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【本誌108話】隘キ部屋ニテ 其の肆 感想&考察

※この記事は文豪ストレイドッグスの考察です。
ヤングエース2023年8月号のネタバレを含みます。


[23.07.04感想]

くっっ。ほんとは言葉なんて出ないんだけどそれじゃ感想にならないから絞り出して書くよ。これもうさ、ジェットコースターとかそんなかわいいもんじゃないよね。もはや天変地異だよ。
白ドスくん出てきた瞬間、まじで地球がひっくり返ったかと思ったよ。南十字星を垣間見たよ。

■ドスくんドスくんドスくん

衝撃と戦慄と驚嘆の稲妻に打たれて全身に電気びりびり走り抜けたの私だけ?漫画読んでこんなにわなわなと震えたの初めてだよ、ほんとにこの男…!あんなに取り乱したドスくんもあんなに爽やかなドスくんもあんな♪つけて喋るドスくんも、そんなの…そんなの…なんで見せてくれちゃうんだよカフカせんせいいい!
Please be surprisedじゃないよ、サプライズという一言ですべてを片付けるなよおお。そういう次元をはるかに超越してるんだよおおお。

「今は何年だ?」の白ドスくん、おめめきらっきらしてて誠実そうでめちゃくちゃ善人版のドスくんだった…好きすぎる…惚れ直した…ドスくんのこの一瞬を見ることができたのでもう名残惜しいと思うことは何もありません。
ほんとはこうやってひとつひとつのコマに対して想いを述べたいのだけど感想の長さがえげつないことになるので、ぐっと我慢して今からまとめて話そう。

■白ドスくんの偽り

カフカ先生って読者の心理読むのほんとに上手だよね。それが白ドスくんの台詞に滲み出ている。「君たちそう思ってるんでしょ?」っていうところに一通り触れてくるからその過程でぐいっと引き込まれるし、そうした後に掌を返すようにして力技でねじ伏せてくるからすごいダメージ喰らうのよ。言葉も出ないほどに唖然としてしまう。
そのあたりの采配はいつもお見事だと思う。
ということでドスくんの台詞の中の「今は何年だ?」とか「"ぼく"という悪魔」とか「二重人格」とか、そのあたりの散りばめ方がめちゃくちゃ秀逸だった。

白ドスくんの話したことの中にどれだけの「真実み」が込められているかわからないけど、今回否定されたことはなんだったのか、ということを一応整理しておこう。

白ドスくんが偽ったことはたぶんこんな感じ。
・人間である"僕"の意識を異能である"ぼく"がずっと奪っていた
・55minのガブのように、本体の意識が遠のいた上で異能が主を支配していたパターンと似ている
・"ぼく"は"僕"の弱さから生まれた異能で邪悪そのもの
・本来の"僕"と異能である"ぼく"の二つの人格がドスくんの中に同居していた=二重人格

ということで、異能側が人間側を乗っ取っているわけではない、というところまでは明らかになったのかな。異能が悪魔であること、異能が弱さから生まれたこと、二つの存在が同居していること、これらの観点がどこまで否定されたのか正直よくわからないものの、それぞれちょっとずつ真実と違うのかもしれない。
聖剣の素材が異能化銀であることが判明したのもちょっとした収穫。

ところで虚弱体質のドスくんは血を流してもそんなに怒らなかったし、貧血で倒れることもなかったので、この人、水に濡れるのは嫌いだけど出血に対しては耐性ありそうね。血を操作する能力の香りがかすかに漂う。

ドスくんの名演技見ちゃったよお!!と興奮したけど、思い返せばこの人も演技派俳優だった。エース騙したときも、共喰いで森さん騙して刺したときも、ちょいちょい演技してたわ。ほんとに太宰さんとどこまでも似た者同士ね。
今年の文ストアカデミー賞主演男優賞、太宰さんじゃなくてドスくんかもしれない。

