白紙の文学書と神人の共通点(お題箱から)
※この記事は文豪ストレイドッグスの考察です。
※Waveboxに届いた考察をピックアップしてお題として返信しています。
■頂いた考察はこちら:
自分の中で湧いて出た疑問と、それに対する自分の考察です。ものあしさんも考察してくださったら嬉しいです。
(お題箱が閉鎖されている(?)っぽかったので、こちらにお題的なことを投稿になりますが許してください)
早速本題ですが、雨の御前と白紙の文学書についてです。
敦と芥川対福地の戦いにて、雨の御前を福地が使った時、福地は敗北を斬って勝利しました。それは、世界を斬って新たな世界を作ったということだと思います。そこで似ていると思ったのが、白紙の文学書です。白紙の文学書は、書き込んだ内容に合った世界が引っ張られてくることで世界が改変されます。
つまり、世界を改変する力がその二つにはあると気づいたんです。雨の御前は福地あってこそのものですが。
そこで疑問に思ったのが、(考察頼みたい)
・なぜ文ストにはそのような性能のものを2つも存在させたのか。
・効力はどちらが上なのか。(文学書によって呼ばれたパラレルワールドの世界をさらに改変しているから雨の御前が上?など)
・斬られる前の世界と斬られた後の世界はまた別の世界として存在しているのか。
(その場合、文学書パラレルワールドの枠組みから外れた世界が存在することとなってしまう)
→これに関しては福地さんが「勝利が無かったことに」と言っているので別世界は存在しないとも取れるが、「複数の未来から刺した」という台詞があることから別世界が存在するとも取れる。(台詞違うとこあったらすみません)
それらを踏まえて未熟ながら私の考察の結論としては、文学書パラレルワールドの中で雨の御前による改変が何回も行われていて、文学書パラレルワールドの中に更に雨の御前による多重世界が広がっているという説です。複数の世界から一つの世界へ干渉できるのなら、パラレルワールドの域は出ていないのではないのか、と。語彙力なくて、伝わらなかったらすみません。
他にも本当はあるんですけど、長くなってしまったのでここでやめておきます、笑
ものあしさんの考えもお願いしたいです、
よろしくお願いします。
■御前による世界分岐も可能世界に含まれる
興味深いお題を頂き、ありがとうございます!
一回呼びだされた世界線を御前は何度もやり直して敗北を斬ってるから御前が白紙の本の世界を上書きしているように見えるのは確かにそのとおりですね!
これは私の憶測ですけど、呼び出された世界線も、呼び出された瞬間から再び無限分岐するんじゃないかなと思っています。呼び出された後の世界で選択されなかったすべての可能性も白紙の本の中には存在している。だから御前が斬った敗北の世界線もパラレルワールドとして白紙の本の中に存在していると解釈しています!
たとえば「福地が敗北を斬った世界」も「福地が敗北を斬るのをやめた世界」も「御前で10秒前まで警告を出した世界」も「5秒前まで警告を出してそこであきらめた世界」もどんな可能性のものでも可能世界のうちに含まれるのではないでしょうか。お題主様と同じように、御前の力は文学書パラレルワールドの域は出ていないと考えています。
白紙の本って「白紙だからすべての可能性を内包している」が基本っぽいですよね。次に言う台詞も、次にとる行動も、白紙だから何でも可能だよってことでもあって「どんな可能性もある」という真っ白なキャンバスの中に雨御前の異能も時空間を超えるからくりも選択の多様性も全部含まれていそうです。
御前の異能と同じようなものに、55minで登場したウェルズのタイムマシンの異能があります。ウェルズのタイムマシンも、記憶信号だけを過去に送って、もう一度過去をやり直せるようにする異能でした。
だから1巡目の世界と、敦が記憶を持ったまま過去に遡行した2巡目の世界がある。それ以外にも、ヴェルヌが何度も時間を遡行させていて、同じ時間を何度も繰り返している。繰り返された過去の世界線、選択されなかったすべての世界線は、ちゃんと可能世界の中に存在していそうです。
過去に遡行して別の選択肢へ進む、というあたりはループものっぽいですよね。カフカ先生タイムスリップものが好きってこのあいだ中央大学の講演会で言ってました。時空間をもてあそぶ系の話が文ストに多いのはそれが理由だったり?と思ったりしています。
■白紙の文学書のおそろしさ
情報伝達や選択の分岐によって世界が創りなおされていく御前やウェルズの異能と決定的に違う「白紙の文学書の持つおそろしさ」は、記憶や記録が書き換わることと、なかったものが突如出現するところなんじゃないかなと思います。
