資本主義をアップデートする。
僕はお金が大好きでした。
小学3年生の頃から毎月300円のお小遣いをもらっていたのですが、マメに家計簿をつけてました。
「おかし50円、ジュース100円、、、のこり150円」といった具合に。
真面目で優しく心配性な両親のもとで育った僕は無意識的に「お金は大事なもの」だという認識をしてたんですね。
中学生になり、お小遣いが増えてもそれは変わらず、当時プロを目指す野球少年だった僕が監督から教わったのは、野球のことではなく、お金の話でした。
「金の切れ目は縁の切れ目や。」
中学生になると使えるお小遣いも増えるので、友達と外食に行ったりコンビニで買い食いしたりと、お金を使う場面が増えるので、監督は僕たちに口酸っぱくこの言葉を伝えてくれました。
大学生になり、BARでバイトを始めてお小遣いが増えました。
初給料をもらった日は家に帰って、机にお金を並べて、悦に浸ってました。
周りの友達はバイト代でブランド品を買ったり、パチンコに使ったり、ボーリングやカラオケで遊ぶのに使ってましたが、僕は毎月バイト代の半分近くを貯金してました。
「お金は大事なもの」と昔から教わってたからです。
僕はもっと稼ぎたいと思いました。
バイト代は月10万前後ありましたし、貯金もしてたので、お金に困ることはありませんでした。
周りの友達はパチンコやボーリングや飲み会やらなんやらで、常にお金に困ってましたが、バイト以外では稼ごうとしてませんでした。
しかし、僕はお金に困ってないのに「もっと稼ぎたい!稼がないといけない!」と強く思ってました。
「自分が出来ることで、何をすれば稼げるか?」
こんなことをずっと考えてました。
毎日つけてる日記にも雑な皮算用をしては、満足気になってる自分がいました。
そして、僕はバイト先のBARを貸し切ってイベントを開きました。
50人ほど集まりました。
全部1人でやったので、BARへの支払いを終えて手元に残ったお金は5万円ほどだったと思います。
そこから、友達を巻き込んでサークルを作って毎月のようにイベントを開催しました。
当時はイベントサークルが関西で盛り上がっていたので、1000人近く集めるイベントなどが毎週のように行われました。
1000人×1000円で100万円なので、大学生にも関わらず100万円近く動かしてる友達もいました。
僕は負けたくないと思い、必死にイベントをやりましたが上手くはいきませんでした。
それどころか、知識もないまま大人の口車に乗せられて数十万ほど赤字になってしまいました。
貯金があったので、借金することはありませんでしたが、メンバーにも迷惑をかけて改めて「お金の大事さ」に気づかされました。
そして、今まで以上に「お金を稼げるようにならないと!」という思いが強くなりました。
そして、イベントを一時休止してビジネスの世界に飛び込みました。
ビジネスとは言っても、大学のフリーペーパーを作って企業に広告掲載費をもらってマネタイズするというものでした。
もちろん営業なんてやったこともありませんし、テレアポなんて初めてでした。
緊張して上手く話せませんでしたし、営業先の会社の住所を間違えて遅刻したりなんてこともありました。
1ヶ月半ほどの短期間でしたが、なんとかスポンサーも見つけてフリーペーパーが作れました。
テレアポの電話代から作業場所のカフェ代から交通費からフリーペーパーの制作費まで、全て実費でしたから利益なんてなく、トントンか少し赤字だったと思います。
そのあとは、人材紹介的なことをやってましたが全く稼げませんでした。
稼げなかったので、もう一度イベントをやろうと思いました。
それが大学2回生の時です。
色んなイベントサークルの友達に声をかけてスタッフを集めて、イベントを開催しました。
それなりに人も集まってイベント自体は盛り上がりました。
しかし、クラブのトイレが壊されていて、イベント終了後にクラブの責任者に呼び出され、土下座して謝ったものの弁償代を支払うことになりました。
そんなに高くはなかったと思うのですが、イベントの利益はほとんど残りませんでした。
そんな中、僕からお金を借りてたスタッフの1人が音信不通になり飛びました。
数千円とかの話でしたが、悲しい気持ちになりました。
「金の切れ目は縁の切れ目」
中学野球の監督の言葉が蘇りました。
でも、人間は表裏一体で良い面があれば悪い面もあります。
その子にも良いところはありましたし、悪いところが「お金にルーズ」というところだっただけのことです。
そう思うようにして、自分の気持ちをラクにしました。
と、同時にこう思いました。
「もし俺が月100万くらい稼いでたら、こんなちっちゃいことで悩むこともないんやろな」
大学3回生になり、相変わらずバイト代以外には大して稼げてませんでしたが、その分、図書館に篭って本を読んで勉強しました。