■虐げられるシグマ

ドスくんに振り回されっぱなしのシグマ。居場所がほしい、家がほしいと思う執念は変わらずだし、そのためならどんなにでも必死になれるところは強いよね。何も持たない人間にとって、何かひとつのものを得ることは、私たちが思う以上に高いハードルを超えなきゃいけないことなのかも。1を2に増やすよりも、0を1にすることのほうがよっぽど難しくて、シグマはそういうところで人知れず、孤独で重たい宿命を背負わされているような感じがする。

探偵社に入ることは痛みを引き受けることだと見抜いているドスくん。やっぱりこの人なんでも知ってるなあ。そういう部分も含めて探偵社を深く理解している。その上で、敵として立ちはだかっている。
痛みに耐える必要なんてないだろう、痛みの根源から抜き去って排除してしまったほうがいいだろうのスタンスな感じがするし、そのあたりは共喰いの舞台を彷彿とさせる。

シグマの覚悟を確かめるドスくん。なぜドスくんがそれを確かめる必要があるのだろう?
あたかもドスくんがシグマのための入社試験をしてあげているかのよう。
さらにその覚悟に免じて、計画を抜き取らせようとするドスくん。
ドスくんも実はシグマに探偵社に入ってほしいのかな?その部分も含めて壮大な陰謀のうちのひとつだったり?シグマが探偵社に入ることでドスくんにとって何か好都合なことでもあるのかな。この男…本当に底知れぬ…

というか触れて発動する異能って、手じゃないといけない制約みたいなのあったっけ?足で蹴ったときに顔面に触れてるの、これノーカン?


■敦くんの優しさ

自分に負けるな!の敦くん、どこか自信なさげだったなあ。そんなことを言う敦くんが自分に負けているような、なんかそんな感じがしてしまった…。
敦くんの優しさは強さでもあるけど、すべてを守ることができないときにはその優しさはやっぱり弱さになっちゃう気もする。探偵社か芥川か、それを究極の状況で選ばなければいけないときに、そのどっちも捨てられないでいればそれは弱さになり、すべてに失敗してしまう。何かのために何かを犠牲にすることを選ぶ強さ、それを自分の中で見極めていく強さを求められるときもあるよね。正しさでは人を救えないけど、だからといって優しさだけあれば全員を救えるわけでもないのかも。
敦くんはここからどうやって自分に勝っていくのだろう?
正しさがわからないと敦くんが悩んだとき敦くんは社長に頼ろうとしたけど、その正しさを決めるのは、実は敦くん自身でなければならなかったりするのかもね。

敦くんが芥川に太宰さんの話題を投げかけたのはとても賢いなと思ってしまった。太宰さんに認めてもらいたいという承認欲求がどこまで芥川を動かせるのかとても興味深いけど、ブラちゃんに甘くないよと諭されてしまったしこれはどうなるのかなあわからないなあ。

今月のバトルシーン、めちゃくちゃ描かれ方が良かった気がする。35先生がまた脱皮してた。敦くんが芥川にパンチしようとしてるとこの描写とかめちゃすごかった。顔面破壊されたイマジナリー僕もなんだかすごくきれいで見入ってしまいました。

■文ちゃんとブラム

ブラムの回想はなんでいつもワンショットだけなのよ!謎が積み増しされていく一方だ!いつかの時点でまとめて回収されるのですか、欧州編でまだまだブラちゃん活躍するのですか。

聖剣抜くのあきらめたのかな?万に一つの可能性で、文ちゃんが一回聖剣抜いて、もう一度刺しなおしてるとかそういうことあったりしない?聖紋が文ちゃんに刻まれてたりしない?ねえ?どうなのブラちゃん?