白紙の本には記憶を改ざんする力があるというのは乱歩も言ってますし、天空カジノも頁によって作られたものでした。天空カジノは建造されただけでなく、天空カジノが13年前に建造されたという記録までが出来上がって歴史が改ざんされてしまっている。世界のストーリーライン自体がまるごと変わっていくという感じでもあり。
突然なかったものが現れるという点では、乱歩の前に突如出現した監視カメラがわかりやすいかなと思います。「数秒前まで無かった 絶対に」と乱歩は種田長官のいた部屋で言っていた。録画映像も書き換わり、持ってなかったはずのナイフを乱歩が握っている映像が記録として残っている。
不楽本座で探偵社員の立ち位置が瞬時に変わっていたのも不思議ですよね。扉の外にいたのに、気付いたら犯人の立ち位置にいて白頭巾をかぶっていた。瞬間移動というよりも、改変前の世界にいたキャラたちが一回消えて、新たに改変後の世界にキャラが出現した、という言い方のほうがふさわしそうです。
これらは、どれだけ御前の力が優れていても到達できない領域かなあと。御前の場合、それ自体が時空間を超えることはできても、自分以外のものを瞬間移動させたり、なかったものを出現させたりする力までは持っていない。ストーリーを過去の分も含めて上書きしていく機能を持つのは白紙の本だけだと思いますし、まったくもって異次元の力ではないでしょうか。
御前の持つ力は時空間の移動だけで確かに敵としては非常に厄介ですが、白紙の文学書は御前とはまた全然違う性質を持つものだと言えます。
どちらかといえば、文スト世界の脚本を変える力ですよね。次に言う言葉、次にとる行動を頁に書くだけで、文スト世界の歴史や物理的な環境までがつくりかえられてしまう。
「過去を上書きする力」と言えば確かに御前と一緒のように聞こえますが、「過去をやり直す」のが御前なのに対して、白紙の本は「過去の物語を変える」力を持っている。
物語を変える、ということは率直に受け止めれば世界の出来事を変えて違う物語の中を生きるということですが、拡大解釈すればパースペクティブを変えるということでもあります。記憶を変換したり、捉え方を変えたり、見方を変えたり、悪い思い出をいい思い出に書き換えたり、そういうのも「過去の物語を書き換える」ことのうちに含まれると思います。
■神人と白紙の本の共通点
(以下本誌最新話までのネタバレがあります。)
では神人はどうなのか?ということも考えてみました。
神人の持つ力のすべてがわかっているわけじゃないので、現時点では…という括弧つきの考察になります。
神人も基本的には「神人という存在が時空間を跳躍できる」という特性に限定されるのではないかな?と思っています。
ドスくんの言うことが本当ならば神人は上位次元に本体があるので下位次元に出現させるときに「任意の場所に突如出現させることができる」。
A地点の神人を一旦上位次元に戻してからB地点に置いて出現させるのが神人の「空間跳躍」と呼ばれる技のからくりではないでしょうか。配置する地点を変える感じ。上位次元を迂回するという言葉はおそらくそういう意味ではなかろうかと。
神人が二体に増えた現象も、上位次元から下位次元に出現させるときに、2地点同時に出現させている。現在の神人の個体を出現させながら、過去の神人を時間跳躍によって現在軸に連れてきて下位次元の別の位置に配置したと考えられそうですよね。
神人は「突然現れる」というあたりが、白紙の文学書と似ています。それこそ、不楽本座でドアの外にいた探偵社員たちが、次の瞬間に犯人の立ち位置に移動していた現象は、上位次元を迂回して移動した神人の空間跳躍ともしかしたら似たような現象なのかもしれない。
少し飛躍した推論にはなりますが、「突然現れる」ことが上位次元からの介入の証なのであれば、白紙の本の力って実は上位次元からの働きかけだったりするのかもしれないなあと。シグマも無から忽然と現れたそうですが、彼は白紙の本によって上位次元から下位次元に配置されたのだと捉えることもできます。
ドスくんのいう上位次元たるミンコフスキー空間が具体的にどういうところなのかはまだまだ不明確ですよね。ミンコフスキー空間を「劇場の外の空間」と捉えることもできますし、登場人物たちからは見えない「観客席」と捉えることもできます。少なくとも劇中次元ではなさそうです。
また、神人の本体があるとされる上位次元が、白紙の本の本体が置かれている場所ともなにか関係するのか、あるいは天使のような存在として捉えられる虎の居場所とも関係するのか、個人的にはこのあたりも気になるので、色々な秘密が少しずつ明らかにされていくのを楽しみに待ちたいと思います!
雨御前と白紙の本を比べてみて違いを見出したりするの、とても面白かったです。おかげで私も解像度があがりました!
また機会があれば「他にも本当はあるんですけど」の部分、お聞かせください笑
ありがとうございました!