我慢して、我慢して、その先になにがあるの?
我慢して、我慢して、それでもまだ我慢して。
その先に一体なにがあるの?
昨日、えーちゃんとバンコクでサシ飲みしてて、その時にこんな話になりました。
こないだ、東京行ったんすけど、やっぱ通勤ラッシュやばいっすね。
日本に居てた時は感じなかったんすけど、あれが当たり前になってたの恐ろしいっすわ〜
それを聞いて「うん、確かに確かに」と思って、このnoteを書こうと思いました。
僕の場合、ブログというのは限りなく天職に近いと思っていて、好きな仕事なんですよね。
でも、もし「ブログを書くために毎朝、通勤ラッシュに巻き込まれて出社しないといけない」となれば、間違いなく他の仕事を選びます。
つまり、自分が大好きな仕事より通勤ラッシュの負の方が大きいんですよね。
じゃあ、もし通勤ラッシュの先に待ち構えてる仕事が、自分の好きなことじゃなかったらどうでしょうか?
僕の感覚では耐え難い地獄かなと。
そこで皮肉とかではなく、率直に思ったのは「人間、良い悪い別にして置かれた環境に順応する生き物」なんだなと。
僕も今は「耐え難い地獄」と表現してますが、自分がその立場になったらソツなくこなしてると思います。
高校球児の頃は、毎朝始発で家を出て終電で帰ってくるという生活でしたが、その環境にも慣れてましたしね。
僕がここで伝えたいことは「通勤ラッシュは消耗する。だからみんなフリーランスになって好きなことで生きていくべき。」みたいな話ではなく「どんな状況下であれ人間は環境に順応する習性があるのだから、その習性を自分にとって都合良く活用すべき。」という話です。
もっとわかりやすく言うと「どうせ慣れるんやから、”慣れ”を賢く使おうぜ!」って感じです。
・モノを自分が持てる範囲まで減らす(機内持ち込み可のスーツケース1つ)
・wifiとMacがあれば仕事ができる(BAR経営を辞めた)
・家を捨てた(ドミトリーや居候でも快適に睡眠できる)
みたいな感じで、要するに自分が生きやすくなるように”慣れ”さしていったんですよね。
僕が言うコスパは「安けりゃok」って意味ではなく「払うコスト<得られるパフォーマンス」と言う公式に当てはまるかどうか?と言う意味です。
つまり、モノを減らして、家を捨てても、その環境に慣れてしまえば、得られるパフォーマンスは下げずに払うコストを下げれるので満足度が上がるというわけです。
以上、嫌なことに耐えるために”慣れ”を使うのではなく、人生の幸福度をあげるために”慣れ”を活用しようという話でした。
p.s
僕は人より”慣れ”が早いので、その分”飽き”も早いと思ってます。
それも一長一短だと思うので”慣れ”が遅い人は”深さ”で勝負できるんじゃないかなと。