■勝ち続ける福地

なにひとつ状況が好転していかない探偵社。すべてが悪い方へと転がっている。それに反して福地だけが有利に駒を進めて勝ちを刻んでいっている。なんだか不公平だなあ。偏りがとても気になる。
委員長、ファングッズ捨てるとかこの期に及んでまだそんなことを…それに対してまるで決め台詞かのように「そうしてくれ」とかっこよく言い残す福地。
なんですか、この喜劇は。なんかわざとやってない?どこまでが演技なの、これ?終末を前にして言う言葉じゃないでしょうよ。

おおお美しく神々しい大指令の光。ブラちゃんに終末の光だと言わせたのセンス良すぎる。
数十秒でなにか状況変わりますかねえ、変えられますかねえ。
文ちゃんたちはもうあきらめてるっぽいし、残りは敦くんかまだ登場していない探偵社メンバーにかかってくるのかなあ。

あのさ、ずっと気になっていたことがあってね。
今の空港の出来事、たぶん火曜日なのね。
そんで裏頁記入のタイムリミットは金曜日なのね。
だいたいいつもタイムリミットぎりぎりを攻めてくるカフカ先生がこんな中途半端な曜日で事件を解決させるのだろうか?というちょっとした違和感があってですね。
大指令解除で人類軍動き出す⇒シグマが計画を暴露する⇒事件がもうひと段階先に進む⇒欧州勢がついに登場するとかいう、凶悪犯もひるむような想像を絶する地獄展開がこのあとに待っていそうな気がしないでもなくて…。つまりこれはまだ序章だったり?…ほんとどうなってるのこの漫画?事件の終盤になるにつれて、物事が悪い方に傾いていくの、一体どういうこと?なにもかも想像以上すぎるよ。

自分でも不思議なほど、後半は落ち着いた感想を書けてしまったな。昨日の夜にさ、本誌読んで魂が虚脱してしまったんだよね。なので今、魂は不在なのです。本誌の中に取り残されて出てこれないみたいです。
極度の興奮状態とそれに続く放心状態の先には、凪いだ精神が待ちかまえていることがよくわかったよ。今月の本誌はそれだけすごかった。圧巻の108話でした。アニメで…アニメでこれがみたいっ…!!


[23.07.06追記]

はぁ。落ち着いて聞いてほしい。今からドスくんについて大切なメタファーの話をするから落ち着いて聞いてほしい。

■ドスくんは天空カジノで「神」をプレイし、ムルソーで「ルシファー」をプレイしている

はい。天人五衰編でドスくんは神とルシファーを演じて、新しい人類たるシグマを弄びながら、楽園追放を再現して遊んでいるのです。
は?って感じですかね。そうですよね。ひとつずつ説明しましょう。

まずは、天空カジノから。
天空カジノは、天空ですからドスくんは神になりすましています。
そして天空カジノとはシグマにとっての「最初の家」であり、つまりはアダムとイブにとっての楽園です。
ドスくんは神となって、シグマにカジノという楽園を与えました。
そして同時にこう忠告しています。「すべてを捨てて逃げなさい。貴方に勝ち目はありません。」と。この忠告は神がアダムとイブに対して言った「知恵の実を食べてはいけません」という忠告と同じ位置づけのもの。
その約束を守ることができれば、楽園を失わずに済むけれど、忠告を守らなければ楽園を失うこととなる。
だが当然、シグマはその忠告を守れない。イブがそうであったように。
「想いの力」を宿すシグマは、楽園から追放される運命にある。
そうして"PARADISE LOST"ならぬ、"SKY FALL"が天空カジノ編で再現され、ドスくんは神としての立場で楽園追放をプレイした。

しかしこれだけでは飽き足らず、というよりドスくんは神と悪魔の両面を持ち合わせているので、神だけではなく悪魔の役割も同時に演じようとする欲深い男。(ただの悪魔が欲張って神を演じているだけとも言える)

