思えば、これまでの3年間はなかなか激動だった。
思えば、これまでの3年間はなかなか激動だった。
2017年1月。
約2年経営したBARを手放して、約1年事業立ち上げから奮闘してきたWEBメディアの会社で半うつ状態になり、逃げるようにタイに行って、友人に紹介してもらった日系企業でインターン生として転がり込んで。
そのインターン先では、日系企業への広告営業をやらせてもらって、初めてちゃんとスーツを着て出社して、リストを作って、テレアポして、毎日バンコク市内を駆け回って、安くて甘ったるい缶コーヒーとタバコで一服して、オアシスのWonderwallを聴いて、自分を鼓舞して営業して、インターン先の社長に飲みに連れてってもらって、帰宅して寝る前までタイ語のWebメディアのFB広告運用をして。
とにかく不安だった。
何に対する不安だったのか、今となっては色褪せてしまったが、毎晩尾崎豊の「卒業」を聴いていた。
「これからは、何が俺を縛りつけるのだろう?」
当時はまだ大学4回生で、卒業を目前に控えていた時だった。
タイでのインターンが終わり、大学を卒業して、WEBメディアの会社を辞めて、空っぽになった。
幸いなことに、一社内定をもらってたので、このまま何もなければ10月入社で就職しようと。
2017年4月からの半年間が自分にとって、新たな挑戦の始まりになった。
その中で、生まれたのが「ゴーゴーケンゴ」だ。
2017年8月からゴーゴーケンゴをスタートした。
驚くべきことに、それまでWEBメディアの会社をやってたにも関わらず、ワードプレスでブログを作ることすら出来なかった。
もちろん、SEOの知識も皆無だ。
それでも、迷いはなかった。
BAR経営にしても、WEBメディアの立ち上げにしても、タイでの広告営業にしても、最初は全てゼロからのスタート。
その中でも、今までなんとかしてきたのだ。
この「なんとかする力」だけで、これまで生きてきた。
無論、それは今も変わらない。
2018年1月。
これまた、どん底の気分だった。
約半年かけて育てたTwitterアカウント全てが、とある事情で使えなくなった。
ようやく、収益化が見込めてきて1日1万円ほど売上が立っていた矢先のことだ。
そんな中、学生時代の親友から「どん底の状態だからこそ、選べる選択肢があるはず」と。
確かに、どうせだったら今まで後回しにしてたことをやってしまおうと。
そうして、親友と二人で東南アジア1周の旅に出た。
Youtubeを撮影して、それで旅費を賄おうと。
結果、見事にスベった。
二人とも動画に関しては超初心者。
日に日に減っていくお金に焦りを隠せず、何度も衝突した。
そんな中での仮想通貨バブルだった。
ブログで仮想通貨の解説記事を書いていたのが検索上位にあがり、収益が上がった。
これで、なんとか東南アジア1周の旅費は賄える。
しかし、ご存知のとおり仮想通貨バブルはすぐに弾けた。
東南アジア1周が終わり、仮想通貨バブルも弾け、またゼロからのスタートかと。
そんな中、当てたのが漫画村だった。
そうして、ブログ収益が100万を超えたのだ。
2019年1月。
カンボジアで迎えた2019年。
2018年の後半はブログ収益も右肩上がりで、トークンハウスも立ち上げ、間違いなく転機となる1年だった。
では、2019年はどうだ?
毎月アジア各国を周り、トークンハウスを4ヶ国4拠点に展開したものの、バリ島は半年で撤退した。
ブログも上半期は順調に伸びてたが、下半期はアップデートの影響を受けて収益は下がった。
「地球の歩き方の動画版」を狙い始めたYoutubeも投資対効果があわずに撤退した。
マニラに招待してもらって再開した英語学習も途中で挫折した。
新しく立ち上げた3つのサイトも結果が出ずに更新が止まった。
毎日ビジネス書を要約するnoteも38冊目で終わった。
外注活用も半年やって結果が出ず全て引き上げた。
新規事業の構想も何1つカタチにならなかった。
ちくしょう、自分のダメさに泣けてくるな。
本来の俺なら、もっと完璧にやれる。
こんなもんじゃない。
今でも、そう思える。
でも、気づいた。
それこそが、僕自身の可能性だと。
思えば、これまでの人生ずっとそう思ってた。
「本来の俺なら、もっと完璧にやれる。こんなもんじゃない。」
この自分自身に対する期待がある限り、まだまだゴーゴー出来そうだ。
あとがき
ちなみに、2019年は自分史上最高の1年だった。
売上ベースでみても、成長ベースでみてもだ。
失敗の数は挑戦の数。
失敗は自分自身に刻み込まれる唯一無二のデータになる。
それをもとに仮説を立てて、検証して、改善していくだけ。
人生は壮大な実験だ。