解消のため、という理由を押し出して強行された施策だったが、今、こうして開発だなんだとほざき、島から住民を追い出すというまったく真逆のことをしているんだからふざけている。
しかし、奴らはその横暴に対してすらも「臓腐市の皆さまのより一層の安心と健康のために」という数千年間使いまわしてボロボロになっているお題目を掲げてみせている。その青写真に従えば、腫羊区は市民生活全体を向上させる屍材研究の中心地となるらしい。西部の視婆町は実験特区に、東部の墓責町は生産工場に、そしてこの指忌町は実験体の市民が暮らす生活地域に生まれ変わるのだという。研究、開発、大いに結構だが、どうせ大事故を起こしてめちゃくちゃになるのがオチだと俺は思う。
……だが、そもそも、その計画はそこまで進まなかった。計画の1歩目となる住民の追い出しにおいて挫折したそうだ。9割9分9厘の住民は、市役所職員共の奮う容赦のない暴力の前にさっさとしっぽを巻いて逃げ出した。だが、残り1厘の住民が筋金入りだったらしい。千年万年かけてそのねじくれた性根を漬け込んだ、生粋の捻くれ者に頑固者、偏屈、畜生、天邪鬼。スーツ女の所属する焦土造成課は、その厄介者たちを追い払うための部署であり、この桜の木の家に住むジジイ、〈地縛霊のギンジマ〉もその討伐対象になるのだという。
ただし、ここのジジイの事情は他と少し異なっていた。スーツ女が初めてこの家を訪ね、立ち退きを要求した時、ジジイは抵抗のそぶりを全く見せなかったらしい。スーツ女が手を引き、炬燵から立ち上がらせると、ぶすったれた表情を浮かべながらも、その後を大人しく着いてきた。問題は玄関から家の外に出た時に起きた。敷居をまたいだ瞬間、ジジイが消え失せたのだ。スーツ女が慌てて家の中に戻ると、ジジイは陰気なツラを浮かべて炬燵で茶を啜っていたそうだ。
その後、スーツ女を筆頭に、市役所の連中はありとあらゆる破壊と暴力をジジイとこの家に振るったらしい。鉄球を壁にぶち込み、ジジイを荼毘に付し、爆薬で家を吹き飛ばした。桜の木だけは、開発後、町のモニュメントにするよう上からお達しがあり手を出せなかったらしいが、それ以外の取りうる策は全て実行したのだとスーツ女は言う。だが、その全ては失敗に終わった。炬燵で背を丸めているだけのこのジジイを、誰もこの家から連れ出すことができなかった。
化け戻りだ、とスーツ女は思ったらしい。この街に暮らす不死者は3種類いる。殺しても肉体が回復・蘇生する起き上がり、殺しても別の肉体に再憑依・蘇生する黄泉帰り、そしてそれ以外の化け戻り。ジジイを家から引っ張り出したときに起きる再出現のプロセスには、回復や再憑依といった前の2つの特徴が見られない。……だとすれば、という理屈だ。だが結論は違った。不死者分類を専門にしている女米木生研のとあるラボ、そのトップのグンジだとかいう研究者が、ジジイを起き上がりだと断定し〈地縛霊のギンジマ〉の名をつけたらしい。
細かい理屈は割愛するが、ヒトは死んだら魂が肉体から離れる。起き上がりが死なないのは、魂が肉体に固定されているから……だ、そうだ。死んだところで魂が昇天することはなく、その矛盾の帳尻合わせで因果が逆転し、傷が治り意識が戻る。ジジイを家から連れ出すことができない理由もこれと同じらしい。ただ、ジジイの場合、帳尻合わせの形が特殊、らしい。家と桜とジジイ。このワンセット……「桜の木のある家にジジイが住んでいる」という状況それ自体が、このジジイにとっての「肉体」なのだという。
俺がこの家に感じた木造建築としての自然さ。それもば当然の話で、そもそもこの家に使用されている木材は、不死者を材料にして作られたものではなく、正真正銘、本物の木材だったのだ。臓腐市が臓腐市になってから何千年、何万年過ぎたのかは最早誰も数えていないが、木造の建物が形を残せているような年月でないことは間違いないし、桜の木の寿命なんざ、本当ならとっくの昔に尽きている。この家は、この桜は、永すぎる臓腐市の歴史全てを貫いて、ジジイの一部としてここにある。
……だとすると、どうなる?
ジジイが家から離れること、あるいはこの家を取り潰すこと。「立ち退き」という市役所の目的自体が、〈地縛霊のギンジマ〉という不死者にとっての死に相当するということになる。そして、不死者である以上、その死は必ず覆され、回復し、蘇ることになる。つまり、俺が安請負したアルバイトは、臓腐市で人を殺せという天地がひっくり返っても実現不可能な無理難題だった。
【後編へ続く】
ーーーーー
▼関連エピソード