自分を律するために、読書や筋トレなどで目標を細分化して「自分が決めたことは絶対にやりきる」という習慣をつけようと過ごしてました。
大学3回生の後期から先輩のアフィリエイトを手伝って、月20万以上稼げるようになりました。
当時、僕は1年大学を休学してBARを経営しようと考えていたので、ほぼ全額貯金してました。
友達の家に居候し、毎晩、白菜だけの鍋を食べてお金を貯めてました。
その時期に参加した某企業のインターンシップで優秀者に選ばれ賞金50万円をもらいました。
それも全額BARの開業資金に充てました。
そして、大学4回生になるタイミングで休学してBARをオープンしました。
想像以上に上手くいきました。
先輩のアフィリエイトも副業として手伝っていたので、その収入も合わせると月50万円ほどに給料が増えました。
「月50万円もあれば何でもできる」
そんな風に思ってましたが、実際にそれ以上お金を稼いでみても生活は変わりませんでした。というより、変えませんでした。
この収入は永続的なものではないと知っていたので、調子に乗って生活水準をあげて浪費すれば、お金はすぐに無くなるし、もし稼げなくなった時に生活水準を落とせずに苦労するのは目に見えてたからです。
ですから、僕は1年間ずっとお店に寝泊まりしながら営業してました。
貯金も出来たので、2ヶ月に1回のペースで海外旅行に行きました。
でも、そんな生活も半年もすれば慣れます。
「もっと、大きなことをしたい!!」
そう思い、BARを1年やった後に大学に復学してからは、店長を雇ってその子にBARは任せて、僕は先輩が立ち上げたwebメディアの会社にジョインしました。
webメディアなんて全く詳しくなかったですが「自分が決めたことは絶対にやりきる」という意志さえあれば、なんでも出来ると思ってました。
毎月、売上目標を設定し細分化して毎日目標を追い続けました。
その結果、初月から黒字化して3ヶ月後には月200万ほどの売上を達成しました。
売上=ほぼ利益の世界なので、その成果に伴って僕の給料も増えました。
その頃は「お金よりも会社のために」という思いが強く、なにごとも会社優先で動いてました。
しかし、とあるキッカケで僕はほぼ無給で働くことになりました。
僕自身で納得した結果のハズでしたが、徐々に減っていく貯金を見ると焦りを感じました。
「お金は大事なもの」
この言葉が脳裏をかすめました。
なんで、やりがいがあればお金がなくても良いと思うのか?
なんで、お金があるのに給料をあげないのか?
なんで、お金がないとこんなに苦しいのか?
そんな言葉がぐるぐると僕の脳を駆け巡りました。
違和感を感じたまま、頑張ることは出来なかったので、大学卒業と同時に会社も抜けて、BARも別事業者に買い取ってもらいました。
そして、晴れて新卒ニートになった僕は「半年間」という猶予を自分に与えました。
「もし、この半年でなにも見つけれてなかったら、大人しく就職しよう」
幸い、大学3回生時に受けていたインターンシップ先の企業が「いつでも受け入れますよ」と言ってくれてたので、安心して挑戦することが出来ました。
僕は安心してましたが、両親はそうではありませんでした。
特にお父さんは、僕と会う度に「お金は大丈夫なんか?ちゃんと稼いでるんか?」と常にお金の心配をしていました。
それは今に始まったことではなく、昔からずっとそうだったので特に気にも留めてませんでしたが「親を説得するには、お金を稼いでると言う結果が必要」というのは、より一層強くなりました。
子どもの頃からずっと「お金は大事なもの」と教えられて育って、学生時代も「稼ぎたい!」と強く思ってた僕ですが、心の片隅には「お金って稼いでも稼いでも多分キリがないよな。お金あっても幸せじゃない人もいるし、お金なくても幸せな人は沢山いるし」と、どこかでお金の存在に懐疑的になっていました。
ですから「金の亡者」と揶揄されるように振り切って、お金を稼ぐことに集中することも出来ずに中途半端な自分がいたと思います。
僕は、むしろ「金の亡者」と揶揄される人たちにある種の憧れを抱いてましたが、それを口にすることは自分が”中途半端なヤツ”だと認めることでもあり、口では「お金が全てじゃないし、好きなことで生活費を稼げるのが一番」と言ってました。
そして、ブログを始めてから最初は「お金になることじゃなく、自分の好きなことを発信しよう」と好き勝手ブログを書いてました。
お金を稼ぐ記事と好きなことを発信する記事と完全に切り離して書いてました。
お金を稼ぐ記事でのマネタイズが出来始めた12月に諸事情によって全てパーになりました。
それをアテにしてたので、ブログでの収益化のメドが全くつかなくなり焦りました。
生活コストはかなり下げていたので、当分は貯金でなんとかなると思ってましたが「このままではヤバい」と不安になりました。
