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樋口の異能と吸血種化(お題箱から)

※この記事は文豪ストレイドッグスの考察です。
※お題箱に頂いたお題への返信です。

頂いたお題はこちら:
ものあしさんこんにちは。いつも考察拝見しております。
吸血種になったキャラで唯一意図的に吸血種にされたんじゃないかというキャラがいたので考察します。樋口さんです。

今回の樋口さんは芥川に続き2番目の吸血種になり黒蜥蜴を襲いました。
注目したいのが芥川に襲われる経緯です。
原作だと樋口さんはメモを持って芥川に呼び出されてますが、なぜ芥川は無作為に襲わずわざわざ樋口さんを呼び出したのか疑問です。

吸血種化した芥川が無意識で選んだ可能性もありますが直後のほぼ理性のない状態で場所を指定したり律儀にメモを使って呼び出すことなどできたのかなと疑問があります。

福地が感染を広げる為にマフィアを狙い「芥川の目撃あり。場所は○○」とメモを書きそれに気づいたのがたまたま樋口さんの可能性もあります。ただ福地による吸血種化は芥川や条野や立原など自分と交戦して負けた者を吸血種化しています。

この吸血種計画の立案者はドス君。わざわざ呼び出してまで吸血種にされた樋口さん。ドス君による「樋口一葉は必ず吸血種に」という指示が吸血種に組み込まれてるなら理性のない芥川がメモを書き呼び出すことも可能です。結果的に彼女は死んだはずの想い人に襲われる。というなんとも残酷なことになりますが…

ドス君が樋口さんを知るきっかけとしては、42話でポートマフィアの異能者リストを盗んでおり、そのリストを通じて樋口さんの異能力の有無や正体を知っていたりするのかなとも思います。

ドス君が樋口さんを吸血種にして狙う理由は
・異能関連(覚醒阻止、自分の異能とよく似ているので興味、無理矢理覚醒させて利用する等)
・異能力者のいない世界への勧誘、共感、協力、イレギュラーなので排除対象
・役を与えるため(自分の復活を目撃してもらうマグダラのマリア役、自分の真実を聞いてもらうためのソーニャ役、異能力がないので復活のための器にしやすいなど)
が考えられるかなと

史実的には一応関係があるようで樋口一葉はドストエフスキー作品、特に罪と罰を愛読し、彼女の奇跡の14ヶ月にも大きな影響を与えたそうです。

未だ異能力の有無が不明の樋口さん、もしかしたら彼女の異能を知っている可能性があり復活する可能性のあるドス君。もしよろしかったらものあしさんなりの考察をお聞きしたいです。


ありがとうございます!とても的確で鋭い考察でした!
樋口ちゃんの考察って実は結構人気だよなあ~と色んなとこ眺めながら思っています。そして樋口ちゃんの考察をしてる人はみんな樋口ちゃんのことすごく好きですよね。文豪含めて好きという方が多くいらっしゃる感じ。
そんな樋口の一番の謎といえば、やっぱり異能ですかね?
今回はその辺にも踏み込んで考察してみたいと思います。

■樋口の秘められたる力

原作で樋口が芥川のもとへ駆けつけるシーン、手にメモを持ってますね!!なぜか私はこれをずっとハンカチだと勘違いしていて今回のお題で言われて初めて気付きました……

樋口にメモを渡した人、一体誰なのでしょうね?
個人的な希望としては、ドスくんではなくて森さんであってほしいなと思っています。なぜなら、マフィアが最初から最後までやられっぱなしというのはあまりにも無様ですし、吸血種が蔓延する以前から森さんは何かの戦略を仕込んでいるという可能性に期待したいからです。
森さんは何かの意図があって、敢えて樋口を一番最初の被害者にするために行かせたのではないか。そのために、森さんが芥川の目撃情報を樋口にメモとして手渡したのではないか。
お題主様案とは逆方向になってしまいますが、これ以上の地獄は回避したい...という希望の意味も込めて、今回は味方サイド優位の方向性で考察を進めていきます!

芥川の次の被害者が樋口じゃなきゃいけなかった理由として私が妄想しているのは「吸血種化の異能が樋口を介することで変質するから」という可能性です。
吸血種化にはブラムから直接咬まれたケースと、咬まれた人物から二次的に咬まれて増殖していくケースのふたつがありますよね。
そしてマフィアの吸血種化被害は、おそらくほとんどが樋口から拡大していったものなのではないか。樋口を第一号として黒蜥蜴を経由してねずみ算式に増えていった。
しかし、もし樋口が未知の異能を持っていて、吸血種の異能の広がりと同時に樋口の異能もマフィアに広まっていったのだとしたら、最終的に樋口の異能発動を起点にして吸血種化が全員解けたり、吸血種を制御できるようになるかもしれない。
社長の異能と似たような感じで、自分が影響を与えた相手に対してなんらかの効力を発揮できる異能を持っている可能性も想定できます。ふたりともお札の人っていう共通点ありますしね!お札の人だから人間の内面操れると予想。

ということで、一見被害をこうむり続けたように見えたマフィアの吸血種化は、苛烈な反撃のための下準備だったというシナリオもあるのかなあと。そして反撃のための鍵となるのが、樋口の秘められた異能である、という可能性に期待したいなと思っています!

とはいえ「メモを渡して行かせる」はムルソーでシグマにも起こったことであり、メモを渡すという仕掛けをしているのがドスくん側なのか味方側なのか、まだはっきりと判別できる状況ではないかな?