そしてドスくんは108話において、ムルソーという地底で悪魔となり、ルシファーを演じてシグマくんを弄んでいる。

探偵社は神から与えられた家(楽園)ではなく、楽園の外にある家。つまり、探偵社に入る覚悟を決めるということは「楽園を追放され、苦しみと痛みを永遠に背負いながら生きていく覚悟を決める」ことと同義。そのことは108話のドスくんの台詞からも読み取れる。
覚悟を決めた先には、ルシファーから差し出される「リンゴという知恵の実」を自らの意志で受け取らなければならない。

「その勇気があるなら」と手を差し出すドスくんの掌には目に見えないリンゴが乗っている。
ドスくんが今差し出しているものは二つ。
ひとつは「リンゴという罪を食べますか」
もうひとつは「毒リンゴかもしませんが、それでもよければどうぞ」

触れたら死ぬかもしれない…という懸念から毒リンゴである可能性を気にしてしまうが、注目したいのは差し出されているものが「罪」である、ということ。
特殊部隊などを触れて殺したのが「罰」の異能であり、原罪に対する罰としての死が与えられた結果なのだとしたら、今ここで差し出されている「罪」は受け取ったときに一体どうなるのか。そこに待ち受けているのは、死よりももっと悲惨ななにかだったりしないだろうか。

探偵社を想う気持ちから自ら罪の果実を食べ、楽園の外へと歩み出そうとするシグマ。
新人類たるシグマによって創られていくもうひとつの楽園追放の物語が今これから描かれようとしている、私にはそんな風に見えてしまう。

■始まりの悲劇と終わりの喜劇

ムルソーで「始まりの悲劇=楽園追放」が再現されているのとほぼ時を同じくして、空港では「終わりの喜劇=終末」が執り行われている。
始まりと終わりが同時に再現されるというのは、なんとも常識はずれで規格外のエンターテインメントだ。間違いなく神々しい荘厳さに満ち溢れた光景となるだろう。

だが、始まりと終わりが同時に存在するとき、その順序は「終わり⇒始まり」となることもある。
空港での終末の先に広がるのは、シグマ(=アダム)をはじめとする白紙の文学書から生まれた新しい人類が、もう一度新たに人類史を紡いでいく未来だったりしないだろうか。そうしたとき、シグマを創り出した者は真の意味での「神」となる。

さてさて、ジョンミルトンもダンテもひっくり返りそうな一大叙事詩の様相を呈してきた文豪ストレイドッグス。
ドストエフスキーという文学界の巨匠の名に恥じないほど、ドスくんというキャラクターの持つスケール感とその深遠さは計り知れない。そしてカフカ先生のメタファーの組み込み方はやはり芸術的なのである。

[23.07.10追記]

■「落ちない」「死なない」シグマ
先日書いたメタファーの話、シグマくんのことも少し追記したい。
シグマは今までに何度も死にかけ、何度も落ちかけ、だけど最後には必ず誰かに助けてもらって救われていた。
「落ちない」「死なない」ということが象徴するものは「原罪をまだ負っていない」ということかも。
原罪を負ってしまったが故に、人は神から罰として「死」を与えられたわけなので、シグマが死なないということにも彼がまだ原罪を負っていないアダムであるという意味合いが隠されているような感じがする。落ちないというのも「まだ堕落していない」という読み方ができるかな。
シグマくんがなかなか着地してくれないなあと考察しながらよく思っていたので、これでいよいよシグマくんはどこかにがっつり着地してくれるのだろうか。格上である理由もこういうところに関係しているのかもしれない。

■敦くんと芥川のすれ違い
敦くんと芥川くんが今回なにやらすんなりうまく行かなかったので(いつものことだけど)、その原因ってなんだっけな?というところを整理してみようと思います。

この二人、普段は全然関わりないから前回どんな状況で終わってたかを確認するために、20巻⇒13巻と辿らなければならず、しかも二人とも会ったら会ったで「一刻たりとも待てない!」と言わんばかりに胸の裡にあったわだかまりを初手で全力で出してきちゃうから、読者は「ちょって待てまだこっちは準備できてない!」と二人の熱量に置いていかれがちよね。そんな若さがかわいらしい。