そこで、当時僕のブログで一番読まれていた仮想通貨関連の記事に振り切って、仮想通貨の記事だけを書きました。
すると、時代の波に上手く乗れたこともあり、なんとか収益が上がりました。
僕自身、貯金してた日本円を仮想通貨に変えたり、ちょっとした投資に充てたりと、「お金でお金を稼ぐ」という感覚を少しずつ実感していたので、仮想通貨ブームのおかげで「お金に対する価値観」がアップデートされました。
日々、増えていくスマホ上での数字を見て「お金って虚像やな」と感じたんです。
残念ながら、売却のタイミングを逃したので殆ど利確できませんでしたが、ブームが過ぎたからこそ、より一層「お金は虚像やな」と感じることが出来ました。
ちょうど、その時期は僕と友達と2人で東南アジア1周の旅に出ていて、youtubeをアップしながら約2ヶ月半をかけて7カ国を周ったんですが、そこでもお金の大事さを考えさせられました。
僕のブログ収益以外にお金がなかった僕たちは、常に「お金の不安」と背中合わせで旅をしていました。
幸い、その時期に仮想通貨ブームに乗っかったのでブログ収益でなんとか旅行費用はすべて賄えたんですが、旅が終わった3月末には仮想通貨ブームも過ぎて、ブログ収益がほぼゼロになってました。
「このままではヤバい」
またしてもお金の不安を感じながら日々、試行錯誤して生活してました。
そんな中、4月に書いた記事がトレンドとマッチして収益が一気に跳ねました。
ブログ収益が100万円を超えて、お金の不安から少し解放されました。
しかし、その収益は永続的に続くものではなく、日を追うごとにみるみる減少していきます。
「このままではヤバい」
またしても「お金の不安」が僕を襲い日々、試行錯誤しながら記事を書いてました。
そんな中、ZOZOTOWNの前澤社長の「お金の使い方」に関するインタビュー記事に出会いました。
そこには、こんな言葉が書いてました。
「年収35億円だが、貯金は一切したことない」
「お金は限界まで使え!」
「正しく使えば、お金は増える!」
この文言だけ見ると胡散臭いのですが、ZOZOの前澤さんと言えばバスキアの絵を123億円で落札したり、そのお金の使い方には嘘偽りがなかったので、気になって読み進めました。
すると、そこには「お金の使い方」の答えが論理的に解説されてたんですね。
お金持ちだから出来ることではなく、誰でも出来ること。
前澤さん自身が小学生の頃にビックリマンチョコを買い占めて、シールを大量に集めて、それを友達にあげまわったことからクラスで人気者になれたことや、バンドマン時代に海外レコードを買い漁って原価で知り合いに売り始めたことから今のZOZOに繋がってることなど、理想論ではなく合理的な内容で感動しました。
その感動をアウトプットしたいと思い、更にわかりやすく図解して記事にしました。
そしたら、ZOZOの前澤さんが僕の記事をTwitterで紹介してくれました。
その反響が冷めないうちになにか仕掛けたいなと思った僕は「ZOZO前澤流お金の使い方-実践編-」と題して「僕の100万円の使い方をみんなで考えて実際に使っちゃおう!」という企画を始めました。
ここまで、読んでくれた人は多分お気づきだと思いますが、僕はお金に対してかなり敏感です。
お金を稼ぐことばかり、考え続けてきて、使うにしても”増やすために使う”という前提で考えてきました。
そのおかげで、お金に困ることはありませんでしたし、それなりに自由に生きてきました。
しかし、その一方で自分の器の小ささや、いくら稼いでも「お金の不安」は消えない事実を肌で感じ「なんとかしなきゃ」と感じてました。
だからこそ、これをキッカケに僕自身のお金に対する価値観をアップデートしたいなと思ったんですね。
100万円で一生続くお金の価値観をアップデート出来ると捉えれば、安い買い物だと。
実際に企画をスタートさせてから、企画予算の100万円とは別で自分の生活費から積極的に人のためにお金を使ってみました。
会ったこともないけど、直感でビビっときた人にスポンサー費を出してみたり。
少額ですが顔が見えるところに、お金を積極的に出してみて気づいたことがあります。
それは「お金は血液」ということです。
人間の体は常に血液が循環することで健康を保っているのと同じで、お金も血流のように淀みなく循環することで健全な社会が保てるのだと。
なにより、手元に100万円を持っていれば誰かに奪われたり、無くしたりするリスクは高いけど、その100万円を1万円ずつ100人に分散していれば、奪われるリスクも無くすリスクも減らせますからね。
それには信用という繋がりさえあれば実現可能なことです。
僕のお金に対する価値観の遍歴を書き出してみたら、想像以上に長くなりましたが、そろそろクライマックスに入っていきたいと思います。
僕だけなのか、僕の周りだけなのかはわかりませんが、日本人の大半が「お金の不安」を抱えながら生きているように思います。