■樋口についてもう少し

樋口の異能に関してはすでに色んな人が色んな説を唱えていますよね。自分の身を犠牲にして相手を救う異能とかサポートや回復に関する能力とか、さまざまなものを見かけたことがあります。

ご参考までに樋口ちゃんのキャラ造形としてカフカ先生が語っていたことをお伝えしておくと樋口は「等身大の人間らしさを感じさせるキャラ造形」にこだわっているそうです。

キャッチコピーは「OL」です。上司、部下、仕事のつらさ、それでも働く理由。そこに共感してもらえる人物像にしようと造形を工夫しました。(カフカ先生)

季刊エス No.67

そんな樋口の異能はガイドブックでは「無し」という記載が。

読者に近い位置にいて、日常の営為の中で仕事や恋愛という誰もが思い悩んだりする事柄が樋口の葛藤の中心軸になっているようです。そのため、異能が発現したからといって急にヒーローめいた活躍をすることはなさそうですが、身体を張ってまっすぐ一生懸命に生きた結果として、知らず知らずのうちに他者の中に何かしらの活力を与えていた、そんな感じのささやかな癒しや支えになっていくような姿が樋口らしい姿だといえるでしょうか。

樋口の葛藤は言ってしまえば非常に地味でありふれていて、あまり考察でも議論の目玉になることがこれまでなかったですが、当たり前すぎて我々は葛藤していることを意識すらしていないのかもしれません。
しかし実際は、仕事に思い入れがない、そもそも仕事のために仕事をしているわけではなく別の目的のために仕事をしている(樋口の場合は芥川ですが、芥川を推し活に置き換えてみるともっと身近になるかも)、本当は仕事なんてしたくないけどでもやめたら生きていけないし、推しのためには嫌なことでも頑張らなきゃって思う。そういう「それでも頑張るんだ」っていう苦しみを伴った覚悟を樋口はとてもよく代弁してくれていると感じます。

仕事が推しのためなら、仕事の我慢も推しのためで、仕事で受けた傷も痛みも怖いことも全部、結局のところ推しのためであって、「好きだ」って想う力がすべての支えになっているのなら、嫌なことも辛いことも最後は「好きだ」の感情によって包まれて許されていくのかも。樋口がいつも辿りつく「好き」という感情は、苦しみの解放や赦しに繋がっている部分もあるような気がします。

とはいえ、自分と推しのための頑張りが「仕事」という行為を介している以上は、その頑張りが自分と推しだけという狭い世界に還元されるわけではない。自分でも意識しないうちに、組織の人や色んな人にまでプラスの影響を与えている、樋口ってそういう感じの活躍をするキャラなのかなあと個人的には思っています。そのプラスの影響が、異能という目に見える形で発現するのも素敵かなあと。
こういう等身大の人間の頑張りには、極力ドスくんを介入させたくないと思ってしまうのですが、シグマがドスくんの手中にずっといたのなら、同じように等身大キャラである樋口もやはりドスくんの手中にあったという可能性も十分ありますね。

■樋口の史実

お題主様が史実に触れて下さってますので少しだけ解説を。そんなに詳しくはないので、かいつまんだ情報になりますことご容赦ください。

樋口一葉が執筆をしていた期間は14カ月の間だけ。その期間は樋口の黄金期を象徴して「奇跡の14カ月」と呼ばれています。

樋口一葉が17歳の頃、樋口の父は事業に出資したお金をだまし取られて多額の負債を背負ってしまい、そのまま亡くなってしまったようです。残された家族はたちまち父の負債を背負わされることになりました。
樋口一葉には兄が二人いましたが、長男は既に他界、残る次男も家族との折り合いが悪く、女たちだけで借金の返済と生活の資金を工面しなければならない状況でした。針仕事や着物の洗濯などで賃金を稼ごうとするも家計は火の車。借金が減るどころか徐々に増えていったようです。

樋口が作家として小説を執筆したのも、お金を稼ぐためだったと言われています。1893年から1894年、21~22歳頃のたった1年2カ月の間に『たけくらべ』を始めとする代表的な作品を次々に発表した樋口は文壇からも評価されました。しかし肺結核を患っていたためわずか24歳という若さで亡くなります。
樋口は最後まで生活苦にあえいでいましたが、彼女自身が社会の底辺に生きながら、同じ地平に生きる女性たちの現実と懸命に向き合った経験が樋口一葉の作品の中には息づいているようです。

こういった史実の背景を考えると、当時の女性としては当たり前だった「結婚」や「男性の働きに頼る」という誰しもが獲得できるはずだったものを不運にも享受できず、それらを追い求めようとする気持ちと格闘しながらも仕事に翻弄されるという姿が浮かび上がってくるでしょうか。その姿は文ストの樋口と重なる部分が多くあるように思います。

ドストエフスキーとのつながりは不勉強ゆえあまり詳しくわかりませんが、底辺にいる女性たちの生き様を描いたドストエフスキー作品に樋口が励まされたであろうことはなんとなく想像がつくようにも思います。

この度Waveboxを設置しましたので、お詳しい方いましたらぜひ解説や考察などご投稿頂けましたら幸いです。(字数制限はなんと1万字!好きなだけ語れます!)

お題主様のご希望に叶う回答になっているかあまり自信がありませんが、とても貴重なお題でした。ありがとうございました!


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