blind craft 昭和風ウォールポケット
今回は、3・4年前に作って寝かせていた作品のご紹介。
なぜ今更にじょうさし、今ふうに言えばウォールポケットなのか。そして、スパンコールを散りばめたのか。
語れば長い物語が潜んでいるのだけれど・・・。
今回はあっさり目にいってみよう。
昭和風ウォールポケット
100円ショップで、大きなフェルトに出会った。60cm四方はあろうか。
このフェルトをドーンと使って、何か作りたい。
100円ショップには、もちろん普通の20cm四方程度のフェルトもたくさん売っている。
できれば、大きさの違うフェルトを切らずに組み合わせて何かできないかな・・・。
こうして材料を前にあれこれ悩む時間、大好きなのだ。
大きなフェルトに、小さなフェルトを何枚か無造作に並べてみる。
一枚の大きな布にポケット・・・?
じょうさし!今ふうに言うならウォールポケットだ!
子どもの頃手芸の得意な、転役ボランティアさんにプレゼントしていただいたウォールポケットを思い出した。
厚みのあるキルティング生地にポケットが幾つも付いているあのじょうさし。
上下には木の棒が芯として通してあって、たくさん手紙が入れられる。
いただいたじょうさしのポケットには立体的に女の子のアップリケが施されてあった。
前髪やおさげの三つ編みは毛糸で表現され、
顔も綿を入れてぷっくりと輪郭がわかるように。
つりスカートは、肩のストラップまで立体的に、繊細に作り込まれていた。
見えない私が触って楽しめるようにと、ボランティアさんが、心を尽くしてくださった。
嬉しかった。
こういう手芸の得意な方達が、知恵と工夫を総動員させて、一人の見えない子どもの「学ぶ」ということに真剣に向き合い、寄り添ってくださっていた。
教科書に出てくる写真や図形を、触覚的に理解できるように、書くと浮き出る特殊な紙以外にも、こうした手芸的な技巧を凝らして、苦心し続けてくださっていた。
私の手作り教科書は、まるで「触る絵本」のようで、クラスメイトからも人気だった。
ウォールポケットだ。
まさか、まさか、あの時いただいた、あんなに壮大なものまでは考えてないけれど・・・。
なんとなくウォールポケットを作ってみたい。
そう思った。
悲しきスパンコール
まるで80年台のアイドルソングのタイトルみたいなことになってきた。
でも悲しいのだから仕方ない。
スパンコールには、悲しい思い出がある。
小学5年の頃、手芸部に入った私は、作品展か何かの折、全面にお花の形のスパンコールを散りばめた、まさにこんなイメージの、フラップ式ポシェットを作ったことがあった。
ポシェットと言っても、マチもなく、三つ折りにした布の両端を縫い合わせた封筒のような形。ショルダーストラップも太めのコットンリボンのようなもの。
お気に入りだったピアノのレッスンバッグのデザインを模した。
バッグは、たくさんの花がベビーカーに積まれている様子を、フェルトと刺繍でかわいらしく表現されていた。
フェルトを花形に切ることが難しかったため、お花の形のスパンコールを活用することを思いついた。
スパンコールは、全て自分でつけた。
両端はミシンで縫った。
当時盲学校には視覚障害者用に工夫されたミシンがあったそうだが、私の小学校にはなかった。
だから、ミシンを使う時は、補助の先生に手を添えてもらった。
そこだけは手を借りるしかなかった。
でも、ほぼ自分で作った、つもりだった。
展覧会が始まったある日、悲劇は起きた。
私のポシェットは、何者かによって切り裂かれてしまった。
確かに、ミシンは自分一人ではできない作業だったけど、できる限り一人で作ったのに・・・。
一生懸命作ったのにな・・・。
涙が溢れて止まらなかった。
一緒に泣いてくれた友達が何人かいた。
「直そうよ」と必死に励ましてくれた友達もいた。
私は、展示から外してもらうことを希望した。
これ以上自分の作品を傷つけられたくはなかった。
「あんまりにもかわいいから、僻んだ人がいたんだよ。上手だもの」
母が慰めた。
「ママが悪い!!」
なぜか母に当たり散らした。
小学校をとっくに卒業した兄だったが、泣きじゃくる私を前に
「誰だよ!ぶっと増してきてやる!」と
怒鳴り散らした。
ぶっ飛ばしてほしかった。
リベンジスパンコール
リベンジとは、やや物騒な漢字だ。
それはともかく、あの時のポシェットの悲しいスパンコールの思い出を払拭したかった。
切り裂かれたのは、ミシンで縫った部分であって、装飾部分まで傷つけられた記憶はないのだが・・・。
私自身本当にあの時、自分だけで、スパンコールをつけられていたんだろうか・・・。
自信がなくなっていた。
リベンジするなら今では?
100円ショップには、本当になんでも揃っている。
お目当てのものが、ちゃんと見つかった。
フェルトのポケットをスパンコールで散りばめよう。
小さなスパンコール1枚、1枚手にとっては、針先で穴を探し当て、縫い付けていく。
茶系をベースに、明るめの色を合わせたかった。
フェルト、ボタン、スパンコール、購入時に家族と一緒に選んだ。
スパンコールの色合わせは、はっきり言って適当だ。
この作品を作った頃、AIは、まだ私のスマホになど入っていなかった。
スマホでAIが使える日が来るとは夢にも思っていなかった。
時代の流れは本当に早い。
最下段は、ボタンでアクセントをつけて、マチつきの大きなポケットに。
中断にはポケットを二つ。
最上段は、少し縁を織り込んだりして変化をつけた。
上段と中断のポケットの内側を縫い付けるのにだいぶ苦心したが、全て手縫いで縫い上げることができた。
本当はせめて上部に芯を通して、しっかりと広がるようにしたかったけれど・・・。
もともと実用品として使うつもりはなかったので、100円ショップで見つけた名札用のクリップと、いつものプレゼントでいただいたリボンを通して、、壁掛け風にして、完成!
少女だったわたしへ
今回は誰の手も借りず、自分で全部縫い上げたぞ!
満足した。
この作品のイメージが、なぜ唐突に湧いてきたのか、作り始めた当初は分からずにいた。
しかし今は、
あの時の悔しさ、悲しさを、一針、一針に込めることで、あの日の誰かを許し、自分さえも許すための作業だったのかもしれないとさえ思っている。
そしてきっとこの作賓は、過去の私へのプレゼント、メッセージだったのかもしれないと、気づく。
あの日
少女のわたしは
悲しい思いをしたけれど
今はこうして
自分の手で
満足できるものを
作って楽しんでいるよ
少し人や機会の力も借りるけれど それすらも楽しいんだよ
少女だった頃のわたし
その時にできることを
せいいっぱいやったのだもの
それでいいんだよ
ってね。