ジャニーズは良くて宝塚はダメなワケ
宝塚を指して「人工的雄性が過剰な世界」と言ったヅカヲタの人がいらっしゃった。私はそれまでなんとなく宝塚に苦手意識を持っていたのだけど、その一言で妙に納得した。あーそうか男女の性差を過剰に強調した演出をするから宝塚を好きになれないんだとやっと気づいた。眼からうろこ。
ジャニーズとハロプロは社会的性差に関して宝塚と真逆のベクトルを志向する。性別なんてものはヒョイと飛び越えて僕たち仲良しですよ可愛いですよとアピールしてくるジャニーズの皆さん。ストイックさを売りに戦うハロプロ。社会的性差なんて考えたくない勢としてはどっちも安心して見られるコンテンツ。
ハロプロに関しては、年頃の女の子が可愛さを追求しなくて良いのかというツッコミが入りそうなので付け加えておくと、決して可愛くあることを放棄している訳ではなくてあくまで優先順位の問題である。道重さゆみさんやカントリーガールズの島村嬉唄ちゃんのように、可愛さの権化みたいな人たちもいる。あとみんな素材が良い(親バカ)
それに対して宝塚は、これでもかと言うほど「男と女」を揃えたがる。舞台には生物学上は女性である人間しか居ないはずのに、そこには確かに「男」と「女」が存在する世界がある。
でもあくまでこれはお芝居なのだから、綺麗なコントラストを描く「男」と「女」の世界に魅力を感じる人達が居るのは当然の話だ。
最近モーニング娘。の工藤遥さんと℃−uteの鈴木愛理さんをどんどん好きになれなくなっているのも同じ理論でようやく腑に落ちた。ハルちゃんは日に日に「男役」化してるし、愛理はRayモデルというTHE女の子になるのだから仕方ない。ついでに言うとその辺の女子よりも女の子っぽいことでおなじみのジャニーズJrの岩橋くんも私は同様の理由で苦手である。
ここまで気づいたところで、じゃあ女形が存在する歌舞伎はどうなんだという問いにぶつかった。イメージ的にはあまり「人工的雌性」が過剰な感じはしないから普通に楽しめる予感はする。
そして他のエンタメ界隈で、こういう社会的な性差の表現が薄いものって何があるんだろうか。そんなことをぼんやり考えているとまたひとつ世界が広がるし、私はまた電車をひと駅乗り越す。