とりあえず今の二人の状況と言えばこんな感じかな。
・芥川は人虎を否定できない限り先に進めないと思っているので6カ月後に殺すと宣戦布告。
・敦くんは、殺すことをやめたら「本当の強さ」がどういうことかわかるはずだ、と言って6カ月間ひとりも殺さないという条件を与えた。
・敦くんは敦くんで芥川の強さを否定するために国木田さんに格闘を習って修行した。
・芥川は太宰さんと会って、太宰さんは自分を見捨てたわけではなかったと気づいた。
・福地との戦闘を経験して、共闘で勝つためにはお互いを信頼することが必要だと気づいた。
・芥川は自身の余命があまり長くないことを理由に、自分の命を犠牲にして敦の命を救った。

なんだか前進しているような、あんまり前進していないような、だけど気づかないところでお互いへの理解や信頼は深まっていっているような、なんとも言葉では言い表せない絶妙な関係性の二人。

今回の戦闘の中で敦くんが投げかけた言葉は主に3つ。
①なぜ僕を助けたんだ?
②僕との約束を守ってくれたんだろう?
③強さは自分自身に向けるものだ、という以前芥川に投げかけた強さの論議に対する敦くんなりの回答

①②はとりあえず置いといて、③が今回の主題だったかなと思います。
なぜ敦くんの言葉は芥川の心にそれほど届かなかったのだろう?

芥川はかつてこんなことを言っている。

貴様を否めぬ限り僕は一歩も前に進めぬ。故に殺す。

文豪ストレイドッグス13巻 P.114

芥川にとって、人虎とは「越えなければならないもの」。人虎がいなくなれば、自分はもうこれ以上前に進めない。だから必要なのである。もっと強くなって太宰さんに認めてもらうために。

ここに敦くんと芥川の考え方の根本的な違いがあるような気がしている。

敦くんは強くなるために「芥川を乗り越える」必要はないと思っている。強くなることは過去の自分に打ち勝っていくこと、自分の中の弱さを克服していくこと、これが敦くんにとっての強さの意味。
だけど芥川は「敦を乗り越える」ことが強くなるためには絶対に必要だと思っている。だから、比較対象は過去の自分ではなくて、敦。いくら過去の自分より優れようが、敦よりも強くなくては意味がない。
敦よりも強くなって、敦よりも優秀な部下であると太宰さんに認めてもらうことにこそ唯一で最大の価値がある。(そう思うに至ったのは太宰さんのせいなわけだけど)
だから敦くんが必要だと考えている「自分に対する強さ」は、必ずしも芥川にとって意味があることではないし、その考え方を簡単に理解できるものでもない。「自分に負ける」ことよりも「人虎に負ける」ことのほうが圧倒的に屈辱である。

今月の芥川くんが一瞬迷ったかのように見えるあのシーンにキャプションをつけるとしたらこんな感じになるかな?
「強者?然り。僕は強者になりたい。故に目の前にいる人虎を切り刻まねばならぬのだ!」
ってなるから手足もぎとっちゃうんだろうなあ。

吸血種となった芥川に与えられた命令(探偵社員を殺せ)と、芥川の本心(敦を越えろ)は向いている方向が同じなので、吸血種と本心との間にコンフリクトが起こらず結果的に吸血種化は解けなかった、という見方がいまのところできるかな。
そして「太宰さん」というワードを聞いてもピクっとすらしなかったので、太宰さん攻撃も通じない…太宰さんとの邂逅以来、芥川の心の中で何かが変化したような気もするけど、ちょっとその辺はまだ捉えきれないでいる…。
もしかしたら、敦くんの命を助けた理由のところにこそ、芥川自身ですら気づいていない魂の奔流があるのかもしれないですね。
この芥川くんはなかなか手ごわい感じがするので、これからどうなっていくのかちょっと不安混じりな楽しみがあります。


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