°C-ute解散、あるいは同年代の女の子がアイドルをやめるということ。
2017年6月12日にハロープロジェクトの5人組アイドル、°C-uteが解散した。
ハロプロのアイドルの解散や卒業を見送るのはこれが初めてのことではなくて、私はそのたびに号泣したり卒業ならではの多幸感に包まれたりしてきた。それなのに今回はアイドルの解散には似つかわしくない感情が湧き上がってきて、それが解散の発表からずっと頭の中をぐるぐるしていた。
抱いていた奇妙な感情の正体は、漠然とした不安だった。これから「女の子の理想」をどこに定めて生きていけば良いのだろう。
私にとって℃-uteというアイドルグループは同年代の女の子たちの集まりで、だからこそ自分の「女子」の部分を引っ張ってくれる存在だった。ともすればすぐにメイクもファッションも、きれいになる努力を全て放棄してすっぴんジャージで家から一歩も出ない私は、同年代の女の子たちがあれだけ汗だくになって全力で踊っても崩れない美しさを保っているのを見ると、いつも背筋が伸びるような気持ちになった。
話は突然変わるけれど、「25歳女子」というやつは大変に面倒くさい。もう社会人1年目のようにキャピキャピできないしかわいいだけでどうにかなるはずもないけれど、会社ではまだ若手扱いされる。一方で、ちょっと前には資生堂のインテグレートというブランドのCMが「25歳はもう女子じゃない」と謳って盛大に炎上した。じゃあいいやもう大人だしと開き直って「四捨五入すればもうアラサーだから〜」などと投げやりになってみれば、今度は「20代のくせにアラサーを名乗るな」とお叱りが降ってくる。大人なんだけど大人になりきれない。立ち回りが時と場合によってぐるぐる変わる。それが非常に面倒くさくて神経を使う。
そうやって「女子」として迷走しているとき、これまではすぐ近くにキラキラと輝いている同年代の女の子たちが居た。彼女たちの美しさは「ステージ上でかわいくかっこよくありたい」というヘルシーな信念のもとに長年の努力を重ねて培われたもので、決して誰かに媚びたり守りに入ったりするためのものではなかった。世間様のいろんな圧力に揉まれて途方に暮れた夜にスマートフォンの画面越しに観る彼女たちは、「ああそうだった、こっちに頑張れば良いんだった」と健全な努力を私に思い出させてくれた。
℃-uteという同世代のアイドルの女の子たちは私にとって、そんな灯りのような存在だった。
その彼女たちがもう居なくなる。それはつまり26歳以降の「理想の女性の美しさ」を体現し、引っ張っていってくれる存在が居なくなるということだ。
もちろん他に同世代や26歳以上で活躍している女性たちは、自分の身近な先輩から芸能人までいくらでもいる。ハロープロジェクトでも、2年間活動を休止していた道重さゆみさんが”復活”したばかりだ。
そんなことは頭では分かっていて、でもやっぱり解散コンサートが終わってみれば、こうして喪失感に見舞われている現実がある。
それだけ私にとって、いつからか特別に存在になっていたのが℃-uteというアイドルだった。
最後までかわいくかっこよく、「女の子の理想」として誇り高い存在であり続けてくれてありがとう。