僕は東南アジアにいることが多いので、現地の生活を目にすると思うことがあります。
「この人たちの方が絶対お金持ってないはずやのに、なんでお金持ってる日本人の方がお金の不安を感じてるんやろ?」
この疑問は東南アジアに出たことある人なら、誰しもが一度は考えたことのある疑問だと思います。
この疑問に対する僕なりの答えは「お金の不安はお金を稼ぐことでは解決しない」ということです。
当たり前のように聞こえますが、これって案外気づいてない人の方が多いような気がしてます。
「お金が足りないから、不安になる。」ではなくて、「お金が足りない未来を想像するから、不安になる。」
ということです。
東南アジアで僕たちが見てきた「お金がないのに明るい人」はお金が足りない未来を想像してないから不安にならないんですね。
国が成長している真っ只中ではお金を貯めるより使う方が合理的なんです。
今日は100円で買えてるものが、来年には105円になってるかも知れない。
すると、今日の100円を貯めて来年使おうとすれば、その100円の価値は-5円になってるというワケですね。
つまり、今あるお金は今使ったほうがお得なんだと。
途上国では特に目に見えて発展していくので、国民も明るい未来を想像しやすいんですね。
ということは、僕たちを襲う「お金の不安」の正体は「未来への絶望」なのかなと思いました。
超高齢化社会、年金問題、労働力不足、なんちゃらかんちゃら。
今の時代に生きる日本人の多くは日本の未来に絶望してるのではないでしょうか?
だからこそ、不安がどこまでもつきまとうのではないかなと。
では、その「未来への絶望」はお金があれば解決するのか?
答えはNoです。
お金で未来は買えませんから、いくらお金を持っていても不安は消えません。
それなのに、人々はお金のために人生を費やします。
なぜでしょうか?
それは、この世が資本主義で成り立ってるからです。
資本が物を言う世界なのです。
簡単な例を挙げると、100万円を持ってる人が利回り5%で資産運用しても年間5万円の利益にしかなりませんが、10億円持ってる人が同じ条件で運用すれば年間5000万円の利益ですよね。
極端な話、1度10億円を手に入れれば毎年5000万円がタダで手に入ります。
更に、その5000万円を元手の10億円に追加すれば、どんどん増えていきますよね。
だから、みんなこぞってお金を稼ごうとするんですね。
しかし、ここで立ち止まってみましょう。
10億円稼いだ人が年間5000万円で満足できると思いますか?
その5000万円でやりたいことは、10億円稼ぐときに既に出来たんじゃないですか?
そのお金でなにを買ってるんですか?
桁は全然違いますが、僕の経験から推測すると10億円あっても満足出来ないでしょう。
『満足出来ないと予想できることに自分の命を削るのか?』
そう自分の胸に手を当てて聞いてみてください。
では、僕たちはどう生きればいいのでしょうか?
メタップス社長の佐藤さんの著書「お金2.0」に興味深い話がありました。
「これからは資本主義ではなく、価値主義になる。」
どういうことかと言うと、価値主義は資本に加えて、これまで目に見えなかった内面的な価値や社会的な価値にもスポットライトが当たるというワケです。
そして、実際にその時代の波はきていると感じます。
例えば、所有の時代から共有の時代に移り変わっていたり、高級ブランドに身を包んだセレブなスターよりも社会的な活動を通して多くの人々から愛されるヒーローがクールだと言う時代です。
資本主義的な考えは徐々に古臭くなり、若者は「ダサい」と感じるようになってきています。
資本主義と価値主義は全く異なるものではなく、むしろ資本主義を包括するのが価値主義です。
資本を無視するのではなく、これまでスポットライトの当たらなかった内面的価値や社会的価値にも光を。
『資本主義をアップデートする。』
お金の奴隷と化していた僕自身をお金の呪縛から解放するために、資本主義をアップデートする。
様々なモノがアップデートを繰り返して、世界はこんなにも便利に豊かになっているんです。
それなのに、僕たちはどこか息苦しく、命を削りながら生きている。
そんなに便利な世界になってどうするの?
そんなにお金を持ってどうするの?
そんなに競争してどうするの?
僕たち1人1人の命に意味なんてないと言わんばかりに時は流れる。
「どうせ、意味がないならせめて楽しく生きさせてくれよ。」
なにをそんなに、いがみあう必要があるのか?
僕たちはもっと人生を楽しめるハズです。
資本主義をアップデートして、未来への絶望を払拭する。
もっと、生きやすくあったかい未来をつくる。
僕たちが死んだ先の22世紀まで続くものにしよう。
あったかい22世紀を。
そんな想いを込めてつくったのがトークンハウスです。